続・あの人の影
前谷涼。
私の友達でもあり、憧れの人でもあり、好きな人。
世界を超えた先で、会えるのなら━━━━━。
そんなことを考えていた。
***
彼が、異世界転移をして、暮らしている。
そう思いたかった。
「…マチルダ」
声が降ってきて、はっと、顔をあげる。
空中で視線がぶつかった。
「知り合いか?」
カイトの声は震えていて、顔も青ざめている。
何か恐ろしいものを見るように、彼の目はさざなみだっていた。
様子が変だ。
「昔の…っていうか」
セシル…涼くんの姿をした彼を、そう確かめたわけでもないのにそう言ってしまう。
髪の毛に触れると、しゃらりとネモフィラの髪飾りが銀色に光った。
私が曖昧に口を動かしていると、カイトは困ったように前髪をいじり出した。
漆黒の髪が、踊りだす。
グリグリと、前髪同士を擦り合わせるように。
知っている気がした。
それが何なのか掴みかけた時、ミアに声をかけられた。
「マチルダ。そろそろ全員が到着なされるわ。演奏の準備をしておいてね」
掴みかけていた感覚がヘリウムの風船のように飛んでいき、セシルにであった高揚感もどこかへ飛んでいってしまった。
足元にある銀色の楽器ケースに目を移す。
そして、カイトの椅子の下に、細長い、不自然な形の黒いバックがあったことに気がついた。
あ、これ━━━━━。
それが何かに気づいたとか、
「マチルダ、急ぎなさい」
上から高圧的な声が降ってきた。
仲裁をしてくれるエドワードは、何も声をかけてくれず、カイトも黙ったままだ。
心の中でため息をつき、宇宙の片隅のようなリードを取り出す。
口にくわえ、マウスピースと、透明なリガチャーを取り出す。
どんな状況に置かれても、楽器を組み立てる時は楽しい。
私も、楽器を買ってもらったときは、組み立てるのも、片付けるのも楽しかったな。
優美な曲線を描くテナーサックスは、アルトサックスとはまた違ったかっこよさがある。
最初に来たよりも、人は少ないように感じられた。
私がちゃんと確認していなかったからかもしれない。
セシルを視界の端で捉える。
準備が終わった時、私はほっと息をついた。
大丈夫━━━━━━。
だけど、いつものように心臓は治らない。
彼が、私を私だと信じてくれなかったら。
そんな不安が私の脳にしがみついて離れなかった。
不安があるなら、打開策を見つけるのが先だ。
彼に、私が守谷友だと気がついてもらえるような音を、届けよう。
「タタタティティ、トトティ…タタタティティ、トトティ…」
私の学校の十八番だった曲だ。
気がついてくれるだろうか。
そして、私の音だと。
吹いていた時の記憶はない。
すぐに顔色を確認できなかったけど、うまく演奏はできた。
冷たく滑らかなテナーサックスの感触が、手に残っていた。
その時、一番驚いていた人物が、私の予想もしない人物だったことに私は気づいていなかった。
§§§
「マチルダ様。ベッドで寝そべってはいけません」
アンナが私を嗜めるように言った。
アンナの目線の先は明らかに私の髪に向けられている。
なぜなら私は今寝そべっていて、星屑色の艶やかにひかる髪がベットに広がっていたからである。
もう、茶会なんてやってられるか。
聖女として張り詰めていた私は、疲れ切ってしまったわけである。
シャンデリアが水に揺られて光るのを眺めながら、腕もベッドなら投げ出す。
あぁ、高校生に戻りたい。
ここで、裕福な暮らしをさせてもらっているだけマシなのかな…。
「……」
「マチルダ様、服を動きやすくして、髪飾りも取りましょう」
その言葉に私は起き上がる。
さっきから胸が締め付けられてて苦しかった。
ドレスを解いてもらい、緩やかなワンピースへと着替えた。
肩の荷が降りるように、体もふっと軽くなる。
これ、私の高校の制服に似てる。
白のポロシャツに、水色の繋ぎワンピース。
水色ではないけど、デザインがそっくりだ。
懐かしくて気分があがり、くるくると踊る。
ふわっ。ふわっ。
スカートが膨らみながら回っていく。
それとシンクロして星屑色の髪も宙を舞い、白色の目は陶器のように輝いた。
セシルに無視されてしまい、帰られたことも何処かへ飛んでいく。
あの後、セシルには何も声はかけられず、待ってみたものの、セシルは現れなかった。
けれども、その後私のポケットにポピーのボタンが入っていることに気がついた。
セシルの髪色と同じような、綺麗で儚いオレンジ色。
童心に帰ってくるくると回っていると、扉にカイトがいることに気がついた。
え、みられてた?
がっつりみられてる!
そう確信したのは、カイトが気まずそうな顔をしているからである。
じゅっ、と周りから音がした。
水が蒸発してる!
顔がそんなにも暑くなっていることに驚きつつ、カイトは私に用があるのだと気がついた。
漆黒の艶のある髪に、底なし沼のような澄んだあおい瞳。
「何でしょう」
カイトに駆け寄ると、ふわっとスカートが水に揺れた。
「君は一応、今の所、身寄りのない聖女だ。俺とまだ契約をしていないから」
「はい」
「だから…うちにこんな仕事が回ってきたんだ」
カイトから髪が差し出される。
……魔物の討伐依頼?
細やかな字で、そう綴られていた。
え?
「最近街に出てる子供の魔物が騒ぎを起こしてるらしい」
「それを……私に……?」
カイトがこくりと頷く。
「む!無理です!」
ブンブンと両手を振って否定する。
こんな私なんかに、できるはずがないのだから。
カイトは辺りを行ったり来たりした後、ぽんぽんと私の頭を撫でた。
シルクのような髪の天使の輪が、行ったり来たりする。
顔はこっちを向いておらず、よく見えない。
状況を理解した瞬間、赤面した。
最近顔が赤くなりすぎてるような。
ていうか,今━━━━━━━━。
「頑張って」
カイトはそう言葉を絞り出すようにいうと、私の部屋から出て行った。
背中がゴマのように小さくなるまでカイトを見送り、ドアを閉めた。
「うわぁぁぁぁぁ!!」
私は跳ね上がった。
その仕草はこうさぎのようで、気泡が周りに舞った。
これが……これが……。
興奮して状況がまともに理解できない。
より一層私の周りには異質が漂い、気泡がビー玉のようにかがやいた。
「恋人…」
麗しい私の唇が憧れていた言葉を告げる。
私と一緒に顔を赤くしているメイドを見ていると、なぜか冷静になってきた。
私、他に好きな人いるし。
嬉しさを隠しきれていないことに気づかずに、心の中でそうつぶやく。
ていうか、紛らわせて仕事を押し付けてない?!
嬉しさから怒り。
私の情緒が少し心配になる。
カイトの頼みを断りきれず、私は明日旅立つこととなった。
旅立つと言っても、そんなに遠くではないけど。
鏡の中の虚像を眺めながら、私は光を感じた。
***
「マチルダ・ローティア……もしかして」
とあるところで、1人の青年が一枚の紙を握っていた。
「━━━」
青年は空を仰ぎ、麗しい聖女の元へと歩き出した。