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吹奏楽は君に咲く  作者: 七草小鳥
星の加護を受けた聖女
2/14

庭に咲く楽団員

静寂。

私は目を覚ますと、朝食を済ませた。

私────守谷友は異世界に転生して以来、マチルダ・ロッティアとして生活している。

星屑色の髪、白色の目、魅力的な首筋────。

私は、聖女に転生してしまったのだった。


どうにも私は名家の聖女らしく、召使いが5人ほどついている。

屋敷の中は輝かしく、どこもかしこも絨毯が敷かれており、どれも青色調だった。

転生した日、家に帰るなり召使いたちが押し寄せてきて、私にドレスを着せた。

銀色の魚の刺繍が入ったドレスは一歩進むだけで華やかに光り、花の装飾が施されたかんざしは涼しげに揺れた。

楽器を吹くため口紅など皆(楽団の人たちは)していなかったのだけど、あれよあれよと私はあっという間に、メイクアップまでされてしまった。

ロッティア家の血筋のものはみな白色の目をしていて、華やかだった。


部屋を出て廊下の壁の魚の彫刻をなぞりながら歩いていると、1人の男性にでくわした。

モーリス・ロッティア。

マチルダの、兄だ。

私と同じの星屑色の髪、白色の目…。私と違うとすれば、顔つきがキリッとしていて、男らしいところだろうか。

マチルダの二つ上の20歳で、若かりし後継だ。

「おはよう、マチルダ」

モーリスが片手を上げる。

白いジャケットに、腰に挿してある短刀を見ると、少し気が滅入る。

だけど、滅入っていたら、この人とは付き合えない。

「おはようございます、お兄様」

私はドレスの裾を上げて挨拶して、去ろうとした。

「ちょっと待たないか、マチルダ」

青い手袋をした手が私の腕を掴んだ。

私は慣れてなくて、赤面する。

私はただの、もと吹奏楽部員なのだ…。

いきなり男子に腕を掴まれて平常心ではいられない。

「なんだ、恥ずかしいか」

モーリスが私の顔を覗き込んだ。

挑発的な、白い目。

「あ、いや…」

深呼吸して息を整え、真顔になった。

こう見えて、ポーカーフェイスは得意だ。

「なんでしょうか」

私はモーリスに向き直った。

カツン、と靴が音をたて、廊下に響く。

潮風が私の頬を撫でた。

「もうすぐ、この屋敷を出ていくだろう?」

私は頷いた。

あと2週間もないくらいだ。

婚約なんてしたくないし、自分の結婚相手は自分で決めたい。

私には、前の世界で好きな人がいたのだから。

「どうだ?」

モーリスが尋ねてくる。

私は目を合わさないようにするので必死だ。

いや、どうだ、とは。

なにをいってるの?

私は首をかしげる。


 モーリスは、ふっと笑った。

「……婚約の話さ」

潮の香りを含んだ風が、ふたりのあいだを吹き抜ける。

「嫌なんだろ?」

不意を突かれた。私は目を瞬かせた。

私は不安になり、星屑色の髪の毛に触れる。

「お前、昨日の晩餐のときも魚の身ばかり突いていて、全然話を聞いてなかっただろう」

ドキリとした。

たしかに私は、貴族たちの話し声をただの“BGM”のように聞き流していた。

気持ちはずっと、サックスの音に飢えていたのだ。

演奏したくて、音を鳴らしたくて。

私は身構える。

叱りにきたのかもしれない。

なってない。聖女の基本が───と。

「嫌なら、逃げてもいいんだぞ」

モーリスの声が、妙に静かだった。

「……え?」

「婚約なんて、ロッティア家の義務にすぎない。誰も、お前の気持ちを聞こうとはしない。だが俺は──少しくらいなら、聞いてもいいと思っている」

見れば、彼の目は真剣だった。さっきの挑発的な色はなかった。

彼は、ものすごく短い間、どれだけ私をみてくれたのだろう?

