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吹奏楽は君に咲く  作者: 七草小鳥
星の加護を受けた聖女
4/14

野草となった聖女は

「あの、アルバイトあるって聞いたのですが」

かつて名家の聖女だった私────マチルダ・ロッティアは、パン屋の戸を叩いた。

転生する前の名は、守谷友。

普通の吹奏楽部のテナーサックスパートだった。

だが、聖女吹奏楽団に所属するテナーサックスパートの聖女に転生してから、何もかもが変わった。

婚約破棄をされ、家を追い出され────。

私はアルバイトで生計を立てることにした。

星屑色の髪はスカーフで隠して、目の色は魔法で一時的に変えた。

「あら、アルバイト?可愛い子だねぇ」

白髪のお婆さんは穏やかに笑った。

水で満たされた異世界で、パンなんていう濡れてしまうものが存在するなんて信じられなかったけど、ちゃんと美味しかった。

「私はカルメ。あなたは?」

「…ティルって呼んでください」

マチルダ・ロッティアから、距離を置きたかった。

ティルなら、少しだけ、ほんの少しだけ、私らしくいられる気がした。

癖で星屑色の髪の毛に触れそうになる。

私は手を止め、スカーフを撫でた。

「じゃぁティル。明日からお願いするわ。こんな可愛い子が来たら、もうかっちゃうわ」

カルメは照れ臭そうに笑うと、立ち上がった。

「宿を探してるなら、ここから少し歩いた私の知り合いが経営してる宿があるの。話、通しておくわ」

「ありがとうございますっ!」

私は目を輝かせた。

世の中にはこんなにも優しい人がいるのか。

胸の内から暖かくなる。

窓から差し込む木漏れ日が、私の心と水中に溶けた。


夜がこんなに気持ちいいと感じたのは、いつ以来だろう。

転生したとき?いや、もっと前?

宿に一泊させてもらい、ここの部屋をしばらく住むこととなった。

「なんくるないさぁ」

そこの女将は、三味線を弾きながらそういった。

「なんくるない?」

沖縄弁だ。私は目をぱちっとさせた。

異世界にもあるのだろうか?

そんなはずは。

いつもよりも潮の匂いを強く感じた。

「あんた、異世界から来たろ?」

女将は優しく、大きな口を開けて笑う。

「あそこの世界は特に名前はないが、私はオキナワ出身でね」

オキナワ…オキナワ…。

異世界にしばらくいるせいか、脳が受け付けなかった。

あぁ、沖縄。 

つまり?

「異世界転生したってことですか?」

私は身を乗り出した。

ぐぅん、と顔に水の感触がする。

「そうさ。そのかんじだと、どこかの聖女様かな?」

私はばっと頭を触る。

スカーフが解け、柔らかな星屑色の髪の毛が露わになっていた。

顔がみるみる赤くなる。

家を追い出された聖女なんて知られたら…。

「カルメには言わないよ。私は、マリー」

ニッとマリーが笑う。

白い健康的な歯がのぞいて見えた。

「ティルです」

私はつられて笑う。

私の、造られたような整った歯並びが顔を覗かせた。

「しばらくしたら夕食だよ。それまで好きにしなさい」

「…はい!」

私の顔は恥ずかしさではなく、嬉しさの赤色に染まっていた。

部屋に行き、銀色のケースを引っ張り出す。

ネックも本体も美しい曲線を描き、銀色に輝く。

私の相棒、テナーサックスだ。

リガチャー(リードを留める金具)は白色なのに光沢があり、透明で魔法のように美しい。

リードをくわえ、マウスピースにあてる。

マウスピースは黒色なのにもかかわらず光を当てると紫に光った。

リードをリガチャーで留めて、ネック(テナーサックスの首の部分)のコルクに差し込んだ。

懐かしいな。

最初の頃は、組み立てるだけで精一杯だった。

音をドから上まで出すのでいっぱいいっぱいで、音色なんて考えていなかった。

私、こんなにも成長したんだ。

私の麗しい仕草も、だんだん受け入れれるようになってきた。

なんだ、強いじゃん。私。

少しだけ、瞳に希望の光が戻りつつあった。

私はそっと、きめの細かい肌を撫でた。

どんなに変わっても。

守谷友でも。

マチルダ・ロッティアでも。

私なのだ。

ネックを本体に差し込んで、ストラップを付ける。

ゆっくりと立ち上がり、部屋を見渡した。

こじんまりとした、暖かい木の部屋。

皇室よりも、どんな豪華な部屋よりも、ここが素晴らしく感じられた。

すぅぅ、と息を吸う。

みんなと揃うことはもうないかもしれない。

別の誰かと会って、揃う日が来るかもしれない。

どっちだっていい。

私はお腹に力を入れて、音色を奏でる。

決して他の色と混ざり得ない、異質な音色。

私は私の音を、愛している。


こんがりと焼けたパンの匂い。

私はパンを店内に並べていた。

美味しそうだ。

クロワッサン、シナモンロール、チョココロネ、得体の知れないパン━━━━━。

誰もが香ばしく、美味しそうだった。

作っていないのに、誇らしく感じられた。

星屑色の髪はお団子にして小さくし、三角巾で隠した。

からんからん。

ドアが開いて、ベルが揺れる。

「いらっしゃいませ」

私は笑顔をつくる。

「新しいお姉さんだー」

「お姉さんだー」

兄弟らしき小さい子供たち。

それを見守る父親。

あぁ。

胸が締め付けられた。

でも、和やかな雰囲気でこころが和らいだ。

「ティルっていいます。よろしくね」

「うん!」

「うん!」

お兄ちゃんが最初に頷き、弟が後に続いた。

「ここのクロワッサン、美味しいんだよー」

「美味しいんだよー」

兄弟たちが私にパンのプレゼンをする。

なんて緩やかで、可愛らしいのだろう。

窓から差し込む柔らかい光に照らされたパンたちは幸せそうで、ほかほかと言う音が聞こえてきそうだ。

「お姉さん、可愛いー」

「可愛いー」

無邪気な、クリクリとした目。

この子達が持っている輝きは、いつ失ってしまったのかな。

それともまだ━━━━━━。

微笑ましそうにカルメがやってくる。

「おばぁさん!」

「おばぁさん!」

きゃっきゃと兄弟たちが戯れた。

「クロワッサン買って帰るぞ」

お父さんが兄弟たちに呼びかけると、兄弟たちは口をへの字に結んだ。

「えー」

「えー」

シンクロする兄弟。

私はなぜか、モーリスのことを思い出していた。

「わかったよう」

「わかったよう」

兄弟たちはしょんぼりとしていたが、その目は輝いていた。

「じゃあねぇ!」

「じゃあねぇ!」

兄弟たちはクロワッサンを抱えて店を出て行った。

「パン屋っていい仕事ですね」

私はカルメの方を振り返った。

「でしょう?」

カルメが微笑んだ。

「さぁ、これからよ」


宿への帰り、たんぽぽを見かけた。

野草の、花。

私も、たんぽぽのように生きていけるだろうか?

私はたんぽぽをさらりと撫でた。

まだ、根は生きている。

野草となった聖女。

例えネモフィラのようじゃなくなっても。

全てが変わっても。

生きていける━━━━━━。


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