作家と共同作業⑤
「冷えてきたわね」
くしゅんっ、と可愛らしいくしゃみをしたリックに、アリーは寝台の掛け布を与えてやった。
直近に洗濯したのはそれほど前ではない……ような気がするし、まだ、埃にまみれているということもないだろう。
「ありがとう」
「いいえ、こちらこそごめんなさい」
肌色の面積が減ればこそ、落ち着いて話ができるというものである。
それに、彼にはきちんと聞いておきたいことがあった。
「リック。あなたの目的は何なの?」
「目的?」
「『先代シェリンガム公爵夫妻の名誉回復』は建前なんでしょう」
「建前ではないよ。君が本に書いた祖父母の姿は、実態とかけ離れている。真実の姿に訂正してもらいたいと今でも思っているが?」
「ハイハイ、分かったわ、それも本気ではあるんでしょうけれど。でも、それだけではないわよね? あなたは、私に何をさせたいの?」
リックは前に『真実を見抜く目』が云々と言っていた。彼がアリーに『見せたい真実』とは何のことなのか。
「アリー。君は、この国を良い国だと思っている?」
果たして、口を開いた彼が吐いたのは、混ぜっ返すような言葉だった。
「……いきなり何よ。今、そんな話はしていないでしょう」
質問にちゃんと答えろと、睨みつけたアリーの眼光が増す。
「いいから答えて。君は、今の暮らしに満足している? 将来に不安を覚えていないかい?」
「何を、言っているの……っ」
これが酒場で行き会わせた客同士が『最近調子はどうだい』『うちも商売上がったりでさ』と世間話に話すのなら、聞き流せた。その話を耳にするのは庶民だけだから。
だが、リックは高位貴族だ。将来の国政を担う立場にある彼が、国の将来の不安を口にしている。……そんなの、素直に『はい、不安です』と肯定していいわけがない。
「僕はね、不安だよ。このままでは、王太子はこの国を亡ぼす」
リックは表情一つ変えずに、ぺろりと吐いてみせた。誰ぞに聞かれれば『不敬罪』と捉えるしかない罪深い言葉を。
「あなたっ、何を……っ!?」
「僕の目には、そう見える。国王と王妃は、王太子の教育に失敗した。現シェリンガム公爵夫妻も、それに強く異を唱えられなかった。ご意見番だった先代公爵夫妻はとっくに墓の下だ。誰も、彼らを止められないまま、ここまできてしまった。……誰かが止めるべきだったのに」
現シェリンガム公爵夫妻とは、リックの両親のこと。また、現王妃が先代シェリンガム公爵夫妻の娘である関係で、俎上に上がった人物たちは、皆、リックの親戚でもあるはずだ。
それなのに、彼の言い分は、冷たすぎるくらいに客観的で――アリーの耳には妥当な評価を下しているように聞こえた。
(リックが言っていた『両親がリックよりも大事にしていた子ども』って、王太子殿下のことだったのね。現シェリンガム公爵夫妻でさえ、我が子よりも王太子殿下に取り入ることを優先していた、ってこと。きっと、リックは王太子殿下とは相性が合わなかったでしょうに)
自分と合わない人間がもてはやされ、周りの大人たちまで迎合する様を見せつけられれば、鬱屈もたまるだろう。
それを見かねた先代シェリンガム公爵夫妻に連れ出され、隔離されたのが、リックの『療養生活』だった、と。
「だから……あなたは、王太子殿下ではなく、第二王子殿下の側近になったの?」
「よく知っているね。そうだよ、王太子に比べれば、まあ、まだ、第二王子の方が、多少はマシなんじゃないかな? 箱入りで世間知らずの臆病者だが、後先を考えない行動はあまりしない気質だからね」
どうやらリックは、第二王子についても諸手を挙げて支持するくらい心酔しているわけではないらしい。やけに辛辣な態度を取りながらも『まだマシ』という評価を下した。
「僕は、国のためを思えば、第二王子が王太子を追い落とすしかないと思っている」
「ちょっとっ!? 誰かに聞かれたらどうするのっ!」
「聞かれないよ。シェルマンさんは耳が遠い。……ただ、クーデターを起こすとなると、犠牲を伴うだろうし、成功したとしても混乱は必須だ。そこまでして挿げ替える価値があるほど『第二王子が王位についた方がいい』と言えるくらいの差があるか? 大した差がないなら、僕は、王太子の下で――王太子が順当に王位に就いた後の臣下として、この国を少しでも良くできるように力を尽くすべきではないか、と迷っている」
言い切って、リックはアリーをじっと見つめた。
「だから、僕は、君の目が欲しい。僕は、何をなすべきか。誰のために、何のために、どうやって動くべきなのか。誰を味方につけるべきなのか、誰を遠ざけるべきなのか。そのために使える後ろ暗い弱みはあるか。上手く仲間に引き入れられたとして、この国はどうなるのか、君の目を通して知りたい」
「……っ」
「君の判断に必要なものを用意するのに、協力は惜しまない」
なるほど、リックの目論みは分かった。誤解のしようもないくらいにはっきりと伝わった。
その上で、言う。
「いや、それっ! 一介のゴシップ作家に期待することじゃないからっ! そこまでの責任、私が持てるわけないでしょう!」
自分には応じられない、と断ると、リックは上目遣いに瞳を潤ませた。
「ダメかな? スクープのすっぱ抜きなら本は売れるだろうし、君にとってもメリットはあると思うのだけど」
「いや、王家を敵に回すリスクを考えて?」
次期国王をその地位から追い落とすクーデターなんて――国家転覆の企みなんて、失敗すれば斬首か絞首か。
『いざ』というときに迎える悲惨な結末を考えると、デメリットが大きすぎる。彼の提案に飛びつくほど、アリーは愚かではない。
「君のことは、僕が命に代えても守るよ」
そのはずなのに、不覚にもときめいてしまった。真摯な瞳に言われたところで、これは現実が分かっていない男の無責任な戯言にすぎないというのに。
それでも『自分の命よりもあなたの方が大事』と扱われたことなんて、これまでに一度もなくて、今の彼が本気でそう思っていることは伝わったから。
「……馬鹿ね。クーデター計画なんて知られたら、あなたもただじゃ済まないわ。我が身の方を心配してなさい」
「アリーは優しいね」
「はあ? 純然たる事実の指摘でしょうに。何を言っているんだか」
別に、リックを心配したわけではない。『事が起きた頃には、自分も他人を守れるような立場ではなくなっていることに気づけ』と言っただけだ。
(でも、そうよね。私が密告すれば、リックの身も危ないのだから、少なくとも今の彼には、私を裏切るつもりはないのかも)
今のアリーにとっては、誰かに対する個人的な好き嫌いよりも、利害の一致の方がよほど信じられた。その意味では、リックのことは『信頼』できるかもしれない。
「分かったわ。まずは、第二王子殿下の人となりについて教えていただけるかしら。……あっ、もちろん、王太子殿下の人となりも後で聞くわ! ええ、両方知らないと比べられないものね!」
王太子の人となりの方は事前に知っている、と気づかれてはたまらない。
アリーは大声で慌ててごまかした。




