第十六幕 動画撮影部は見た!二つの演劇部
舞風学園の一角にある、小さな部室。
カメラ、三脚、ライト、古い脚立、そして最新のジンバルやスマホ用マイクが混在している――
それが「動画撮影部」の日常だった。
「よーし、今日もキマってるね、我が愛しのハンディカメラちゃん!」
明るい茶髪のポニーテールに黒いキャップ。
動画撮影部の部長、**冴木あさひ(2年)**が機材棚からカメラを抱き上げた。
「先輩、朝からテンション高すぎません……?」
PCの前で黙々と編集作業しているのは、無造作ツインテ・イヤホン常備のクール担当、中島りつ(2年)。
「……ドキュメンタリーの音声、またズレてる。あとで直すね」
「りつってほんと職人肌だよね」
穏やかな声で言ったのは、眼鏡のショートカットの落ち着いた雰囲気の少女、名塚真帆(2年)。
去年の自主制作映画では、演劇部の五人を撮る側として深く関わった。
その静かな空気を、派手なシャッター音が切り裂いた。
「――はいっ! 今のりつ先輩の『ダルそうな横顔』、いただきましたーっ!」
部室の扉を背にスマホを構えていたのは、
今年入部したばかりの期待(?)の新人――星川うらら(1年)だ。
ピンクのメッシュが入ったボブヘアに、少し着崩した制服。首からは一眼レフではなく、高性能なスマホをぶら下げている。
「うらら……勝手に撮るなって言ったでしょ」
りつがジト目で睨むが、うららは全く動じない。
「えーっ、でも今のアンニュイな感じ、絶対サムネ映えしますよ!タイトルは『職人JKの憂鬱』で決まりっスね!」
「却下。肖像権の侵害」
「ちぇーっ、りつ先輩は堅いなぁ。動画はインパクトとスピード勝負ですよ!
私の編集見てくださいよ、このカット割り!」
うららが自分のスマホ画面を突き出す。
そこには、街歩き撮影の映像が、目がチカチカするような派手なエフェクトとBGMで編集されていた。
「……うららちゃん。これ、素材の良さが死んでるよ……」
真帆が苦笑しながらやんわり指摘する。
「ええっ!? エモいと思ったのに!」
星川うらら。彼女は「記録」よりも「バズ」や「ドラマ」を好む、現代っ子な新入部員だ。
技術のりつ、構成の真帆、統率のあさひに対し、彼女は言わば**「特攻隊長(兼トラブルメーカー)」**だった。
「ま、うららのそのバイタリティは買うけどさ」
あさひはニヤッと笑う。
「先輩! じゃあ次のネタ探しに行きましょうよ!
学校中の面白ニュース、私のカメラで激写しちゃいますから!」
「お、いい心がけ。
じゃあ……アレ、見に行ってみる?」
「アレ?」
「そういや先輩たち、最近演劇部どうなんですか?
ちょっと覗いたけど、雰囲気良かったじゃないですか!元子役の唯香先輩とか留学生のアリス先輩とか撮りたいんですけど!」
「あー……あれね」
あさひの意味深な笑みに、うららはキョトンとする。
「今年は――なんか、“ヤバいらしい”よ?」
体育館の裏手にある特別リハーサル室。
そこには酸素が薄くなったような、重苦しい静寂が張り詰めていた。
窓の外からこっそり覗き込んでいた動画撮影部の4人は、その光景に息を呑んだ。
「……え、なにこれ……」
うららが青ざめる。
「空気が……違いすぎる……」
室内では、アリスが教官のように仁王立ちし、三人の部員を見下ろしていた。
「Stop。」
アリスの短く冷たい声が響く。
「呼吸が浅い。音の芯がブレてる。
――やり直し。」
唯香は髪を振り乱し、額に玉のような汗を浮かべていた。 けれど、その瞳は獣のように鋭い。
「……はいっ!」
即座に姿勢を正し、腹の底から声を張り上げる。
子役時代の「器用な演技」はかなぐり捨て、なりふり構わずアリスの求める基準に食らいつこうとしていた。
七海は壁際で膝をつき、荒い息を吐きながらもペンを走らせていた。
「(感情を……身体の重心に乗せる……頭で考えるな、肉体で理解しろ……)」
ブツブツと呟きながら、アリスの理論を必死に噛み砕こうとしている。彼女もまた、限界ギリギリだった。
だが――。
「っ……う、うぅ……!」
部屋の隅で、音羽が崩れ落ちていた。
喉を押さえ、過呼吸気味に肩を上下させている。
「音羽……!」
唯香が駆け寄ろうとするが、アリスが視線だけでそれを制した。
「Don't touch her.(触らないで)」
アリスは無表情のまま、震える音羽に歩み寄る。
「……音羽。さっきの monologue(独白)、何?」
「ご、ごめんなさい……息が、続かなくて……声が……」
音羽の目から、ポロポロと涙が溢れ出した。
七色の声を持つ彼女が、今はただの掠れた悲鳴しか出せない。
アリスの求める「身体全体を使った発声」と「剥き出しの感情」は、繊細な音羽のキャパシティを完全に超えていた。
「辛い……もう、無理です……」
音羽が泣きじゃくりながら訴える。
それを見下ろすアリスの瞳は、氷のように冷たかった。
「……Hah.」
短く、鼻で笑う音。
アリスはしゃがみ込み、泣いている音羽の顔を覗き込んだ。
「泣けば許されると思った?」
音羽の肩がビクッと跳ねる。
「Amateur(素人)の典型ね。
自分の未熟さを涙で誤魔化して、同情を買おうとする。
――そんな安い涙(cheap tears)、舞台の上じゃ1ペニーの価値もないわ。」
「っ……!」
音羽は言葉を失い、さらに顔を歪める。
「あなたの武器は“声”でしょう?
