第十九幕 距離ある演劇部、ハロウィンに向けて 後編
日曜日の昼前。
住宅街の一角にある〈成川衣装店〉の前で、四人は足を止めた。
「ここだよね」
紗里が表札を確認する。
「……静か……」
みこが小さく呟く。
「職人さんの家って感じっスね」
りんかは少しだけ背筋を伸ばした。
音羽は手に持った紙袋をぎゅっと握り直す。
中には、ひのりから預かった菓子折りが入っている。
「……ちゃんと挨拶しないとですね」
インターホンを押す前に、引き戸の向こうから声がした。
「……あら?」
戸が開き、顔を出したのは年配の女性だった。
白髪をきれいにまとめ、柔らかい目をしている。
「いらっしゃい。あんたたち……舞風の子たちだね」
「は、はい」
紗里が一歩前に出る。
「舞風学園演劇部です。本日は……」
「まあまあ」
女性はにこりと笑った。
「堅くならなくていいよ。私は初枝。まひるの祖母」
その奥から、もう一人。
「お待たせしました」
落ち着いた声とともに現れたのは、まひるの母・美沙だった。
「今日はわざわざありがとう」
深く一礼する。
四人も慌てて揃って頭を下げた。
「こちらこそ!」
紗里が少し大きな声で言う。
「この前の大会の衣装、本当にありがとうございました」
「すごく動きやすくて……」
音羽が続ける。
「……助けられました」
みこも、小さく前に出る。
「……あの衣装……安心できて……」
「……演技、できました……」
りんかは照れくさそうに頭を掻きながら言う。
「正直、あれなかったら詰んでました!」
一瞬、間があってから――
初枝さんが声を上げて笑った。
「ふふ、賑やかだねえ」
美沙も、少し肩の力を抜く。
「そんなふうに言ってもらえるなら、作った甲斐があったわ」
音羽が、意を決したように一歩踏み出す。
「これ……」
紙袋を差し出す。
「みんなで……お礼です」
「まあ」
美沙が両手で受け取る。
「気を遣わせてしまって……」
「でも」
初枝さんが目を細める。
「こういうのは、気持ちだからね」
袋を一度棚に置き、二人は改めて四人を見た。
「今日は衣装の相談だったね?」
美沙が言う。
「はい」
紗里が頷く。
「ハロウィンのイベントで、仮装することになって」
「演劇ほど本格的じゃないけど……」
りんかが続ける。
「ちゃんと“舞風”っぽくしたくて」
初枝さんは「なるほど」と頷いた。
「まひる、奥で準備してるよ」
「今、型紙出してます」
美沙が微笑む。
みこが少しだけ安心したように息を吐いた。
「……よろしく……お願いします……」
「こちらこそ」
美沙が答える。
「今日は一緒に、楽しくやりましょう」
引き戸の向こうから、かすかにミシンの音が聞こえた。
挨拶は終わった。
お礼も伝えた。
ここから先は――
衣装を通して、また少し距離を縮める時間が始まる。
四人は顔を見合わせ、小さく頷き合ってから、店の奥へ足を踏み入れた。
店の奥。
作業台の周りに、紗里、みこ、音羽、りんかが集まり、布や型紙を覗き込んでいた。
まひるは一度、スマホを確認してから口を開く。
「……ひのり先輩から、グループトークで来てた内容……
改めて、共有しますね……」
作業台にスマホを置き、画面を見せる。
「仮装メイン」
「演技は控えめ」
「気負わない」
「同じ世界観に“いそう”な感じ」
音羽が頷く。
「……昨日の話ですね。
“見せるだけ”のイベント」
「うん」
りんかが腕を組む。
「芝居しないって割り切れるの、正直助かるっス」
「……無理しない……」
みこがぽつりと同意する。
紗里はにっと笑った。
「じゃあさ、今回は“ちゃんと楽しむ日”でいいんだよね」
その一言に、空気がふっと軽くなる。
「……はい」
まひるも、小さく頷いた。
「だから……今日は、衣装を“作る日”です……」
そう言って、引き出しから一冊のノートを出す。
