第二十二幕 新春、日本で過ごすお正月
年明け。
1月2日の冷たい空気が漂う見晴駅前。
改札の前で待っていたのは、紗里とみこだった。
「おーい!」
紗里が手を振る。
「……あ、来た……」
みこも小さく声を上げる。
そこへ、改札からひのり、七海、唯香、りんか、まひる、音羽、アリスの七人が続けて出てくる。
「明けましておめでとー!」
ひのりが一番に叫ぶ。
「明けましておめでとう」
七海と唯香も微笑みながら続く。
「……おめでとう……」
みこがふんわりと頭を下げる。
「今年もよろしく!」
紗里が元気よく言った。
九人が揃い、自然と輪になる。
「なんかさ」
ひのりが周りを見渡して言う。
「去年のお正月も、ここで集まったよね」
「……あったね」
みこが小さく頷く。
「見晴神社、行ったんだっけ」
七海が思い出す。
「うんうん」
紗里が笑う。
「今年も同じ流れだね」
少し歩き出しながら、ひのりが聞く。
「で、みんな元日は何してたの?」
「私は普通に親戚の集まり」
りんかが肩をすくめる。
「親戚多くてさ。
正月から、まあまあ騒がしかった」
「りんからしいね」
紗里が笑う。
まひるが小さく続く。
「私は両親とおばあちゃんと家でおせち作ったりして食べたよ」
「いいお正月だね」
唯香が優しく言うと、まひるは少し照れたように俯いた。
音羽が控えめに口を開く。
「私は……祖父母の家に行きました」
「……でも、あまりお話はできなくて……」
「挨拶して……一緒にご飯食べて……それくらいです」
「それでも、ちゃんと会えたならいいじゃん」
ひのりが言うと、音羽は小さく頷いた。
そして、アリス。
少しだけ間を置いてから、静かに言う。
「私は……イギリスの両親と、オンラインで」
「向こうは……まだ大晦日で……」
「そっか、時差あるもんね」
七海が頷く。
「……画面越しだけど……顔を見て話せたから」
アリスは小さく続ける。
「……それで、十分だった」
「それ、時差お正月だね」
ひのりがにっと笑う。
アリスも、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「ひのり達は?」
紗里が聞く。
「私たちは、それぞれ家族と、って感じ」
ひのりがまとめる。
「特別なことはしてないけど、のんびりした!」
「それで十分だね」
唯香が言った。
七海が全体を見回す。
「みんな、それぞれのお正月を過ごして……」
「それで、今日はここに集合、ってわけだね」
「うん」
みこが小さく頷く。
「……一緒が……いい……」
ひのりが両手を叩いた。
「よーし!」
「じゃあ今年も――見晴神社行こ!」
「おー!」
紗里が元気よく応える。
九人は並んで、駅前の通りを歩き出す。
少し冷たい風の中、新しい一年の始まりが、静かに動き出していた。
見晴神社に近づくにつれ、人の流れは一気に増えていった。
参道の両脇には屋台が並び、甘酒の湯気や焼き餅の香りが漂っている。
「うわ……すごい人……」
アリスが思わず足を止める。
「正月の神社は毎年こんな感じだよ」
ひのりが振り返って笑う。
「覚悟しとこ!」
「……お祭りみたい……」
アリスはきょろきょろと周囲を見回した。
晴れ着姿の家族連れ、友達同士の若者、手を引かれる小さな子ども。
賑やかな声と鈴の音が、境内いっぱいに響いている。
「……こんなの、初めて」
アリスが小さく言うと、
「そっか、アリスちゃんは初詣初体験だもんね」
紗里が嬉しそうに言った。
「イギリスのお正月って、どんな感じなの?」
七海が歩きながら聞く。
アリスは少し考えてから答える。
「……もっと、静か」
「家族で集まって……食事して……テレビ見て……」
「外に出て、こんなに人が集まることは……あまりないわ」
「じゃあ、神社とかはないんだ」
りんかが言う。
「……教会に行く人はいるけど」
「お正月っていうより……クリスマスの方が、大きい行事」
「なるほど〜」
ひのりが頷く。
「日本はさ、年末年始が一番のイベントだからね」
境内に入ると、太鼓の音が鳴り、どこかで餅をつく掛け声が聞こえてきた。
「……なに、あれ?」
アリスが音の方を見る。
「あ、餅つきだ」
まひるが小さく言う。
「……今から、配るんじゃないかな……」
「えっ、ついたお餅もらえるの!?」
アリスが目を丸くする。
「うん、運が良ければ」
唯香が微笑む。
「……すごい……」
アリスはまるで子どもみたいに、目を輝かせた。
参拝の列に並びながら、アリスは周りを見渡す。
