ガラスのフィルター
「…行くか」
銀色に光る楽器ケースを片手に持ち、ふっと息を吐いた。
私はもう名家の聖女、マチルダ・ロッティアではないのだけど、未だに人の目が怖い。
「マリーさん、行ってきます」
「そうかい、いってらっしゃい」
マリーは快く送り出してくれた。
マリーが経営する宿は一本に伸びる道の上にあり、その道から山になるように周りが斜面になっている。
馬車などが通りにくいため、人通りが少ない。
星屑色の髪をいじりながら歩いていると、街が見えてきた。
物騒だけど、マリーにせがまれて持たされた短刀があるから、少し安心だ。
皮に包まれた短刀があることを確認すると、私は街に足を踏み入れた。
賑やかな街中。
カラフルな、ポップコーンのお店、ショーケースに並べられたおもちゃたち。
全てが色鮮やかだ。
ターン!タラリラリララーラ!
突如聞こえてきた拳の効いた楽器の音が、私の耳を貫いた。
ふとその方向に視線を投げると、銀色に光った、バリトンサックスを吹いている女性がいた。
かぐや姫カットの髪を乱雑にひとまとめにしており、ベースのネイビーの中にピンクがあるような、不思議な髪色をしている。
すごい、上手だ。
「……」
続々と人が集まり、バリトンサックスのケースに投げ銭をしていく。
よし、私も。
人の間を縫って、バリトンサックスのケースに銀貨を一枚落とす。
ぱっと顔を上げると、女性と目が合った。
全てを知っているかのような、黄金色の叡智の瞳。
演奏が終わったようで、街の人通りは元に戻っていた。
「ねぇ、あなた、もしかして聖女?」
「えっと…」
返答に困った。
私は今、聖女…なのだろうか。
「それ、サックスだよね?」
女性が私のサックスケースを指差した。
「はい」
少し不安になり、星屑色の髪の毛をいじった。
「ちょっと話さない?」
鋭い猫目。
広く大きい口。
優艶さを纏った女性だったけど、何故か信頼できた。
⌘⌘⌘
「ごめん、ナンパっぽくなっちゃって」
綺麗な手を合わせる女性────名前は、キャサリン。
「いえ…」
落ち着いたシャンソンが流れる古風カフェ。
混んでるわけでも、空いてるわけでもない。
「ここ、田舎町だけど、結構身なりも良さそうだから、訳ありちゃんかなーって」
くるくると、手元でアイスティーの氷を回すキャサリン。
「そう…ではありますね」
訳あり、ではあるのだけど。
キャサリンは、占い師のような不思議な雰囲気をまとっており、凹凸に富んだ体型をしている。
聖女ではなさそうだ。
「私、マチルダっていいます」
その時、キャサリンの目が大きく見開かれた。
「マチルダ・ロッティア?」
その名を呼ばれ、どきりと心臓が跳ねた。
偽名を使った方が良かっただろうか。
カイトにも口酸っぱく言われていたのに…。
「おー、名家の聖女様とは、驚いた。私の名前、聞いたことない?キャサリン・ベエレラス」
キャサリン・ベエレラス?
たしか…。
「賢者の一家の…?」
おー!とキャサリンはかぐや姫カットを揺らした。
「そう。だけど、聖女になりたいんだよね。楽器で魔法も使えるようになったし」
「まさか、独学で?」
マチルダになったのは16歳からだけど、同じ楽団にいた団員の話によると、聖女は何年か教育を受けるそうだ。
その中でも、楽器の魔法の習得は難しい。
独学でできるようなものじゃない。
「すっごいでしょー」
胸をはるキャサリン。
クールな女性かと思ったが、意外にお茶目なのかもしれない。
ずぞぞ、とアイスティーをキャサリンが啜った。
くるり、と透明な氷が回る。
「あの、私、陶器の魔物について情報が欲しくて」
キャサリンに話を聞いてみることにした。
「あぁね…でも、どうしよっかなぁ」
優艶なポーズをとるキャサリン。
数分間の沈黙の後、ようやく口を開いた。
「交換条件」
ぴしっと、キャサリンが私の前に人差し指を立てる。
「私が開催するライブに──────出演して」
キャサリンの大きな口が、言葉を告げた。
この一言は、私の人生を変えたと言っても過言ではないくらい、私を変えた。