「寸法は……全員分、もうあります」
ぱら、とページを開く。
「大会の時に測ったもの……そのまま使えます……」
「すげえ」
りんかが目を丸くする。
「全部覚えてたんスか」
「……記録してたので……」
まひるは淡々と答えるが、声には少しだけ誇らしさが滲んでいた。
そこから、話は衣装のコンセプトへ移る。
「世界観は……」
まひるが布を広げる。
「“少しダークで、でも怖すぎない”方向がいいと思います……」
黒、紫、深紅、グレー。
並べるだけで、自然とハロウィンの空気が立ち上がる。
「じゃあ私は、魔女かな」
紗里が即決する。
「こういうの、絶対楽しいでしょ」
「……似合う……」
みこが小さく言う。
「私はゴースト系がいいです」
音羽が静かに続ける。
「声を少し響かせるくらいで……」
「怪盗とかどうっスか?」
りんかがマントを羽織る仕草をする。
「動きやすそうだし!」
「……いいと思います……」
まひるはメモを取りながら答える。
「みこ先輩は……」
少し考えてから。
「魔女寄りでも……人形系でも……」
みこは一瞬きょとんとしたあと、小さく笑った。
「……人形……好き……」
その流れで、作業が始まる。
布を切り、型紙を当て、仮止めをする。
まひるの雰囲気が、少し変わった。
「ここ……縫い目、ずれます……」
「針は……まっすぐ……」
「布、引っ張らないで……」
――職人スイッチ。
「は、はい!」
紗里が素直に従う。
みこは、黙々と針を動かしていた。
その手つきは意外なほど滑らかだ。
「……みこ先輩、上手っスね」
りんかが感心する。
「……小さい頃……手芸……好きだった……」
少し照れたように答える。
「助かります……」
まひるが小さく言った。
一方で――
「いって!?」
りんかの声。
「……針……」
音羽がすぐに気づく。
「大丈夫っス、大丈夫っス!」
りんかは指を押さえながら笑う。
「ちょっと油断しただけで……」
「……動かないで……」
まひるが即座に対応する。
「消毒します……」
その様子を見て、紗里が吹き出した。
「もう、怪盗が自滅してどうすんのよ」
「職人仕事、なめてました……」
笑いが起きる。
音羽はそれを少し離れたところから見ながら、静かに言った。
「……こういう時間、久しぶりですね」
「……うん……」
みこが頷く。
「……みんなで……同じことしてる……」
布と糸、笑い声。
失敗もあるけど、誰も責めない。
まひるは、作業台を見渡して、ふと口を開いた。
「……こういうの……好きです……」
「一人で作るより……みんなで作る方が……」
言葉は途中で止まったけれど、
その先は、ちゃんと伝わっていた。
店の奥から、初枝と美沙は作業場を静かに眺めていた。
布と道具に囲まれ、まひるたちはそれぞれの役割に集中している。
「……にぎやかになったね」
「はい」
「大会のときより、ずっと楽しそうです」
「前は“結果”の顔をしてた」
「今は……ちゃんと“作ってる”顔だね」
ミシンの音と、途切れない笑い声。
「まひる、ああいう顔もできるんですね」
「できるさ」
「ただ、必要なときじゃないと出さないだけだ」
二人はそのまま、しばらく黙って見ていた。
「……いい仲間ですね」
「うん」
「衣装屋にとって、一番ありがたい客だよ。
“一緒に作ろう”って言ってくれる客だから」
また作業場から笑い声が上がる。
二人はそれを遮らず、ただ見守っていた。
成川衣装店の奥で、
5人はそれぞれの手を動かしながら、
少しずつ“同じ舞台”を形にしていく。
ハロウィン本番は、1週間先。
けれどこの日、衣装と一緒に、空気も確かに縫い合わされていた。
ハロウィン当日。
風丘市のイベント会場は、昼前からすでに賑わっていた。
舞台裏。
簡易テントの中で、九人はそれぞれ仮装姿の最終確認をしている。
