麗しい所有物
ガタン、ガタン。
私の白い瞳は、きめの細かい指先を捉え、ふわふわしたまつ毛は私の額に影を落とした。
──────あぁ、決まっちゃった。
私が今から行先・名家ピレシャノール家は、私がいたところよりもずっと遠く、ずっとずっと先にある。
窓についてるヒノキの板に肘をつき、窓の向こうを眺めている人物─────。
漆黒の髪に湖のような青い目の持ち主、カイト・ピレシャノール。
私は、彼の所有物となったのだった。
§§§
「さぁさぁ、聖女オークションもこれで最後となって参りました。本日の目玉商品、星の加護を受けた聖女、マチルダ・ロッティアです!」
男が叫ぶと共に、観客がわぁぁぁぁ!と騒ぐ。
─────星の加護を受けた?
全然、そんなものじゃないのに。
私は自嘲気味に微笑みながら、ステージに足を踏み入れた。
楽器ケースは右手でしっかりと持ち、しっかりとした足取りで私は歩く。
一歩歩くごとに星屑が舞い、麗しい髪の毛はふぁわりと揺れ、スポットライトの光を反射する。
自己紹介するのでさえ、疲れてきた。
私はだれとも目を合わさないようにした。
「マチルダは、聖女吹奏楽団に所属をしておりましたが─────」
嫌だ。
この先は聞きたくない。
そう。
私は聖女吹奏楽団という、聖女が楽器で音楽を奏でるという、変わった楽団に所属していた。
けれど、元は異世界転生をしてここにやってきたのである。
普通の吹奏楽部員だった私が、なんで───────。
もう、辿ってきた道のりを思い出すのさえ億劫になっていた。
「演奏を聴いていただきましょう♪」
男が楽しげにいう。
男は観客の見えないところで私にナイフをちらつかせている。
やるしかない。
けど、婚約するはずだった男性─────レガートに拒絶をされてから、怖くて怖くてたまらなかった。
また、拒絶されるんじゃないか。
でも。
どこかに私の音を認めてくれる人が、いるはずだから────。
「タタララ、リラリラリ…タタララ、リラララ、リラリラーラーラーラララー…」
あえて、前の世界で吹いていた時の曲を吹いた。
この方が、
私の思い。
私の音。
届くはずだから。
吹き終わり、伏せ目がちにお辞儀をすると、わぁぁぁぁ!と観客は立ち上がって拍手をし、騒ぎ始めた。
胸ぐらをつかみ合うもの、唾を飛ばしながら自惚れるもの──────。
さまざまだった。
その中に、たったひとり、静かに拍手をする青年がいた。
顔はよく見えなかったが、水の輝きを持った青い目をしていた。
その青年と目があった気がしたが、その青年はすでにパンフレットを開いていたため、気のせいだったことがわかった。
「さぁ、始めますよ!八億リリベルから!」
男が盛り上げる仕草をする。
八億リリベル──────日本円で50兆くらいだろうか。
私の白い瞳に黒い影が宿る。
「9億リリベル!」「9億5000リリベル!」「9億8000リリベル!」
どんどん値は細かく、さらに上がっている。
男は嬉しそうだった。
いいね。私はちっとも嬉しくない。
私が呆れた視線を送っても、男は気がつかなかった。
「15億リリベル!」
誰かが、大きく周りのものと差をつけて叫んだ。
涎を垂らした、顎に髭を生やした男。
私の首筋から体のラインを、なぞるように凝視している。
嫌だ。
頭から指の差まで、この男を受け付けない。
怖い。怖い怖い──────。
男の視線が、まるで私の中を這い回る虫のように執拗だった。
唇の端から垂れる涎が、不潔さを際立たせる。
その目は獲物を狙う猛禽のように冷たく、私を丸呑みにしようとしていた。
怖い。逃げたい。でもここから逃げられない。
「皆さん、お手上げですかぁ?聖女を枯らしては聖女を、枯らしては聖女を…を繰り返してきた、聖女愛好家のグルテンさんに決まりでよろしいですカァ?」
司会者が観客たちを煽る。
観客たちはお手上げのようで、グルルル、と唸り声を上げている。
聖女愛好家。彼は一体───────?
「それじゃあグルテンさん、前に───」
司会者がグルテンを前に呼ぼうとする。
「20億リリベル」
それを遮る、冷たく冷酷な声が聞こえた。
青色の湖のような目、漆黒の髪──────。
演奏として、私の演奏を見ていてくれた青年だった。
「なっ!卑怯だぞ!」
グルテンが勢いでステージに上がり、叫ぶ。
「その金額を払うと言っているのだから、卑怯も何もないと思いますが?」
青年が挑発的に顔を歪ませる。
女子たちを魅了する、整った顔立ちだった。
「で、でも!!ここ、こいつは俺のものだ!」
グルテンは私の肩を掴んだ。
痛い。
ギシギシと音が聞こえてきそうなほどに、フリルの上から体を押さえつけられている。
肩を掴まれた瞬間、一気に体が冷えた。
このまま、連れて行かれてしまうのではないか?
恐怖で頭が回らなくなってくる。
「市場のルールも知らずに?滑稽ですね」
青年はシュッとナイフを取り出した。
きらりとライトの光を反射する。
「お、俺のナイフ!」
司会者の男が叫んだ。
あのナイフ、見たことが───────。
司会者の男が、私にちらつかせていたナイフだ。
私はようやく理解する。
司会者の男とグルテンは、グルだったのだ。
「じゃぁとにかく、その娘を俺にくれないだろか。君の不正がバレる前に」
青年がナイフを指先でなぞり、一回転させた。舞台の小道具のように、そのナイフは光っていた。
「わ、わかりました。マチルダ・ロッティアは、冷酷で無慈悲だと有名な、ピレシャノール家長男、カイト・ピレシャノール様の所有物とに決定しました。どうぞ、お持ち帰りください」
司会者は頭を下げ、周りの反応も待たずに幕を閉じた。
急速に終わった聖女オークション。
今、なんて?
冷酷で無慈悲だと有名な?
この人もまた──────。
私はグルテンに買われなくてホッとした気持ちと、カイト・ピレシャノールに買われた、複雑な気持ちが混ざり合い、放心状態になっていた。
─────あぁ、決まっちゃった。
彼の目は、ずっと見つめ、彼の考えていることを知ろうとすると、底なし沼にハマってしまうよな、危なかしさを纏っていた。
§§§
私と、カイト・ピレシャノールは、列車を乗り継ぎ、ピレシャノール家を目指していた。
彼は何を思っているのか、ずっと無表情のまま。
整った顔立ちと、底なし沼の目だけが浮き彫りになっていた。
彼のブローチの小鳥が、私をずっと見つめていた。