表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
舞風学園演劇部 2年編 大会への道  作者: 舞風堂
第一章 後輩入部、8人へ
7/8

第七幕 衣装か演技か、まひるの悩み

 土曜の朝。

 舞風学園の制服ではなく、生成りのエプロンを身につけた成川まひるは、古いミシンの前に座っていた。

 カタカタと規則正しく針が上下し、鮮やかな朱色の糸が布の縁をなめらかに縫い合わせていく。


 窓から射し込む光が、布の表面で柔らかく揺れた。

 まひるは唇を結び、目の前の布にひたすら集中していた。


 背後から、布を裁つ鋏の鋭い音が響く。

 母・成川美沙は長年の経験で無駄のない手さばきを見せていた。

 さらに奥の和裁台では祖母・初枝が黙々と糸を通し、着物の裾を直している。


「……まひる、縫い目が少し寄ってる」

 美沙がふと視線を送る。


「……はい」

 まひるはすぐに糸をほどき、やり直す。声は小さいが、迷いはない。


「一度の失敗で気を落とさかいのよ。大事なのは正確さだわ」

 祖母の声は低く、しかし温かさを含んでいた。


「……うん」

 まひるはわずかにうなずき、再び針に目を落とした。



 作業場の壁には、色とりどりの糸の棚が並び、白熱灯が昼間でも煌々と灯されている。

 机の上には布の切れ端やチャコペン、仕立て図。

 家族の会話は少なく、工房にはミシンの音と鋏の音だけが響いていた。


 まひるは布を返しながら、指先に小さな絆創膏が並んでいるのを見た。

(……まだまだ、未熟だな)

 心の中で小さく呟く。


 そのとき、店の入り口のベルがチリンと鳴った。


「こんにちはー」

 近所の奥さんが顔をのぞかせる。手には和装の袋を抱えていた。


「来週の舞踊会で使う着物なんですけど……裾がちょっと長くて」


 母がにっこりと応じる。

「はい、お預かりします。少し上げるだけですね」


 祖母が歩み寄って布地を確かめる。指先で軽く撫で、すぐに針目の加減を見抜いた。

「すぐ直せる。明日の夕方には渡せるよ」


「助かります〜。ありがとうございます」

 奥さんが安堵の笑顔を見せる。


 まひるはその横で、静かに裾を計りながら待ち針を打った。

 手際は確かで、余計な会話はない。だが奥さんは「まあ、しっかりしてるわね」と感心したように笑った。



 昼近く、別のお客さんがやってきた。

 今度は若い母親に手を引かれた七歳くらいの女の子だ。


「七五三の衣装をお借りしたくて……」


 祖母が頷き、奥から色鮮やかな着物を取り出してくる。

 まひるは棚から小さな帯を運び、女の子に合わせてみた。


「わぁ……! お姫さまみたい!」

 女の子がくるくると回って喜ぶ。


「とても似合ってますよ」

 母が微笑み、祖母も目を細める。


 まひるは少しだけ口元を緩めた。

(……こういう瞬間は、好き)


 けれどすぐに表情を引き締め、帯を整え直した。



 午後にかけても、作業場はずっと忙しかった。

 裾直し、仮縫い、返却されたドレスの点検。

 まひるは休む間もなく手を動かし続けた。


 家族との会話は必要最小限。

「糸を渡して」「それは裏布だから」「次はこの寸法で」

 そんな短い言葉を交わしながら、三人は一糸乱れぬ連携で作業を進めていった。


(……私は、ここにいる時が一番落ち着く)


 布の感触、糸の張り具合、アイロンの重み。

 それらはすべて身体に馴染んでいて、まひるにとっては呼吸のようなものだった。


 だが同時に、胸の奥に小さな影もあった。

(でも……部活では、私は“演じる側”にもならなきゃいけない。衣装だけ作ってればいいわけじゃない)