「……ちょっと待って、これ自撮り案件じゃない?」
紗里がスマホを掲げる。
「え、撮る? 撮る?」
りんかが即座に寄ってくる。
「……みんな、入る……?」
みこが控えめに言うと、自然と距離が詰まった。
音羽は少し照れながらもマントの襟を整え、
まひるは全体のバランスを無意識にチェックしている。
「ほら、アリスも」
ひのりが声をかける。
「……私?」
一瞬だけ迷ったあと、アリスはゆっくり輪に入った。
シャッター音。
画面の中には、仮装姿の九人が並んでいる。
誰一人、浮いていなかった。
「……悪くないわね」
アリスが小さく言う。
「でしょ?」
ひのりが笑う。
もう一枚、今度は少し砕けたポーズで。
紗里が変な顔をして、みこが慌てて止めようとして、
りんかが笑いすぎてブレる。
アリスは、気づけばちゃんと笑っていた。
⸻
ステージ前。
呼び込みのアナウンスが響く。
「続いては、舞風学園演劇部のみなさんです!」
ひのりが一歩前に出る。
深呼吸。
「こんにちは」
マイク越しの声は、いつもより少しだけ張っていた。
「私たちは、舞風学園演劇部です」
拍手が起こる。
ひのりは振り返り、軽く頷く。
練習した通り、順番に一言ずつ。
紗里が元気よく手を振り、
みこが小さく頭を下げ、
りんかがポーズを決め、
音羽が短く言葉を添え、
まひるが静かに微笑む。
唯香と七海は落ち着いた声で場を締め、
最後にアリスが一歩前へ出た。
「……今日は、楽しんでいってください」
少しだけぎこちない日本語。
でも、客席からはしっかり拍手が返ってきた。
ひのりが、もう一度マイクを握る。
「今日は、演劇はしません」
ざわっとする客席。
「その代わり――」
ひのりは笑った。
「魔法をかけます」
一瞬の間。
そして、明るく続ける。
「ハロウィンを、一緒に楽しもう!」
その合図で、九人が一斉に前へ出る。
手にした袋から、お菓子を配り始めた。
「どうぞー!」
「トリック・オア・トリート……みたいな感じで!」
子どもたちが集まり、親たちが写真を撮り、人垣が一気に膨らむ。
ひのりの合図でお菓子配りが始まってから、数分もしないうちに状況は一変した。
「写真いいですか?」
「さっきの子、すごく可愛かったです!」
声が重なり、人の輪が膨らんでいく。
「え、え、ちょっと待って」
紗里が思わず笑いながら後ずさる。
「なにこれ、思ってたより人来てない?」
「……減らない……」
みこはきょろきょろと周囲を見回す。
スマホを差し出され、サイン用のメモ帳が回ってくる。
「サイン……?」
音羽が小声で確認する。
「ある意味、役者の仕事だね」
唯香が即座にフォローし、列を整え始めた。
まひるは自然に横に立ち、写真撮影の位置を調整する。
七海は全体を見渡しながら、人が詰まりすぎないよう声をかけていた。
アリスは最初こそ戸惑ったが、
差し出された紙に、ゆっくりと名前を書く。
「……こう、でいい?」
「うん、大丈夫」
ひのりが頷く。
気づけば、アリスの前にも人が並んでいた。
「……不思議」
小さく呟きながら、でも逃げなかった。
少し離れたところで、りんかが腕を組んで周囲を見回す。
「……ねえ」
ひのりに顔を近づける。
「あたし達、これ完全に有名人みたいじゃない?」
「今さら?」
七海が即答する。
「いやいや、でもさ」
りんかは笑う。
「こういうの、初じゃん? この規模」
そのとき、スタッフ証を下げた大人が近づいてきた。
「すみません、地元テレビ局なんですが、
少し取材いいですか?」
一瞬、全員が固まる。
「テレビ……?」
紗里が目を丸くする。
「テレビデビューじゃん!」
りんかがテンションを上げる。
「ついに来たな、時代!」
「ちょっと待って」
七海が即座に突っ込む。
「動画サイトにはもう出てるでしょ」
