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舞風学園演劇部 第二部 大会への挑戦  作者: 舞風堂
第五章 一人のため、そしてみんなのための舞台
23/26

第二十三幕 制約の中の主役

 三学期の始業日。

 冬の冷たい空気が校舎に残る中、演劇部の多目的室には、いつもの顔ぶれが集まっていた。


「……正直さぁ」

 床に座り込んだりんかが、伸びをしながら言う。

「正月明けって、やる気出ないっしょ」


「わかる」

 紗里も苦笑する。

「頭も体も、まだお餅でできてる感じ」


「……否定できない……」

 みこが小さく頷いた。


 ひのりはその様子を見て、少しだけ笑う。

 年末年始、キャンプにクリスマス、お正月――

 楽しい時間が続いた分、空気はどこか緩んでいた。


「でもさ」

 七海がノートを開きながら言う。

「そろそろ、大会の話もしないとじゃない?」


「うっ……」

 りんかが露骨に顔をしかめる。


「三月、だもんね」

 唯香が静かに言った。


 そのときだった。


 ガラリ、と扉が開く。


「全員揃ってるわね?」


 入ってきたのは、音屋亜希先生だった。


 室内の空気が、目に見えて引き締まる。


「……音屋先生」

 ひのりが姿勢を正す。


 音屋先生は腕を組み、全員を見渡した。

「今日は、次の大会について話をします」


 誰もが黙って、言葉を待つ。


「まず前提ですが――」

 音屋先生は淡々と続ける。

「今回の大会、私は基本的に“口を出さない”」


「……え?」

 紗里が思わず声を漏らす。


「脚本、演出、構成」

「すべて生徒主体でしなさい」

「私は最低限の助言しかしない」


 一瞬、静寂。


「それって……」

 ひのりが慎重に言う。

「ほぼ、丸投げってことですか?」


「そうです」

 音屋先生は即答した。

「理由もあるが、今は言わないわ」


 ひのりは、無意識に拳を握る。


「それから」

 音屋先生は言葉を区切った。

「今回の大会には、いくつか厳しい制約があります」


 空気が、さらに重くなる。


「台本提出の期限」

「上演時間」

「演出上の制限」

「――そして、個別事情」


 その言葉に、ひのりは一瞬だけ、アリスの横顔を見る。


 アリスは、何も知らない顔で前を向いている。


「詳しい話は、次の打ち合わせで伝えるわ」

 音屋先生はそう言ってから、付け加えた。

「覚悟だけは、しておきなさい。あなた達の実力、信じてるわ」


 それだけ言うと、踵を返して部屋を出ていった。

 扉が閉まったあとも、誰もすぐには口を開けなかった。


「先生、ほぼノータッチってさ……」

 沈黙の空気の中、紗里が言葉を発し、頭の後ろで手を組みながら言った。

「それ、自由っていうか……放置じゃない?」


「自由には責任が伴う、ってことね」

 七海はノートを閉じて、静かに答える。

「脚本も演出も、全部私たち次第ってこと」


「うげぇ……」

 りんかが天井を仰ぐ。

「誰も止めてくれないやつじゃん、それ」


「……今までは、先生が“正解”を示してくれてた」

 みこが膝を抱えたまま、小さく言った。

「……それが、なくなるんだね……」


 その言葉に、全員が一瞬だけ黙った。


「でも」

 唯香がゆっくり口を開く。

「生徒主体って、演劇では珍しくないわ」

「プロの現場だと、もっと厳しい状況もある」


「それは……そうだけどさ」

 紗里が視線を落とす。

「私たち、プロじゃないし」


「うん」

 まひるも頷いた。

「……失敗したら、そのまま本番になる……」


 空気が、少しだけ沈む。


「……制約、って言ってたよね」

 音羽が控えめに言った。

「台本とか、時間とか……」


「“個別事情”も」

 七海が補足する。

「その言い方、引っかかる」


 ひのりは、みんなの声を聞きながら、何も言わずにいた。

 輪の中心に座っているのに、少しだけ外側にいる感覚。


「……制約があるのは、悪いことじゃないわ」

 そのとき、アリスがはっきりと言った。


 全員の視線が、自然と集まる。


「条件がある方が、舞台は締まる」

「期限があるのも普通。むしろ、甘い環境より健全よ」


 言葉は冷静で、理屈も通っている。

 けれど――


「……それはさ」

 りんかが、少しだけ眉をひそめる。

「“慣れてる人”の感覚じゃない?」


「そう?」

 アリスは首を傾げる。

「演劇は元々、厳しいものよ」


「でも舞風は」

 紗里が思わず口を挟む。

「今まで、そうやってきたわけじゃ――」


「紗里ちゃん」

 ひのりが、静かに制した。


 それ以上、言葉は続かなかった。

 誰も喧嘩をしたいわけじゃない。

 ただ、少しずつ、温度が違うだけ。


「……とにかく」

 七海が話を戻す。

「次の打ち合わせで、制約の詳細が出る」

「今日は、それを待つしかないわね」


「だね」

 唯香が同意する。

「今ここで結論を出す必要はない」


「……うん」

 みこも、小さく頷いた。


 話し合いは、自然とそこで途切れた。

 誰かが「よし、やろう」と言うでもなく、

 誰かが「無理だ」と言うでもなく。


 ただ、空気だけが、確実に変わっていた。


 ひのりは、無意識にアリスの横顔を見る。

 落ち着いた表情。迷いのない視線。

 七海と唯香もアリスの事情、ひのりは恐らく知っていると薄々と勘付いているようだった。


(……この先も、同じ顔でいられるのかな)