鈴を鳴らして手を合わせる人。
おみくじを引いては一喜一憂する人たち。
「……みんな、真剣な顔してる」
ぽつりと呟くと、
「一年のお願いだからね」
七海が答える。
「日本人、こういう時はわりと本気」
「……いい習慣ね」
アリスは静かに言う。
「“区切り”を作って……また、始める」
「アリスちゃんもお願いするんだよ」
ひのりが笑う。
「日本式で!」
「……もちろん」
ようやく順番が近づき、アリスの胸が少しだけ高鳴る。
(……日本で迎える、新しい年……)
(……みんなと一緒に……)
手を合わせるその瞬間、
アリスは、ほんの少しだけ目を閉じた。
異国の地で迎えたお正月。
でも今は――
この人混みの中で、
不思議と“ひとりじゃない”と感じていた。
参拝を終えた九人が境内を歩いていると、
「よいしょー!」「それっ!」という威勢のいい声が響いてきた。
大きな臼の前で、数人が交代しながら杵を振り下ろしている。
その周りには、楽しそうに見守る人だかり。
「あ、餅つきだ!」
ひのりが指をさして声を上げる。
「さっき言ってたやつだね」
紗里が目を輝かせる。
アリスは臼の中を覗き込み、思わず息をのんだ。
「……本当に……叩いてる……」
「テレビでしか見たことなかった……」
「やってみる?」
りんかが冗談めかして言うと、
「……え?」
アリスが一瞬きょとんとする。
そのとき――
「おや、君たち。演劇部の子たちじゃないか」
聞き覚えのある穏やかな声。
振り向くと、白装束の神主がにこやかに立っていた。
「あ、神主さん!」
ひのりがすぐに駆け寄る。
「明けましておめでとうございます!」
「あけましておめでとう。今年も元気そうだね」
神主は九人を見渡して微笑む。
「……去年、文化祭の時に声かけてくれた方だ」
七海が小さく言う。
「今年は、ずいぶん賑やかだね」
神主が言って、アリスの方を見る。
「おや、見慣れない顔もいるな」
アリスは一瞬だけ戸惑ってから、一歩前に出た。
「……はじめまして」
「アリス・ジョンソンです」
「……イギリスから、留学で来ています」
神主は目を細めて、ゆっくり頷いた。
「それはそれは。遠いところから、ようこそ」
「日本のお正月は、初めてかな?」
「……はい」
アリスは正直に答える。
「……とても……驚いています」
「……こんなに、人が集まって……賑やかで……」
「ははは」
神主は楽しそうに笑った。
「日本のお正月はね、“新しい年をみんなで迎える”日なんだ」
「家族も、友達も、知らない人同士も……」
「こうして同じ場所で、同じ年の始まりを祝う」
アリスは、その言葉を噛みしめるように聞いていた。
「……みんなで、始める……」
「……素敵ですね」
「そうだろう?」
神主はにこりと笑ってから、臼の方を示す。
「よかったら、餅つきもやってみるかい?」
「え、いいんですか!?」
ひのりが身を乗り出す。
「もちろん。今年は若い力が多い方がいい」
神主は九人を見て言った。
「誰から行く?」
「はいはいはい!」
ひのりが真っ先に手を挙げる。
「……ひのり先輩は想像つくな」
りんかが苦笑する。
ひのりが杵を握り、教えられた通りに振り下ろす。
「それっ!」
……スカッ。
「え、空振り!?」
「ちょ、ひのりちゃん危ないって!」
周囲から笑いが起きる。
「……気をつけて……」
まひるが心配そうに声をかける。
何度かやり直して、ようやく――
「よいしょ!」
ぺちん、と餅に当たる音。
「当たった!」
ひのりが満面の笑みを浮かべる。
「次、誰?」
紗里が続き、
りんか、唯香も交代で挑戦する。
そして――
「……アリスちゃんも、やってみる?」
ひのりが振り返って言った。
アリスは一瞬迷ってから、そっと頷く。
「……やってみたい」
少し大きな杵を渡され、両手で握る。
「……重い……」
「無理しないで」
唯香がすぐそばで支える。
神主の合図。
「よいしょ!」
アリスは思いきって振り下ろした。
ぺちん、と鈍い音。
「……当たった……」
アリスが驚いたように目を見開く。
「おお、上手いじゃないか」
神主が笑顔で頷く。
「……ちょっと、楽しい……」
アリスの口元が、自然と緩んだ。
しばらくして餅が仕上がると、小さく丸められて、次々と配られる。
「はい、つきたてだよ」
紙皿に乗った、湯気の立つ白い餅。
アリスはそれを見つめて、首をかしげた。
「……これが……」
「ライスケーキだね」
ひのりが笑う。
「……ライスケーキ……」