「お前が、もし今でも……“あっちの世界”に帰りたいと思ってるなら」

私は息を呑んだ。

モーリスの白い目が、私の心の奥を見透かしているようで──怖かった。

「……知ってるんですか? 私が……」

言葉にするのも、怖かった。

モーリスはふっと目を細めた。

「さぁ?」

モーリスはさっきの調子に戻っていた。

私は思わず、自分の髪を指先でつまんだ。

星屑色──この世界にしか存在しない、淡い銀と黄色と青の入り混じった、不思議な色。

「俺は、そういう話も嫌いじゃない」

そう言って、モーリスは腕を放した。

「行ってこい、マチルダ。今日も楽団の練習だろう? 音に生きるお前のほうが──よっぽど聖女らしい」

「お兄様……」

彼の背中が遠ざかる。私は、名残惜しさに指を伸ばし──やめた。

その背中に、何も伝えられなかったけれど。

ただ一つだけ、確信した。

私を、この世界で見てくれている人がいる。

ならば、もう少しだけここで生きてみても、いいのかもしれない。


朝の光は水面に溶け、ゆらゆらと揺れる。

マチルダ・ロッティア──いや、かつての私は、守谷友。

そんな自分の名前を口にするたび、胸の奥に違和感が湧き上がる。

この世界に転生してからというもの、まるで誰かに縛られているかのような気がしてならなかった。

星屑色の髪も、白色の瞳も、まるで仮面のように重くのしかかる。

周囲の人々は私を聖女として崇めるけれど、私の心はそれを拒んでいた。


召使いたちが着せてくれた銀色の刺繍のドレスは、まばゆい光を放ち、優雅に揺れる。

しかしその豪華さは、私の孤独を隠すための仮面のように感じた。

召使いたちは私の服を脱がせ、聖女の服を着せた。

誰もが私に期待し、求める音色を奏でることを強いる。

けれど、どこかで違うと感じている自分がいた。私は私でいたい。

ただの吹奏楽部員で、ただの守谷友で。

それがたとえ、マチルダでいることになろうとも。


そんな私を唯一救ってくれるのは、楽器の音だった。

銀色に輝くテナーサックスを手に取ると、まるで世界のざわめきが静まり、私だけの世界が広がる。

「音は嘘をつかない」───誰かが言った言葉を思い出す。

音楽だけが私の本当の声を代弁してくれる。

どんなに違和感や孤独に押しつぶされそうになっても、この音だけは私を裏切らない。


銀色の譜面台に譜面をたて、構えた。

周りの人たちと音を合わせる。

ぴたりと音が合うことは吹奏楽部でも少ないが、ぴたりと合うとみんなとの心が一つになった感触がする。

聖女には「奏書」という聖典があり、その通りに吹くと傷を癒したり喜ばせたり、動きを封じたり、闘ったりすることができる。

でも私は決して、その通りには吹きたくなかった。

作者の意図や、記号の意味。

全てを読み取ってこそ、最高の物語ができると信じていた。

滑らかな金属光沢をもったテナーサックスは、私の手にすっかりと馴染んでいた。

それが喜ばしくもあり、恐ろしくもあった。

「『聖女の祈り』最初から」

指揮者、マイデント・スチュワリーが指揮棒を上に上げる。

紫色の髪を結った彼女も、今年で引退だ。

水色のグラデーションのその指揮棒は、光を反射し、儚げに光った。

すぅぅ、と聖女たちの息の吸う音が揃う。

柔らかく、息を吹き込む。

指揮者を見ながら指を動かし、音色を奏でる。

不安だ。

でも。

最高に楽しい。


聖女吹奏楽団は、もう一つ別の仕事がある。

個人で活動して、リクエストに応えて演奏をすることだ。

私は今日、指名されてしまった。

金髪の中年男性は、黄色の椅子に腰掛けた。

青色のカーテンが揺れ、庭が見える。

嫌だなぁ───私は直感的にそう感じた。

「膝の怪我を、直してくれますか」

男性は頬を赤らめながらそういった。

この人の怪我を治して、私はなにになるのだろう。

この人に美しい姿を披露して、なにになるのだろう。

どうして私は────。

「わかりました」

私は目を伏せた。

長いまつ毛が額に当たる。

「聖女の祈り」

私はそう呟き、テナーサックスを構えた。

光沢のある楽器は、ほんわりと光った。

私が息を入れて吹くと、キラキラしたものがベルからゆっくりと流れ、男性の膝へと向かっていく。

これが、魔法だ。

メゾフォルテからのフォルテ。

スラー、タンギング。

私は邪念を払いながら、なんとか吹き切った。

「美しいです」

私はその言葉をもう受け付けようとしなかった。

私は男性の手を握り、歌うと、お辞儀をして部屋の外へ出た。


部屋を出ると、重たい空気が肩にのしかかるようだった。

廊下の青い絨毯の感触もいつもより冷たく感じる。

「膝の怪我、よくなるといいね……」

自分の声が小さく響いて、どこか遠くに消えていく。

庭を見下ろす大きな窓の向こう、柔らかな午後の日差しが揺れている。

だけど、私の心は沈み、先の見えない闇に包まれていた。

“私がこの世界でできることって、本当にこれだけ?”

そんな疑問が胸の中で膨らんでいく。

私は頭を振り、練習室へと歩き出した。


練習がおわり、屋敷に戻ると、ロッティア家当主の父が書斎で待っていた。

「お前、今日の仕事はどうだった?」

そう穏やかに尋ねられたけれど、私は答えに詰まる。

父の顔は少し曇り、低い声で言った。

「マチルダ、聞いておけ。聖女を辞めて職を失った者は、街に出ると危険だ。盗賊に狙われ、攫われてしまう話は多い。売り飛ばされたり、取り返せないこともある」

「え…?」

もし失敗したら、私は、私は…!?

「失敗したら、保証はない」

父の声は冷たく、まるで私がもう価値のない物のようだった。

「この家の聖女としての役目を果たせなければ、用済みだ。外の世界は甘くない。お前の身がどうなっても、俺には関係ない」

その言葉に、胸の奥がぎゅっと締めつけられた。

守ってくれるはずの父が、こんなにも冷たいなんて。

──大丈夫。心を強く持って。

彼の、声。

私の初恋相手の─────────。


「……それでも、私には音があります。音だけは裏切らないはずです」

そう言っても、父は冷ややかな目を逸らした。

「音がどうした? 聖女に必要なのは結果だ。お前の感情なんて、誰も求めていない」

私は握りしめた拳が震えるのを感じながらも、必死で自分を奮い立たせた。

冷たい言葉に耐え、笑顔を作る。

泣きそうになりながら、書斎を後にした。

麗しい髪の毛がひらりと舞い魅力的な首筋があらわになった。

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