 そう思った瞬間、胸の奥が、ほんの少しだけ重くなった。


「……今日は、ここまでにしよっか」

 ひのりは、いつもより少し静かな声で言った。


 誰も異論はなく、それぞれが立ち上がり、荷物を持ち、部屋を出ていく。

 多目的室に残ったのは、ほんのわずかな余熱だけ。

 舞風演劇部の時間は、ゆっくりと、確実に、次の局面へ進み始めていた。


 部活を終え、他の部員たちがそれぞれ帰っていく中で――

 ひのりは、少しだけ足を止めた。


「……七海ちゃん、唯香ちゃん」

 声を落として呼びかける。

「このあと、ちょっといい?」


 二人は顔を見合わせてから、静かに頷いた。


「ファーストフードでいい?」

「うん」

「構わないわ」


 風丘駅前の店は、夕方にしては空いていた。

 カウンターで注文を済ませ、奥のテーブル席に三人並ぶ。


 ポテトの湯気だけが、しばらく会話を埋めていた。


「……で」

 七海が先に切り出す。

「“ちょっといい”って、劇の話だよね」


「うん」

 ひのりは頷く。

「三学期入って、音屋先生の話もあったし……」

「ちゃんと、整理したくて」


 唯香はストローをくわえたまま、静かに言う。

「12月に決めた内容、まだ生きてるわよね」


「もちろん」

 七海が即答する。

「“英国風”“言葉の劇”“魔法学校で選択に悩む生徒”」

「あれ、今でも軸としては強い」


「だよね」

 ひのりは少し安心したように息を吐く。


 七海は続ける。

「脚本として考えても、テーマははっきりしてる」

「“続けるか、やめるか”」

「“才能があるからこそ迷う”主人公」


 ひのりは、ポテトを一本つまみながら言った。


「……それでさ」

「私、考えてたんだけど――」


 一拍置く。


「この劇、アリスを主役にするの、どうかな」


 七海の手が止まり、

 唯香の視線が、ひのりに向く。


「……理由、聞いてもいい?」

 七海は落ち着いた声だった。


「12月の話し合い、覚えてるでしょ」

 ひのりは続ける。

「“力があっても、選ばなきゃいけない”ってやつ」


「ええ」

 唯香が頷く。

「アリスの言葉が、きっかけだった」


「そう」

 ひのりは言葉を選びながら言う。

「この劇の主人公ってさ……」

「“強いけど、迷ってる”子なんだよ」


 七海は少し考えてから、静かに言った。


「……役として、相性はいい」

「演技力も、台詞の処理も、申し分ない」


「私も、そう思う」

 唯香が続ける。

「舞台の“格”は一気に上がる」


 ひのりは、二人の反応を確かめるように見てから、続けた。


「でもね」

「それだけじゃなくて……」


 一瞬、言葉を止める。


「この劇――」

「アリスのための劇にも、なると思うんだ」


 七海は、何も言わずに聞いている。

 唯香も、表情を変えない。


「魔法学校で、続けるか、やめるか悩む生徒」

「周りからは“才能あるのに”って言われて」

「でも本人は、自分の居場所が分からない」


 ひのりは、少し視線を落とした。


「……重なる部分、あるでしょ」


 沈黙。


 七海は、ゆっくりと息を吐いた。


「……ひのり」

「それ、脚本としては、かなり踏み込むことになる」


「うん」

「分かってる」


 唯香が、静かに口を開く。


「観客に“刺さる”代わりに」

「演じる本人も、削られる」


 ひのりは頷いた。


「それでも」

「この三学期にやるなら――」

「この劇だと思う」


 七海は、カップを両手で包みながら言った。


「……台本は、私が書く」

「だから、聞いておきたい」


 視線を上げる。