「え、あ」
りんかが一瞬黙る。
「……たしかに」
「順序が逆なだけ」
七海は淡々と言った。
カメラが回り始める。
「今日はどういう活動を?」
マイクを向けられ、ひのりは一歩前に出る。
「今日は、演劇というより……
仮装で、来てくれた人たちと楽しむ日です」
「舞風学園演劇部として?」
「はい」
ひのりは胸を張る。
「私たちは、舞風学園演劇部です」
取材は自然に一人ずつへ。
「楽しいです!」
紗里が元気よく言う。
「お芝居じゃなくても、人と触れ合えるの、好きなんで!」
「……ちょっと緊張するけど……」
みこは小さく笑う。
「……でも、嬉しい……」
「動き回れて最高っス」
りんかは即答する。
「舞台より疲れますけど!」
「声も、無理に作らなくていいので」
音羽は落ち着いて言った。
「ちゃんと届いてる感じがします」
「衣装が、役に立ってるのが嬉しいです」
まひるは控えめに。
「……作ってよかったです……」
「表現の形は一つじゃありません」
七海は静かにまとめる。
「今日はその一つですね」
「評価より、共有」
唯香は短く言った。
「それで十分です」
最後にアリス。
少しだけ間を置いてから、口を開く。
「……最初は、こういうの……苦手でした」
一瞬、カメラが寄る。
「でも」
九人の方を見る。
「今は……悪くないです」
取材が終わり、カメラが離れる。
「……今の、完全に映ったよね?」
紗里が言う。
「映ったね」
七海が頷く。
「マジで有名人じゃん」
りんかが笑う。
その直後、また声がかかる。
「写真、お願いします!」
「サインもいいですか?」
ひのりは一瞬だけ深呼吸して、笑った。
「……順番に、お願いします」
イベントがひと段落し、空がオレンジ色に染まり始めた頃。
撤収の準備をしながら、九人はステージ裏に集まっていた。
昼間の賑やかさが嘘みたいに、少し静かだ。
その中で、アリスが一歩前に出る。
視線はまっすぐ。
でも、声は少しだけ震えていた。
「……みんな」
一斉に、視線が集まる。
「今日……楽しかった」
短く言ってから、息を整える。
「でも、その前に……言わせてほしい」
一瞬の沈黙。
「私、演劇部に来たとき……
ひどいことを言った」
誰も遮らない。
「優しさを否定して、やり方を押しつけて……
傷つけた人もいた」
アリスは、はっきりと頭を下げた。
「……ごめんなさい」
そして、顔を上げる。
「それでも、今日……
私をここに立たせてくれた」
周りを見る。
「一緒に笑って、写真を撮って……
名前を書いて、声をかけてくれた」
小さく、でも確かな笑み。
「……ありがとう」
数秒の静寂のあと、
ひのりが前に出た。
「アリスちゃん」
柔らかい声。
「私たちも、ありがとう」
アリスが目を瞬かせる。
「正直……怖かったよ」
ひのりは正直に言う。
「でもね、今日見てて思った」
少し照れたように笑う。
「アリスちゃん、ちゃんとここにいた」
紗里が腕を組んで言う。
「なんだかんだ、逃げなかったじゃん」
「……堂々としてた」
みこが小さく頷く。
「声……ちゃんと届いてました」
音羽も言う。
「衣装、似合ってたです……」
まひるが控えめに。
「今日の動き、悪くなかった」
唯香は素直に。
「もう“外の人”じゃないわね」
七海が静かに締める。
りんかは笑って肩を叩いた。
「ようこそ、有名人側へ!」
一瞬、アリスが呆けたあと、
小さく笑った。
「……ありがとう」
ひのりは一歩近づいて、手を差し出す。
「改めて――
舞風学園演劇部へ、ようこそ」
アリスは、その手を見てから、しっかり握った。
「……はい」
夕暮れの風が、九人の間を静かに通り抜ける。
完全じゃない。
でも、確かに温かい。
その日、舞風学園演劇部は――
九人で、同じ場所に立っていた。
続く。