 ほんの少し、針先が震えた。


 祖母がちらりと視線を向ける。

「……疲れたか?」


「……ううん。大丈夫」

まひるは小さく首を振り、また布に集中した。


 その表情は相変わらず寡黙で、職人の顔をしていた。



 外では、夕方のチャイムが鳴り始めていた。


 成川衣装店の一日は、まだ続いていた。


 夜。

 工房の明かりが落ち、静けさが戻ったころ。


 まひるは自室にこもり、机に積み上げられた布見本やスケッチ帳を横に押しやり、ノートPCを開いた。

お菓子の袋を抱えたまま、配信サイトをクリック。


 画面に広がるのは、派手な衣装を纏ったアイドルアニメのライブシーンだった。

 カラフルな照明、華やかなステージ衣装、観客の熱気。


「ひゃっ……! や、やっぱ尊い……!」

 思わず口から漏れた声に、自分で慌てて口を押さえる。


 画面の中でキャラクターがターンするたびに、まひるはノートに走り書きを始めた。

(スカートは二重仕立て……裾のチュールが光拾ってる……。あ、肩のリボン、跳ねても型崩れしてない!)


 けれど、ふとシーンが盛り上がると、鉛筆を持つ手が止まる。

 キャラクターが真っ直ぐに歌う姿に、胸をぎゅっと掴まれた。


「うう……かわいい……! ああ……舞台に立つ人って……なんでこんな……」

 顔を両手で覆いながらベッドに転がり、足をばたつかせる。

(あんなふうに歌ったり踊ったり……無理、絶対無理……! でも……憧れる……!)


 やがて再生が終わり、エンドロールが流れる。

 まひるは肩で息をしながら、ノートを胸に抱きしめた。


「……はぁ……やっぱり……すごいな」

 小さな呟きが、部屋の中に溶けていった。


 そして土日が終わり、平日の舞風学園の放課後の部室。

 机の上には図書室で借りてきた童話集や戯曲が積まれている。


「よーし! 今日は朗読大会だーっ!」

 ひのりが大げさに両手を広げると、紗里が呆れ顔で肩をすくめた。


「はいはい、遊びにしないでよね。ちゃんと練習なんだから」


「分かってるって!」


 笑い声の中で、最初に本を手に取ったのは音羽だった。


「……むかしむかし、あるところに――」

読み出した声は落ち着いて淡々。けれど次の瞬間には、低くしわがれた声に変わる。

「わしは村の長老じゃ……」


 間髪入れずに甲高い少女声。

「やだー! おばけー!」


 さらに熱血少年のような声で叫ぶ。

「オレが勇者だああ!」


 部室は一瞬の静寂のあと、爆笑の渦に包まれた。


「ちょっ、勇者声カッコよすぎ! 完全にアニメの主人公!」

 りんかが机を叩きながら笑う。


「……朗読じゃなくて一人芝居になってる」

音羽は耳まで赤くしつつも、つい口元が緩む。


「わー! 音羽ちゃん笑ったー!」

 ひのりが大騒ぎし、紗里が「レアだレアだ!」と囃し立てる。

音羽は「やめて……」と目を逸らしたが、その顔は確かに楽しげだった。


 ――そして次は、まひるの番になった。


 本を胸に抱きしめて立ち上がる。

 深呼吸をひとつしてから、震える声で読み始めた。


「……むかしむかし、あるところに……おじいさんと……おばあさんが……」


 静かで、丁寧。けれど声は小さく、部屋の隅までは届かない。

 それでも、言葉のひとつひとつを大切に紡ぐように読んでいた。


「うん。聞き取りやすいけど……もう少し大きな声を意識してみて」

 七海が冷静に指摘する。


「でも、一語一語を大事にしてるのが伝わったわ。まひるちゃんらしい朗読よ」

 唯香が優しくフォローを入れた。


 まひるは顔を赤くして、ぎゅっと本を抱きしめる。


(……やっぱり、声は小さいって言われちゃう。舞台じゃ足引っ張るだけなのかな……)


