ピレシャノール家の長男
「ついたぞ」
私は揺れる列車の中寝息を立てていたのだが、カイト・ピレシャノールに起こされた。
私が姿勢を整える間も無く彼は歩き出し、私は慌てて彼の跡を追った。
列車を降りてホーム歩く。
周りにはたくさんの人がいて、私が去ったあとに視線が残った。
銀色のケースに重みを感じながら、私は切符を握る。
昭和レトロなホームで、切符も昔ながらだ。
魔法とかが発展している分、機械などは発展していないのかもしれない。
水と光が戯れているのを横目に見ながら歩いていく。
私の白色の瞳は、彼の背中を追うので必死だった。
カイトが私の方を振り返ることはない。
不安を覚えながらも彼の後をついていく。
私には、それしか道がない。
規則的な足跡が急に止んだ。
カイトが急に立ちどまったのだ。
私は危うくぶつかりそうになる。
呼吸を整えて、見上げた先にあったのは━━━━━
神殿としか言いようがないような立派な建物だった。
庭には噴水があり、そこから溢れているのは水ではなく星屑。
水に満たされた異世界の水をかき回すような謎のプロペラ。
ここが、名家・ピレシャノール家なのだと、私は感じとった。
「いくぞ」
無慈悲、冷酷。
それを代表して表したような声色、表情。
まさか、ここの召使いとしてこき使われるんじゃあ━━━━━━。
そんな心配をよそに、彼の背中はどんどん小さくなっていく。
私はそれ以上小さくならないようにと、ドレスの裾をあげ、小走りでカイトに追いついた。
彼が見えなくなってしまうのが、なぜか怖かった。
花々はヒラヒラと揺れ、雰囲気を和ませていく。
なぜだか彼といると、自分の「異質さ」が中和されていくのを感じた。
なんでなんだろう。
今、とっても不安なはずなのに…。
「あの」
私は勇気を振り絞り、カイトに声をかけた。
カイトが初めて、こちらを向く。
「なんで私を買ったんですか?私をなんのために買ったんですか?」
「…」
一度言い出すと止まらなかった。
星屑色の髪を無意識に触る。
「…質問は後からだ」
そこ知れない深さを持つ青い瞳が微かに揺れた。
その揺らぎを隠すように、カイトが歩いて行く。
なぜか、私は微笑んでいた。
────無慈悲で冷酷なピレシャノール家の長男。
カイトは、それだけじゃない気がしたからだ。
***
「お母さん、娘さんはまさに天才ですよ」
先生が媚びた声を出す。
「本当ですか?」
「ええ!」
ここにいるときは、普段の何倍にも私が小さくなったように感じる。
お母さんの顔がもやがかって見えた。
「娘さんはまさにテナーサックスに恵まれています」
「だって。よかったわね、友」
お母さんが私の顔を覗き込んだ。
なにが、よかったんだろう。
天才って、褒められたこと?
認められたこと?
それとも、自分の子供が天才だっていわれたこと?
「…」
私は俯き、もやがかったお母さんから顔を背けた。
「この子なら━━━」
先生とお母さんが話しているのを横目に、そっと耳を塞ぐ。
天才。
天才、天才。
みんながそう口にするたびに、天才という言葉の価値がどんどん下がっていく。
自分にできないことができてしまうのが天才。
天才って、そんなに安っぽいのか。
私は、今までの私の努力を「天才」という1秒にも満たない言葉で一蹴されたくない。
この世界に、血が滲むような努力をして駆け上がり、「天才」という言葉で一蹴された人たちが何人もいたはずだ。
そんなんじゃない。
そうじゃない。
家族の中で、友達の中で、天才というレッテルを貼られていく。
お母さんに褒められるために頑張った。
友達に認められるために頑張った。
私の音を、努力としてみてくれない。
「そういうのが、『秀才』ってことなんじゃねえの?」
ぐしゃぐしゃになって解けなくなった心の糸口を見つけるヒントをくれたのが彼だった。
「涼君…」
***
広い庭を抜けて、ようやく大きな扉に辿り着いた。
ぎぎぎ、と音がして扉が開く。
玄関に敷かれている絨毯は滑らかな青色で、埃一つ見えない。
天井を見上げるとシャンデリア。
横を見ると凝った装飾のランプ。
こんなに豪華なのはいつ以来だろう。
「カイト様、おかえりなさいませ」
顔にそばかすのある、三十代くらいの女性がやってきた。
「まぁ、まぁ!綺麗な聖女様。坊ちゃんの婚約者ですか?」
「いや…」
目を輝かせた女性に、私とカイトの顔が曇る。
私はたじろぎ、星屑色の髪の毛に触れた。
カイトが困ったように上を向く。
漆黒の髪がサラサラとこぼれ落ちた。
「でも、カイト様、今週中に婚約者を決めなければならなかったのでしょう?」
「え」
私は思わずカイトを見る。
彼の顔からはすっかりと冷酷さが消えていて、幼く見える。
「…そうだったかな」
カイトがとぼけた声をだす。
そばかすの女性への信頼が感じられた。
「何言ってるんですか!」
女性が目尻をつり上げる。
一つ一つの仕草が周りを明るくする。
会ったばかりだけれど、なくてはならない存在に感じた。
水の波動が私の元に届き、私の髪を揺らした。
「…人手が足りなかったから、連れてきたんだ」
カイトが冷酷さを取り戻し言うと、女性がぽん、と音を鳴らした。
あちこちに青い光が舞う。
その光景に私は目を奪われたが、驚いたのは私だけだったようだ。
「なるほどぉ」
女性はニコリと微笑み、去っていった。
納得するのが早すぎではないだろうか。
「…カイト様。これはどういう……?」
楽器ケースを持つ手に力が入る。
「彼女はソフィといって、昔からの召使いだ」
「そういうことじゃなくて!」
彼の青い瞳が再び揺れる。
さっきよりひとまわり幼くなった彼の顔は動揺を表していた。
頭の中がハテナマークでいっぱいになりそうで頭を振る。
ゆらゆらとレースが揺れて、小さな渦を起こす。
なんだか、最初と少し、いや、めっちゃ印象違う。
温度差に目眩を覚えつつ、彼の青い瞳をじっと見つめた。
「部屋に来てもらえるか」
カイトがそう言ったとき、かすかな潮の香りが窓の外から吹き込んだ。