「ひのり」

「“アリスを主役にする”って提案、

 それは“覚悟あり”?」


 ひのりは、少しだけ笑った。


「……あるつもり」


 唯香は、その横顔をじっと見てから言う。


「じゃあ」

「私も、逃げない」


「ありがとう」

 ひのりは、ほっとしたように言った。


 七海は、ノートを取り出す。


「具体案は、次」

「今日は、方向性だけ確認できればいい」


 ひのりは頷く。


「うん」

「……まだ、全部は言えないけど」


 二人は、それ以上は聞かなかった。


 ファーストフード店の窓の外で、

 電車が一本、ホームに滑り込む。


 ひのりは、その音を聞きながら思う。


(……ここからだ)


 三人だけが共有する、

 三学期の“本当のスタート地点だった。


 夜。

 留学生用マンションの一室。

 アリスはベッドに腰掛け、分厚い一冊の本を開いていた。


 ―― William Shakespeare。


 ページをめくる指は止まりがちで、

 文字を追っているようで、実際にはほとんど頭に入っていない。


「……To be, or not to be……」


 小さく、声に出してみる。


 生きるか、死ぬか。

 続けるか、やめるか。


 この台詞を、何度舞台で聞いてきただろう。

 何度、台本の外から眺めてきただろう。


 それなのに――

 今夜は、不思議と胸の奥に引っかかる。


「……迷うのは、弱さ……?」


 本を閉じ、アリスは天井を見上げた。


 舞風に来てからの日々。

 最初は、ここも“勝負の場”だと思っていた。


 評価される場所。

 選別される場所。


 でも今は――

 それだけじゃない。


 写真立てに目を向ける。

 テーブルの上に置かれた、九人の写真。


「……困ったわね」


 そのとき。


 ―― ♪

 静かな着信音が、部屋に響いた。


 スマホを見る。


 《ひのり》


 アリスは一瞬だけ迷ってから、通話ボタンを押した。


「……もしもし」


『アリスちゃん? 今、大丈夫?』


 電話越しの声は、少しだけ緊張している。


「……ええ。問題ないわ」


 短い沈黙。


『あのさ……』

『急でごめん』


 ひのりは、言葉を探しているようだった。


『……三学期の劇のこと』


 アリスの指が、無意識に本の背をなぞる。


「……ええ」


『七海と話してね』

『脚本の方向性、ちゃんと固め始めた』


 そこで、ひのりは一度、息を吸った。


『……アリスちゃん』

『次の劇の主役、お願いしたい』


 部屋が、しんと静まる。


 アリスは、すぐには返事をしなかった。


「……理由は?」


 ひのりは、正直に答える。


『演技力とか、存在感とか』

『そういうのもある』


『でも一番は――』

『この劇、アリスちゃんが“立つ意味”があると思った』


 アリスは、ゆっくりと目を閉じた。


「……それは、“役に合っている”という意味?」


『うん』

『それと……』


 ひのりは、少し声を落とす。


『“この劇が、アリスちゃんのためにもなる”って思った』


 沈黙。


 アリスの胸に、じわりと熱が広がる。


「……随分、勝手ね」


 そう言いながら、声は怒っていない。


『……そうかも』

『でも、押しつけるつもりはない』


『嫌なら、ちゃんと断ってほしい』

『アリスちゃんの選択だから』


 その言葉に、アリスは小さく笑った。


「……シェイクスピアも、そうね」

「誰かに決められる選択なんて、ひとつもない」


 机の上の本を見る。


 To be, or not to be.