 彼女の胸に、小さな影が落ちていた。


 練習が一段落して、部室の空気が少しゆるんだ。

 窓の外は夕焼け色に染まり、机の上には飲みかけのお茶と借りてきた本が積まれている。


「はぁー、今日も声出したなぁ!」

 紗里が椅子の背にもたれて大げさに伸びをする。


 その隣で、まひるは本を閉じ、膝の上でぎゅっと握りしめていた。

 朗読のときの自分の声を思い出して、胸の奥が重たくなる。


(やっぱり……私の声、小さいし……演技って感じじゃない……)


 そんな彼女の沈んだ気配を、みこがそっと見逃さなかった。

「……まひるちゃん」


「ひゃっ!? な、なに……?」

 突然名前を呼ばれて、慌てて顔を上げる。


「声は小さかったけど……ちゃんと届いてたよ。ひとつひとつ大事に読んでるの、分かったから」

 みこはにこっと微笑む。


「そーそー!」紗里も勢いよく加わった。

「てかまひるの声ってさ、なんか“安心感”あるんだよな! ゆったり落ち着く感じ? 舞台でも絶対武器になるって!」


「……安心感……?」

 まひるはぽかんとした顔で、胸の奥が少しだけ温かくなった。


「でも……私……衣装作りのときしか、自信持てなくて」

 ぽつりと、心の奥を吐き出す。


「家が衣装店だから、小さい頃からずっと布を触ってて……。だから縫ったりデザイン考えたりするのは好きなんです。

でも、演じることは……やっぱり、どうしても苦手で」


 彼女はおずおずとカバンから小さな手帳を取り出す。

 中には布の切れ端や鉛筆のスケッチがびっしり貼られていた。


「これは……?」

 ひのりが覗き込む。


「毎日、少しずつ……浮かんだアイデアを描いてるんです。

朝起きてから夜寝るまで、頭の中で“この布ならどう動くかな”とか、“照明で映えるかな”って考えてて……」


 その言葉に、部屋がしんとする。

 まひるが自分を責めるように俯いたとき――


「なにそれ! めっちゃプロの職人じゃん!」

 紗里が机を叩いて大笑いする。


「そ、そう……?」


「うん! だってアタシらなんて台本覚えるので精一杯なのに、まひるは部活以外の時間も“舞台のこと”考えてるってことだろ? それ、立派な努力だって!」


 りんかの発言にみこもうなずき、優しい声で言う。

「まひるちゃんがいるから、私たち安心して舞台に立てるんだよ。衣装って、私たちのもう一つの“役”だから」


 まひるははっとして、顔を赤らめる。

「……安心して舞台に……立てる……」


 その言葉は、彼女の胸の奥で静かに響き続けた。


 その夜。

 工房の灯りはまだ明るく、ミシンの音が遠くで響いていた。


 まひるは自室からスケッチ帳を抱えて降りてきた。

 机の上では母・美沙がドレスの裾をまつり、祖母・初枝は反物を巻き直している。


「……お母さん、おばあちゃん」

 まひるは少し緊張した声で呼びかけた。


 二人が同時に顔を上げる。


「どうしたの、まひる?」

 美沙の声は穏やかで、けれどすぐに何かを察したような眼差しだった。


「……演劇部のこと。最近、公演の練習が本格的になってきて……。私、衣装も作りたいし、演技の練習にも時間をかけたいし……」

まひるは言葉を探しながら、ぎゅっとスケッチ帳を抱きしめる。


「でも……どっちも大事で。どうしたらいいか……分からなくて」


 少し間があいた。

 初枝はゆっくりと糸を針に通しながら、落ち着いた声で言った。


「まひる。あんたが“両方やりたい”と思うなら、それでいいんだよ」


「でも……時間が……。衣装は、私にしか作れないし……初公演の時も一人で頑張ってきたから」


 美沙がくすっと微笑んだ。

「それは違うわ。衣装なら、私やおばあちゃんだって手伝える。むしろ、それが私たちの仕事でしょう?」


「え……」

