異世界転生の婚約は…
甘ったるく湿った潮の風が流れる。
私は姿見を見る。
───あぁ、嫌だ。
今日が婚約をする日なんて信じたくない。
フリルのたっぷりついた水色のドレス。
シャンデリアのような飾りがいくつもついたバレッタ。
青のアイシャドウ、バラ色の口紅、そして星屑色の髪と白色の目。
私がどんなにみんなとおんなじように着飾っても、異質なのは明らかだった。
私────守谷友は、マチルダ・ロッティアとして、麗しい聖女に生まれ変わってしまったのだった。
だから────。
根本から違う。
魂が違うのだ。
放つオーラが、水と油のように周りに溶けず、皆を釘付けにする。
美しく、麗しく───────。
私を捕まえて逃さない。
§§§
私は前日、気になることがあって、モーリスの部屋へいった。
モーリスは椅子に腰掛け、こちらを向いた。
「どうした?」
挑発的な目は変わらないな、と思う。
変わっているとすれば、服がパーティー仕様になっているところだ。
「前の私って、どんな人でしたか?」
私が尋ねると、モーリスは吹き出した。
「くっ…」
笑いを堪えているようだった。
私と同じ星屑色の髪の毛が顔にサラサラとこぼれ落ちていく。
「前のマチルダなんか、いなかったよ」
…?いなかった?
私はってっきり、マチルダの体に魂が入り込んだのだと思っていた。
「お前は突然、現れたんだ」
「はえ?」
ひどく間抜けな声が出た。
オロオロし、星屑色の髪の毛に触れる。
「何かの魔法が働いてるのかは知らないが…。マチルダとの偽の記憶が急に頭に入ってきたんだ。気づくやつは気づくし、気づかないやつは気づかない。美しさに見惚れて大体のやつはなにも考えないんだな」
私は彼の手に視線を落とした。
「え…」
急に美しいと言われてびっくりする。
いや、そこじゃない。驚くべきなのは─────
「魂が異質なんだな、それで物珍しさに惹かれる奴もいれば、毛嫌いする奴もいる。惹かれるやつがほとんどだ」
モーリスが空を掴む仕草をする。
幼い犬歯がのぞいて見えた。
どうしてこんなに知っているのだろう?
§§§
婚約の儀式前の最後の合奏だ。
銀色の優美な楽器、ハイレベルな演奏…。なんだかんだで楽しんでしまっていた。
私はまだ、諦めきれてない。
初恋相手の──────前谷涼を。
彼は私の幼馴染で時々恋愛的なそぶりを見せるものの、それが私に向けてなのかは、よくわからなかった。
爽やかで、少しぶっきらぼうで、青がかった瞳の持ち主。
私はずっと、諦められなかった。
他の人のことは苗字で呼ぶくせに、私にだけ友って呼んでくるところや、正直すぎるところ…。
全てが、好きだった。
指揮者が構える。
すぅぅぅ、と息を吸う音が揃う。
フルートの小鳥のような声で始まり、クラリネット、サックス…と加勢していく。
そういえば私は最初、フルート希望で入部したんだったなぁ。
だけど、サックスの先輩が優しくて…可愛くて…とにかく、かっこよくて。
それで、サックスを第一希望にしたんだった。
そして、パーカッション。
先輩のスネアドラムとティンパニ、トライアングル、タンバリン…全てがカッコよかった。
自由曲と課題曲のパーカッションと、管楽器、弦楽器がかっこよすぎて、毎回先輩たちの演奏を聞くたびに感動していた。
もういっかい、ききたいなぁ。
滑らかな銀色のテナーサックスは、私の相棒になりつつあった。
主旋律の時も、主旋律じゃない時も、ずっとカッコいい、テナーサックス。
私はこの楽器が、大好きだ。
吹き終わった後は、なんとも言えない満足感が漂っていた。
この吹奏楽団を脱団しなければならないのがものすごく名残惜しかった。
儀式の場所へと向かう馬車が到着した。
「お幸せに」
リーシュが目に涙を浮かべて言う。
この子は私の何をみているのか。気分が悪くなった。
美しい仮面を壊さぬまま、皆に手を振り、馬車に乗り込んだ。
ギシギシと木が軋む。
馬車の中には美しい小鳥の彫刻が彫られていた。
内心そわそわしていて、どうなるんだろう、と怖かった。
儀式は、誓いの曲を自身の楽器で演奏し、指輪に魔法をかけるというものだった。
異世界転生って、こういうの、成功って────────。
考えるのをやめ、窓の外を見る。
柔らかい光が水の中の木々を照らす。
サワサワと心地よい音がするけれど、私の心はおさまらない。
「つきました、聖女様」
馬車の運転手が惚れ惚れとした目で私をみた。
私はお辞儀をすると、逃げるように外へ出た。
どこにも逃げ場なんかないのに。
そこはとても美しい場所で、噴水があり、花々が気持ちよさそうに踊っていた。
青いアネモネ、ネモフィラ────。
ネモフィラ。
私が一番大好きな花。
小さくて可愛らしく、儚い。
5月の涼しげな風に揺れる姿を見るのが大好きだった。
私は召使いと共に、屋敷の庭へと入っていった。
婚約相手、レガート・キルガシア。
黒い漆黒の目の持ち主で、髪は銅色。
顔を見た途端、不安になった。
漆黒の、冷たい目。
「今から、儀式を行います」
私はテーブルに置いてあるテナーサックスを手に取る。
マウスピースをくわえ、伏せ目がちに私は吹き出した。
伸びやかな、異質で美しい音。
庭には柔らかい光が差し込み、ネモフィラたちを照らしていく。
やがて吹き終わると、指輪が水色の光を帯びていた。
「…」
レガートが、息を吸い、ため息をついた。
私の心の臓はいつになく波打っていて、私の顔は青ざめていた。
「お前の音は私の望むものではない。異質だ」
ガツンと頭を殴られたようだった。
声が出ない。
音を、否定された。
私の音は異質で、望むものではないと────。
「これでは、婚約など到底聞き入れられない。音が命の聖女が、これほどでは」
レガートは淡々と続ける。
はぁ、はぁ。
息が苦しくなる。
今の私を見て、私は心底呆れていた。
あれだけ嫌がってたくせに、断られるとこうなの?
異質って認めてたのに、人に言われたら嫌なの?
違う、違う。
私は、私は──────。
もう価値のない、人形になってしまったのだ。
「婚約を破棄させてもらう」
追い打ちをかけるようにレガートが指輪を池に捨てる。
あぁ!
私は目に涙を浮かべた。
どうして私はこんなに、悲しんでいるのだろう。
今まで崇められてきたものの、価値がなくなる瞬間。
レガートは去っていく。
あぁ、あぁ!
どうして私はこんなに、惨めなのだろう。
「マチルダ。もうお前の価値はない」
父の声が上から降ってきた。
「自分で生活しろ、家に帰って来るな」
私の目から涙がこぼれ落ちる。
悲しかった。
見捨てられるのが。
それがたとえ、あったばかりの家族であったとしても。
「モーリスがいたら面倒だった」
父がつぶやいた。私に聞こえるように。
そうだ、モーリスはいないのだ。
父が追い払ったのだ。
「……」
冷静な私もいた。
異世界転生の婚約なんて、大抵うまくいかないって、わかってるでしょ?、と。
私の涙は、花になって散った。