第三幕 舞台への仕込み
放課後の演劇部部室。
黒板にはすでに大きく「部活PR公演」と書かれていた。
春の夕暮れが窓から差し込み、8人の部員が机を囲む。
新入生を迎えて初めての本格会議、空気には期待と緊張が混じっていた。
「さて――」
チョークを置いた音屋亜希先生が口を開く。
「去年は“異世界に迷い込んだ演劇部”で旗揚げ公演を成功させたわね。今年は8人になった。新しい挑戦をしましょう。……どんな話にする?」
部員たちは顔を見合わせる。
一瞬の沈黙――そして。
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「はいっ!」
最初に手を挙げたのはやっぱりりんか。
「バトルものがいいと思います! 剣でドーン! バク転でバーン! 必殺スーパーりんかキック!!」
勢いよく椅子から飛び出し、木の剣を振り回しながらブレイクダンス風にポーズ。
「机壊すわよ」七海が冷静に制止。
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「じゃあ私は魔法少女!」
ひのりが髪飾りをキラッと光らせ、指先をひらり。
「ピコーン! 魔法少女ひのりん、参上!」
「また出たよ……」紗里が吹き出す。
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「私は……現実的な学園ドラマを」
七海は腕を組んで淡々と。
「友情や努力、日常の積み重ね。観客の心に届くのは、そういうリアルな物語よ」
「ドラマって、地味にならない?」唯香が首をかしげる。
「観客を引き込む“強さ”が必要だと思うわ」
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「わ、私は……」
みこがそっと手を挙げる。
「友情のお話がいいです。演劇部らしく、仲間の絆を大切に描きたい……」
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「じゃああたしはコメディ!」
紗里が笑顔で拳を上げる。
「観客が笑えば一気に盛り上がるし、去年もそれで助かったじゃん!」
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「わ、私は……衣装が主役でもいいと思います!」
まひるが勢い余って立ち上がる。
「和装! ドレス! SFスーツ! 縫い目の美しさを全面に押し出して――」
「お、おちつけ〜!」紗里が慌てて肩を揺さぶる。
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「私は、一人芝居に挑戦したい」
音羽がぽつりと呟く。
「声と仕草で何役も演じて……ひとりで物語を紡ぐ」
「えっ、それできるの!?」ひのりが目を丸くする。
「……やってみせる」音羽は淡々と答えた。
「1人で演じるの?8人で出るのよ」
七海は冷静にツッコむ。
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「ふむ……」唯香がまとめるように全員を見回す。
「アクション、魔法、学園ドラマ、友情、コメディ、衣装、一人芝居――八人八様。全員がやりたいことを持っているわけね」
「全部やるのは無理でしょ」七海が冷静に切り捨てる。
「でも……」
ひのりはにっこり笑って拳を握る。
「全部を混ぜちゃえば、きっと面白い物語になるよ!」
「また安直な……」七海がため息をついたが――ノートに全員の案を書き留めていた。
ここで先生が少し微笑み、
「答えは出たわね。練習を積んで、必ず“新しい舞台”を作りましょう」
部員たちは声を揃えた。
「「「はいっ!!!」」」
夜。
伊勢七海の部屋。
机の上にはパソコンと、積み重ねられた原稿用紙。画面には新しいファイルが開かれている。
指先がキーボードを軽やかに叩く。