 まひるは思わず顔を上げる。


「演劇部でのまひるは“役者”でもあるんだから。演じることを諦めなくていいの」

 美沙は縫い針を止め、まひるの手にそっと触れた。

「家業はいつでも手伝えるし、衣装だって一緒に作ればいい。けれど舞台で仲間と演じる時間は、今しかないわ」


 初枝もうなずく。

「そうだよ。舞台の衣装も演技も、両方があって初めて輝く。……それに、まひるが悩むのなら、私らが支えてやるのが当然だ」


「……私が、支えてもらっていいの?」

 まひるの声が震える。


「当たり前じゃない。だって、家族だもの」

 美沙は柔らかく笑った。


 初枝も微笑みながら、まひるの肩を軽く叩いた。

「大事なのは、自分がやりたいと胸を張って言うことさ」


 まひるはスケッチ帳を胸に抱え直し、じんわりと涙がにじむのを感じた。

(……衣装も、演技も、どっちもやっていいんだ)


 工房の灯りは温かく、三人の影を柔らかく照らしていた。


 部室の翌日。

 練習が終わったあと、まひるがちょっと照れながら口を開く。


「……あの、私……演技の練習も、もっと頑張ろうって思います」


「おっ、まひるがやる気モード!」紗里がすぐ茶化す。


「で、でも……衣装のことも、やっぱり大事で……。でも昨日、お母さんとおばあちゃんが言ってくれたんです。“衣装作りは家族で支えるから、まひるは演劇も頑張りなさい”って」


「へぇ〜! 優しいお母さんとおばあちゃんだね!」ひのりが目を丸くする。


「そう。だから……衣装は家族と一緒に作る。演技はみんなと一緒に練習する。どっちも私にとって大切だから……両方、全力でやります」


 その言葉に、部室がふわっと温かくなる。


「まひるちゃん……頼もしい!」みこが拍手し、

「安心しなよ! 演技は私たちが一緒に鍛えるから!」りんかが元気に笑う。

「衣装も演技も両方できるなんて……あんた、最強じゃん」紗里もにかっと笑う。


 七海も静かにうなずいて一言。

「衣装も舞台の一部。あなたがその両方を担うなら、舞風の舞台はもっと強くなるわ」


 唯香もにこやかに加える。

「ええ。まひるさんの“二つの力”があれば、きっと観客を惹き込めるわ」


 みんなの言葉に、まひるは顔を赤くしながらも、しっかりとうなずいた。

(……私、ひとりじゃないんだ)


 そして小さな笑顔が浮かぶ――。


 そして部室では練習を開始し、輪になって発声練習が始まっていた。


「アーエーイーオーウー!」

 全員が声を張る中、まひるも少し顔を赤くしながら口を開く。


「……ア、エ、イ、オ、ウ……」


 最初は小さな声。けれど、みこが隣でにこにことうなずき、ひのりが「もっとお腹から!」と声をかけると、まひるは大きく息を吸い込み――。


「アーー!」


 思ったよりも大きな声が響いて、本人がびくっとする。

「わっ、出たじゃん!」りんかが笑って手を叩き、

「うん、今のすごくよかった!」唯香も頷いた。


 まひるは恥ずかしそうに下を向きながらも、胸の奥に少し温かいものを感じていた。



 そのあとは台詞練習。

 七海が用意した短い戯曲の一節を、ひとりずつ順番に読む。


 まひるの番。

 本を持つ手が少し震えたけれど、昨日の母と祖母の言葉を思い出す。


(大丈夫……衣装も、演技も……両方やるって決めたんだ)


「……“私は……たとえ誰に笑われても、この道を進む”」


 声はまだ拙い。けれど、以前よりもはっきりと響いていた。


「……おぉ!」紗里が思わず拍手する。

「言葉に芯があったな」七海も冷静に評価する。


 まひるは少し照れながらも、胸を張って小さく笑った。

(……これからも、頑張れる。みんなと一緒なら)


 続く。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