アリスは小さく復唱してから、一口かじった。
「……!」
目を丸くして、もぐもぐと噛む。
「……あったかくて……」
「……甘くて……」
「……おいしい……!」
「でしょ?」
紗里が得意げに言う。
「つきたては別格だよね」
七海も頷く。
アリスはもう一口食べて、嬉しそうに言った。
「……日本のお正月……」
「……好きかもしれない」
神主は、その様子を見て、穏やかに微笑んだ。
「それは何よりだ」
「いい一年になるといいね、君たち」
九人は揃って頭を下げた。
「はい。ありがとうございます」
冷たい冬の空気の中で、
湯気と笑顔に包まれた餅つきの時間は、
アリスにとって、忘れられない“日本の正月”の一幕になっていた。
餅つきを終えた九人は、再び境内の賑わいの中へ戻っていった。
参道の両脇には、正月らしい屋台がずらりと並んでいる。
「うわ〜、お祭りみたい!」
ひのりが目を輝かせる。
「たこ焼き、焼きそば、甘酒……」
紗里が指を折って数える。
「……いい匂い」
アリスも思わず鼻をくんとさせた。
「じゃ、食べ歩きしよっか」
七海が提案すると、全員が頷いた。
それぞれ紙コップやパックを手に、自然と輪になって歩き出す。
「アリスちゃん、これ」
まひるが差し出したのは、りんご飴。
「……わ、きれい……」
赤く光る飴を見て、アリスが目を輝かせる。
「写真で見たことはあったけど……本物、初めて……」
そっとかじると、ぱりっと音がして、甘さが広がる。
「……おいしい……」
「……デザートも、ちゃんとある……」
「屋台、無限に食べられそうだね」
音羽が小さく笑う。
りんかはたこ焼きを頬張りながら言った。
「正月からこんなに食べ歩きできるとか、最高っすね」
「ほんと、幸せ」
みこも湯気の立つ甘酒を両手で包みながら微笑む。
しばらく歩いていると、拝殿の脇に、木の板がずらりとかかった場所が目に入った。
「あ、絵馬だ」
唯香が言う。
「願い事を書いて、ここに掛けるんだよ」
紗里がアリスに説明する。
「……さっき、お参りしたけど……」
「……また、願っていいの?」
「いいんだよ」
七海が優しく言う。
「何回願っても」
九人はそれぞれ絵馬を手に取り、ペンを持つ。
アリスは、しばらく白い木の板を見つめてから、ゆっくりと書き始めた。
――
May this year be full of smiles.
And may I find my place here.
書き終えると、少し照れたようにひのりに見せる。
「……英語で、書いてみた……」
「いいじゃん!」
ひのりが笑う。
「アリスちゃんらしい!」
「……“ここで、自分の居場所を見つけられますように”……かな」
七海がそっと訳すと、アリスは小さく頷いた。
「……うん」
九人は並んで絵馬を掛け、それぞれの願いを風に揺らす。
そのあと、境内の端のベンチに腰掛け、屋台で買ったものを食べながら一息ついた。
「ねえ、今年の目標って、やっぱりアレだよね」
紗里が言う。
「……大会」
唯香が静かに続ける。
「うん」
七海が頷く。
「高校演劇交流大会。出るって決めた以上、全力でいきたい」
「二年生の集大成だもんね」
みこが言う。
「絶対、いいとこまで行きたいっす」
りんかも力を込める。
「衣装も、今までで一番気合入れます」
まひるが小さく拳を握る。
「……みんなで、同じ舞台に立てるなら……」
音羽も静かに言う。
「……それだけで、特別です」
アリスは、その輪の中で、少しだけ胸を張った。
「……私も……」
「……もっと、ちゃんと役に立てるように……頑張る」
「……ここで、みんなと……」
「もちろんだよ」
ひのりが即答する。
「アリスちゃんは、もう舞風の一員だもん」
「……ありがとう」
アリスは、はにかんだように笑った。
そのとき、ひのりはふと、アリスの横顔を見つめる。
――笑っている。
ちゃんと、今は幸せそうに。
でも。
ひのりの胸の奥に、
あの日、たまたま聞いてしまった“アリスの話”がよぎる。
(……まだ、言えない)
(……でも、いつか……)
ひのりは、何も言わずに視線を逸らし、再び明るい声を出した。
「よーし!」
「今年も、舞風は全力でいくよ!」
「おーっ!」
九人の声が、冬の空に重なった。
笑顔と笑い声に包まれた、穏やかな正月。
けれどその片隅で、ひのりだけが知る“何か”は、
まだ静かに、胸の中で眠っていた。
――その予感が、いつか波紋を広げるとも知らずに。
続く