「……また一つ、物語を書くと時が来たのね」
ペン立てに差した赤ペンを取り、台本の構想をメモしながら、スマホにちらりと目をやる。
そこには演劇部のLINEグループが光っていた。
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ひのり『やっぱ変身シーン入れようよ! ピコーンって!』
りんか『敵をバク転で回避! ←これ大事!!』
まひる『衣装チェンジ=変身! これなら魔法少女も衣装劇も両立できます!』
紗里『おおwそれアリだな! 衣装替えでギャグもできる!』
みこ『友情が軸なら、魔法やバトルも“仲間のために”で成立します』
唯香『ふむ……観客に響くテーマは“絆”。これなら一本筋が通る』
音羽『……敵役は全部、私が声で演じる』
ひのり『うおー! 完璧じゃん!』
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七海は思わず吹き出してしまう。
「……本当に、賑やかになったわね」
スマホを手に取り、短く打ち込む。
七海『了解。全部まとめる。脚本は任せて』
即座に既読が並び、スタンプが飛び交う。
(ひのりの魔法使いキャラ、りんかのスポーツキャラ、まひるのミシン……)
七海は微笑みながらPCに向き直り、キーボードを叩き始める。
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七海(独白)
「全員の“やりたい”を一つの物語に――。それが私の仕事。……さあ、新しいページを始めましょう」
窓の外、春の星空が瞬いていた。
放課後の演劇部部室。
七海がノートパソコンと数枚のプリントを抱えて入ってきた。
「……できたわ。ひとまず、完成稿」
机にプリントの束を置く。
「えぇっ!? もう!?」
ひのりが素っ頓狂な声を上げた。
「昨日の今日だよ!? 七海ちゃん、やっぱり魔法使いじゃない!?」
「すごっ! 徹夜?まるでAIみたい」と紗里が身を乗り出す。
七海は小さく息をつき、肩をすくめた。
「まぁね。でも“形”がないと稽古は始まらないから」
すると一年生たちも一斉に声を上げる。
「うわっ! 七海先輩すげぇ! アタシなんか授業のノートまとめるだけで限界なのに!」
「……速すぎる。処理能力が、人間じゃない」
「ひ、一日で台本完成って……そんなの論文並みの速度じゃ……!」
りんかは興奮で目を輝かせ、音羽は淡々とした声で呟き、まひるはメガネを押さえながら早口でまくしたてる。
三人の反応に、先輩組は思わず吹き出し、部室に笑いが広がった。
部室の机の上で、プリントの束が回っていく。
それぞれがページをめくり、ざっと目を通した。
完成稿をめくりながら、ひのりが嬉しそうに叫ぶ。
「わぁっ! 変身シーンが入ってる! 去年は“勇者ヒノリス”だったけど……やっぱり一度は“魔法少女”やってみたかったんだよね!」
七海は苦笑しながら肩をすくめる。
「去年だって十分、勇者で好き放題やってたじゃない」
「えへへ……勇者は勇者で楽しかったけどさ! でも今度は“変身して戦うヒロイン”! ほら、憧れってあるじゃん!だって定番でしょ!」
ひのりは照れ笑いしつつ、隣のまひるに視線を向ける。
「ほら、衣装チェンジのところ、まひるちゃんが頑張ってくれるって!」
「は、はいっ! こ、ここ全部……三パターン衣装!? し、しかも変身後とバトル後と日常……!?」
まひるはプリントを抱きしめ、目をキラキラさせていた。
「燃える……っ!やってみます」
「おぉー! アタシのバク転アクションもページ半分使ってる!」
りんかは身を乗り出して喜び、
「よっしゃー! 舞台で回るぞーーっ!」
「……暴れすぎると舞台壊れる」音羽が淡々と突っ込む。
「ははっ! 舞台崩壊ってコメディすぎる!」紗里が大笑い。
「……でも」みこが小さく声をあげる。
「主役の子、私……なんですね。だ、大丈夫かな……」
