麗しい聖女様
━━水面の輝きが、静かに揺れている。
祭壇を囲む楽団員たち。その手の中できらきらと光るのは、すべて銀色の楽器たち。
サクソフォンも、クラリネットも、フルートも、打楽器までも──まるで湖の光をそのまま封じ込めたような、なめらかで柔らかな銀の輝き。
私はその輪の中で、そっと息を吸う。「マチルダ・ロッティア」……この世界で与えられた名を呼ばれるたびに、まだ胸の奥がざわめく。
私は、マチルダなんだ。
青色調の聖女の服を着て、星屑色の髪をハーフアップにして…。
かつての私━━━守谷友は、どこにいったのだろう?
吹奏楽部で、テナーサックスを吹いて。
舞台のスポットライトを浴び、滑らかな金色のサックスをもって、堂々と音色を奏でていたはずなのに。
§§§
気がついたら私は、水に満たされた世界に立っていた。
周りは水で満たされて、魚が泳いでいる。
鮮やかな魚たちは、どこかを目指して泳ぎ出し、私の鼻をくすぐった。
「ここは、どこ?」
じゃれる魚に聞いても、何も答えてくれない。
異世界転生━━━。
その言葉が、私の頭を流れていた。
私の手には、銀色の美しい楽器ケースが握られていた。
…テナーサックスかな。不意に私はそう思う。
私の周りを戯れていた鮮やかな魚たちは塩の流れに沿って去っていった。
私は、息を呑んだ。
銀色の楽器ケースに映る私が、別人だったからである。
潮になびく星屑色の髪。
どこか儚さを漂わせている白色の目━━━━。
青色調の、聖女の服。
しなやかな首筋は見るものを魅了し、離さない。
白色の目は手をいくら伸ばしても触れることのできない、まばゆい輝きを放っている。
私の声も、仕草も、全てが水面のように魅力的で、麗しかった。
「聖女様、ここで何してるの?」
突然声をかけられて、びくりとした。
振り返ると1人の少女がいて、その子の桃色の髪がふわりと宙に浮いていた。
「聖女様?」
私は復唱した。
「マチルダ・ロッティア様でしょ?」
少女は私の持っている楽器ケースを指差した。
そこのケースには、滑らかな字で「マチルダ・ロッティア」と彫られていた。
知らない字だったのに、読むことができた。
すると、遠くから控えめな服をきた白髪の女性が走ってきた。
「マチルダ様!どうしてこんなとこに。早く行かなければ、遅れてしまいますよ」
水の中なのに白髪の女性の額には汗が浮かんでいた。
「遅れる…?」
私は首を傾げた。
星屑色の髪がふわぁり、とゆれる。
桃色の髪の女の子が顔を赤くし、わぁ、と口元を覆った。
「マチルダ様は、聖女吹奏楽団に所属されているではないですか!それで今日から、婚約に向けての準備が始まるのですよ」
白髪の女性は私の手を握った。
私を引っ張るために握ったともみれるし、私の手に触れたくて握ったともみえる。
白髪の女性が走る。
それにつられて私も走った。
海藻がゆれ、私の足は優雅に砂を舞い上げる。
しばらく走ると、宮殿がみえてきた。
トルコ色の石は滑らかに弧を描き、上へ伸びている。
門番が敬礼すると、私は何をしようかまよったが、お辞儀をした。
門番の視線が、私の目にいったのがわかった。
白髪の女性の話によると、私の目は、ロッティア家の血筋である証らしい。
「ここです」
宮殿の中に入り、右に曲がったところの大広間だった。
魚の形を模したシャンデリアがキラキラと揺れ、私の額に影を落とした。
聖女吹奏楽団。
聖女で形成されている楽団で、聖女は楽器を吹くことで魔法を使ったり、貴人を癒したりするらしい。
皆、それぞれの楽器で音出しをしていて、様々な音が聞こえてくる。
「マチルダ様!来ないかと思いました」
そう言いながら照れ笑いを浮かべる白髪の少女は、
私の一年後輩のリーシュ・マリガンテ。
ここの吹奏楽団は一年に一度、名家の聖女たちを集めて試験を行い、一年に30人程度聖女を入れるのだ。
そして6年過去の楽団で演奏を行なった聖女は、パートごとに決まった名家との婚約する規則だ。
白髪の女性に不思議に思われながらも質問をした甲斐があった、と思った。
マチルダ・ロッティアは、6年目。
つまり私は━━━━二週間後、婚約をするということなのだ。
転生して、婚約なんてスピードが速いにも程があるわ…。
部屋の隅にはフリルのついた私のものらしき荷物があった。
リーシュが私の荷物を持ってきてくれたので、早速私はリードケースを取り出した。
サックスは金色だから金管楽器だと思われがちだけど、木管楽器なのだ。
サックスは、リード、という木を削ったものを震わせて音を出す。
楽器を吹ける嬉しさを噛み締めた。
滑らかな楽器ケースを開けると、中には輝く銀色のテナーサックスが収まっていた。
優美で、美しい。
テナーサックスのネックは滑らかな曲線を描き、質感も滑らかだ。
水の世界にぴったりだと思った。
リードを取り出して、目を見張る。
リードが深い青色だったのだ。
そのリードは、先にかけて深みが薄くなっていて、宇宙の片隅のような、そんな雰囲気を漂わせている。
普通は、肌色がかった茶色なのだけど…。
心臓をドキドキさせながらリードをくわえる。
その仕草を見ていたリーシュが、ほおを赤く染めた。
「うつくしいです」
そして、マチルダ・ロッティアと化した私を交えての合奏が始まった。