 続けるか、やめるか。

 演じるか、逃げるか。


 そして――

 “ここにいる”と決めるかどうか。


「……ひのり」


『なに?』


 アリスは、ゆっくりと言った。


「……その役」

「私にしかできない?」


 ひのりは、間髪入れずに答える。


『できる』

『他の誰でもない』


 アリスは、少しだけ目を伏せてから、言った。


「……なら」

「引き受けるわ」


 電話の向こうで、息を呑む気配。


『……本当に?』


「ええ」

「迷う役なら……」

「今の私が、一番正直に立てる」


 ひのりの声が、少し震える。


『ありがとう』

『……絶対、いい舞台にしよう』


「……ええ」

 アリスは静かに答えた。

「逃げないと、決めたから」


 通話が終わる。


 スマホを置き、アリスは再び本を手に取った。


 今度は、ページをめくる指が止まらない。


「……To be」


 小さく呟いて、笑う。


「……選んだわよ」


 夜のマンションに、

 新しい覚悟だけが、静かに残っていた。


翌日。

 三学期の午後、多目的室。


 椅子は円形に並べられ、九人は自然とその中に座っていた。

 昨日までの雑談めいた空気はなく、誰もがどこか構えている。


 ホワイトボードの前に立っているのは、ひのりと七海だった。


「じゃあ」

 ひのりが一度、全員を見渡してから言う。

「三月の大会に向けた、次の劇について話します」


 室内が、静かになる。


 七海が一歩前に出て、ノートを開いた。


「方向性は、もう決めました」

「仮タイトルは――

 『選択の庭(仮)』」


 数人が、息を飲む。


「舞台は、魔法学校」

 七海は淡々と続ける。

「才能を持ちながらも、ある事情で退学を迫られる生徒が主人公」

「魔法があっても、答えを選ぶのは自分自身」

「“残るか、去るか”を巡る物語です」


「……重そう」

 りんかが小さく呟く。


「でも、舞風っぽい」

 紗里が続ける。


 七海は頷いた。


「派手な魔法演出は最小限」

「中心は台詞と間、感情の揺れ」

「上演時間は制限ギリギリを想定して、構成はかなり削る」


 ホワイトボードに、簡単な構成が書き出されていく。


「そして――」

 ひのりが、そこで言葉を継いだ。


「主演は、アリスちゃん」


 一瞬、空気が止まる。


 けれど、驚きよりも先に、納得の気配が広がった。


「……だよね」

 紗里が小さく言う。


「正直、それ以外考えられないっス」

 りんかも頷く。


 アリスは、静かに背筋を伸ばして言った。


「……引き受けるわ」

「中途半端には、やらない」


 その声に、迷いはなかった。


「主人公――

 エレナ」

 七海が名前を告げる。

「魔法の才能はあるけど、“選ぶ力”を問われる役」


 次に、配役が続く。


「ひのりは、エレナの親友であり、明るい対照的な存在ルミナ。」

「迷わず進むタイプの生徒」


「了解」

 ひのりは短く答える。


「私は、語り部的な立ち位置」

「観客と舞台をつなぐ役」


「……書く側が出るの、ちょっと照れるけど」

 七海は苦笑しながらも頷いた。


「唯香ちゃんは、教師セレス役」

「エレナに“現実”を突きつける存在」


「任せて」

 唯香の声は落ち着いている。


「音羽は、エレナと同じ寮の生徒リラ」

「感情を抑えて生きている役」


「……声で、表現します」

 音羽は小さく答えた。


「紗里ちゃんとりんかちゃんは、対立する生徒たち、フィオとブラム」

「感情をぶつける側」


「得意分野じゃん」

 りんかが笑う。


「まひるちゃんは、舞台装置と衣装の中核、ミーゼ」

「役としては“庭”の象徴的存在も兼ねる」


「……世界観、作る」

 まひるが静かに頷く。


「みこちゃんは、沈黙の役ノア」

「台詞は少ないけど、感情の重心になる」


「……大事な役……だね……」

 みこは小さく息を吸った。


 配役がすべて告げられ、七海はノートを閉じた。


「今日から、稽古を始める」

「最初は読み合わせ」

「感情を作らない。まず“言葉を置く”」


 ひのりが一歩前に出る。


「今回の劇、正直――簡単じゃない」

「逃げ場も少ない」

「でも」


 アリスを見る。


「だからこそ、やる意味がある」


 アリスは、静かに頷いた。


「……私も、覚悟してる」

「“選ぶ役”なら、ちゃんと迷う」

「その上で、立つ」


 一人ひとりの表情が、自然と引き締まっていく。


「じゃあ」

 七海が言う。

「始めようか」


 台本が配られ、紙の擦れる音が重なる。


 最初の一行。


 アリスの声が、多目的室に響いた。


「――ここは、魔法学校。

 けれど、私の居場所じゃないかもしれない」


 その瞬間、

 ただの練習だったはずの空間が、

 確かに“舞台”に変わり始めていた。


 三月へ向けて。

 九人は、同じ方向を見て、歩き出した。


 続く。


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