唯香はページをめくり、静かに口を開いた。
「台詞のバランスも良い。観客にテーマが伝わる構成になってるわ。七海、よく仕上げたわね」
七海は小さく頷いた。
「全員の要望を混ぜたから、多少強引な部分はあるけど……でも“演劇部らしい”舞台になったと思う」
その言葉に、ひのりは懐かしそうに目を細めた。
「……なんか、思い出すなぁ。去年の初舞台」
「まだ一年前でしょ」七海が即ツッコミを入れる。
「えー! でもめっちゃ昔に感じるんだって!」
ひのりは照れ笑いしながらスマホを取り出した。
「……ほら。動画、残ってるよ」
全員の視線が一斉に集まる。
机の上の七海のノートパソコンで再生ボタンを押すと――
動画サイトに上げている去年の“旗揚げ公演・異世界に迷い込んだ演劇部”の映像が映し出された。
暗転から始まり、舞台に照明が落ちる。
映像の中、勇者ヒノリス(ひのり)が木の上でジタバタしている。
(映像:ヒノリスが木の上でバタバタして降りられないシーン)
「わぁあああ……! いきなりこのシーン!?」
ひのりが顔を覆って机に突っ伏す。
「初舞台なのに、なんで私だけ最初からドタバタ役なの〜!?」
「いやいや、それがめっちゃウケてたんだって!」紗里が爆笑。
「観客、大喜びだったろ」
画面が進み、ミコリア姫が台詞を口にする。
「……あの、ここは……どこですか……?」
緊張気味の声が響き、当時の自分を見たみこが耳まで真っ赤になる。
「わ、私……声震えてる……」
「でもすごく雰囲気出てるよ!」ひのりが慌ててフォロー。
「観客から“姫感ある〜!”って声も出てたし!」
ナナミス(七海)が舞台に現れたシーン。
冷静な佇まいに一年生たちは目を見張った。
「うわ……七海先輩、別人みたい」
りんかが感嘆の声をあげる。
「舞台に出てきた瞬間、空気変わるの伝わる……」音羽も小さく呟いた。
「衣装もすごいです!」まひるが食い入るように画面を見つめる。
「ドレスの刺繍とか、光に当たって映えてる……! どうやって作ったんですか!?」
「……予算なかったから工夫よ。古着を切って縫い直したり」唯香が肩をすくめる。
「ご、工夫でこれって……逆に尊敬します……!」
やがて物語はクライマックスへ。
音屋先生が演じる闇の魔女ヴェルダを前に、4人が声を合わせて立ち向かう。
「ひぃっ……これ先生!? 怖すぎるんだけど!」
りんかが思わず肩をすくめる。
「……声の響き方が別格。舞台全体が支配されてる」
音羽が真剣な目で呟く。
「衣装の迫力もすごい……でも、動きは最小限なのにあれだけ存在感出せるなんて……」
まひるがぽそぽそと分析している。
「先生、さすがだわ。あの場面で部全体が締まったのを覚えてる」
唯香が静かに言葉を添える。
ひのりが頷きながら、少し誇らしげに笑う。
「うん……正直、先生がいなかったら、あの公演、成立しなかったかも」
「……やっぱり、このシーンは鳥肌立つな」唯香がぽつり。
「“仲間の心がひとつに”ってテーマ……胸に響いた」
映像の中で「ご観劇ありがとうございました!」と4人が一礼。
画面が暗転すると、部室にはしばし余韻の静けさが落ちた。
ひのりがにこっと笑い、拳を握る。
「ふふっ、懐かしいね。でも……次はこの8人で、新しい伝説を作るんだ!」
後輩たちが顔を見合わせ、うなずいた。
「うんっ!」「絶対成功させましょう」「……楽しみ」
新しい舞台に向けて、部室の空気は再び熱を帯びていった。
ノートパソコンの映像が消え、少しの余韻を残したまま静けさが戻る。
七海は立ち上がり、ホワイトボードにさらさらと予定表を書き込んだ。
「はい、感傷はここまで。本番までの計画を立てるわよ」
カレンダーには大きく書かれていく。
《今週:読み合わせ》
《来週:立ち稽古》
《その翌週:通し稽古》
《公演当日》
ひのりが机に身を乗り出した。
「うおーっ! いよいよ始まるって感じだね!」
「役の割り振りは仮決定したわ」
七海はプリントを全員に配る。
紙を受け取った瞬間、まひるの手が止まる。
「わ、わたし……出番少ないんですね……」
七海はすぐに補足した。
「その代わり、衣装準備をお願いしたいの。あなたの力が必要だから」
まひるははっと目を瞬かせ、顔を赤らめてうなずいた。
「は、はいっ! がんばります!」
紗里は紙を見てにやりと笑う。
「おっしゃ! あたし戦闘シーン多めだな! 派手に動いて盛り上げるぞ!」
「……あんまり暴れすぎると事故になるわよ」唯香が冷静に突っ込む。
「わ、私は……主役の“普通の子”役、ですか……」みこが台本を抱きしめる。
「ちょっと怖いけど……仲間のためにがんばるって、なんか私にもできそうな気がします」
「私はまた参謀役ね」七海が自分の配役に目を通し、軽くうなずく。
「作戦を考えたりまとめ役になったり。まぁ妥当でしょう」
ひのりは大きな声でプリントを掲げる。
「私は……変身ヒロイン!? うわーっ! やったー!」
勢い余って机の上でポーズを取る。
「今こそ友情の力で変身だーっ!」
「……完全にコメディ寄りね」唯香が半眼になる。
最後に、音羽がゆっくりと顔を上げた。
プリントの文字を見つめ、ぽつりとつぶやく。
「……私は、七変化の悪役か」
その場に小さなざわめきが起こる。
「七変化って……つまりどういう?」ひのりが首をかしげる。
音羽は無表情のまま立ち上がり、机の横に移動すると――声を変えた。
「ぐわははは! この村はわしのものだぁ!」
しわがれた老人の声。
続けざまに、甲高い笑い声。
「キャハハッ! 魔王様に逆らうなんて無駄よぉ!」
今度は女幹部。
次は低く冷たい声。
「……お前たちの友情など、偽りに過ぎない」
青年の悪役。
さらに、子どものような無邪気な声。
「やーい! お前らなんか絶対勝てっこないもん!」
場内はどよめきと笑いに包まれた。
「え、えぇ……本当に七変化してる……」みこがぽかんと口を開ける。
「ひゃー! すっげぇ! 本当に1人で全部できるじゃん!」りんかが大拍手する。
音羽は淡々と肩をすくめる。
「……役が七変化っていうから、やってみただけ」
唯香は感心したように小さく頷いた。
「その力、舞台をぐっと引き締めるわね」
「よーし! 読み合わせ、楽しみになってきたぞ!」ひのりが拳を握る。
笑いと感嘆の入り混じる空気の中、彼女たちはついに稽古の第一歩を踏み出そうとしていた。
稽古場には熱気がこもっていた。
ひのりは大きな声を張り上げ、台詞を全力でぶつける――が、勢い余って裏返り、周りを笑わせてしまう。
りんかはバク転を決めようとするたびにマットの端から飛び出し、七海に「舞台はそんなに広くないわよ」と真顔で指摘されていた。
みこはまだ声が震えるが、それでも昨日より確かに届いている。小さな一歩を、皆が見守っていた。
音羽は七変化を次々と繰り出し、老人の声、少年の声、妖艶な女の声――その自在さに、先輩たちも感嘆する。
紗里は動きのキレで場を引き締め、唯香は全体を俯瞰して一人ひとりをフォローする。
そして七海は冷静にペンを走らせ、改善点をノートに記録していた。
そんな喧噪の隅。
ミシンのリズムが、規則正しく鳴っていた。
まひるは机いっぱいに布と針を広げ、ひとり集中していた。
普段は人前に出るとすぐに口ごもり、早口で専門用語を並べてしまう彼女。
でも今は違う。
眼鏡が光り、指先には小さな絆創膏がいくつも貼られ、目は真剣に針先を追っている。呼吸は落ち着き、迷いは一切なかった。
「……ここはもっと丈夫に。舞台は汗をかくから……照明に映える色は……」
誰に聞かせるでもない声が、淡々と漏れる。
それはまるで職人の独り言。彼女の世界には、針と布しか存在しなかった。
ひのりたちの稽古の声と、まひるのミシンの音が、同じリズムで重なっていく。
舞台の上で命を燃やす者と、その舞台を陰から支える者。
形は違えど、その熱は同じだった。
――公演まで、あと数日。
舞風学園演劇部の物語は、いよいよ次の幕を開けようとしていた。
続く。