なのに、極限状態になったら泣き言しか言えないの?
……Disappointing。」
アリスは興味を失ったように立ち上がり、冷たく言い放った。
「泣き止むまでそこで震えてなさい。
時間の無駄よ。」
その言葉は、ナイフのように音羽の心を切り裂いた。
音羽は床に突っ伏し、声を殺して泣き崩れた。
唯香が唇を噛み締め、拳を握る。
七海もペンの動きを止め、痛ましげに目を伏せる。
だが、誰もアリスを止められない。彼女の言っていることが、プロの世界では“正論”だと分かっているからだ。
窓の外。
その光景を見ていたうららが、震える手で口元を覆った。
「……ひどい……」
「あんなの……いじめじゃん……」
りつがイヤホンを外し、険しい顔で呟く。
「……いや、あれは“選別”だ。ついて来れる奴だけ残れっていう。」
「でも、音羽ちゃん、壊れちゃうよ……」
真帆が心配そうにガラスに手を当てる。
あさひは帽子を目深に被り直し、低く言った。
「……アリスは本気なんだ。
演劇部を壊してでも、新しい形に作り変えようとしてる。」
あさひの瞳に、残酷なまでの“修羅場”が映り込む。
「……これは、想像以上に“ヤバい”ことになるかもな。」
カメラを構えることすら忘れるほどの、圧倒的な現実。
分裂した演劇部の溝は、修復不可能なほどに深まろうとしていた。
一方、多目的室。
こちらは打って変わって、笑い声と熱気が渦巻いていた。
「そこだっ! 必殺、コンビニ店員キック!」
「ぐわぁーっ! お客様、店内での暴力は困りますぅ~!」
りんかが派手に跳び、紗里が大げさに吹っ飛ぶ。
即興劇のテーマは『最強のコンビニ店員 vs クレーマー』。もはや設定など崩壊し、ただのコントになっていた。
「はいカットー!」
ひのりが笑い転げながら手を叩く。
「紗里ちゃんの吹っ飛び方、昭和の芸人かよ!」
「いや、りんかの蹴りがガチで風圧すごいんだって!」
紗里が床に転がったまま抗議すると、みことまひるもお腹を抱えて笑っている。
「ふふっ……二人とも息ぴったり……」
「なんか、こういうの久しぶりですね……楽しい……」
そこへコンコンとノックが入る。
「……おーい、演劇部。盛り上がってんね」
開け放たれたドアから、あさひ率いる動画撮影部の4人が顔を出した。
ひのりがパッと振り返る。
「あ、あさひちゃん、動画撮影部のみんな! どうしたんですか?」
「いや、文化祭に向けて各部活の様子を撮って回っててさ。ここもいいかな?」
あさひがカメラを掲げると、ひのりは即答でピースサインを作る。
「もちろん! 良いよ!
今の私たち、最高に“映え”てる自信ありますから!」
「うわぁっ! 明るい! 眩しいっス!」
後ろからひょっこり顔を出したうららが、目を輝かせて飛び出してきた。
スマホを構えながら、興味津々でひのりに詰め寄る。
「演劇部って、もっとこう……台本読んでジメジメしてるかと思ったけど、めっちゃ楽しそうじゃないですか!」
「でしょ? 演劇は楽しんでナンボだからね!」
ひのりが胸を張ると、うららは「いいな~!」と声を弾ませる。
「ねぇねぇ先輩! 私もちょっと混ざっていいですか?
“突撃リポーター役”ってことで!」
「えっ、混ざるの!?」
まひるが驚くが、りんかがニカっと笑う。
「いいじゃん! アドリブなら誰でも参加OKだよ!」
「よっしゃ! じゃあ回しまーす!」
うららはスマホを自撮りモードにして、りんかと紗里の間に割り込んだ。
「はーい! こちら現場の星川です!
現在、コンビニで大乱闘が発生しております! 犯人の動機は!?」
「あ、愛ゆえに……!」
紗里が即座に乗っかる。
「愛でしたー!!」
ドッと爆笑が起きる。
りつと真帆も、そのあまりの平和さに呆れつつ、口元を緩めていた。
さっきの“地獄”を見たあとだからこそ、この場所の温かさが沁みるようだった。
ひとしきり笑ったあと、あさひがカメラを下ろし、少し複雑そうな顔で口を開いた。
「……いやぁ、いい雰囲気だね。こっちは」
「こっちは?」
ひのりが首をかしげる。
「実はさっき……向こうの“特別リハ室”も覗いてきたんだよ」
その言葉に、ひのりたちの空気がピタリと止まる。
「……向こう、どうだった? 七海ちゃんたち……」
心配そうに聞くひのりに、あさひは言い淀んだ。
隣にいた真帆が、暗い表情で代わりに答える。
「……すごかったよ。なんていうか……軍隊みたいだった」
「軍隊……?」
みこが息を呑む。
りつがイヤホンをいじりながら、ボソッと言った。
「アリスって子、相当エグいね。
……音羽ちゃん、泣かされてたし」
「えっ!?」
まひるが悲鳴のような声を上げる。
「お、音羽ちゃんが……泣いてた……!?」
「うん。過呼吸みたいになって座り込んでて……
なのにアリス、『安い涙だ』とか言って、追い討ちかけてた」
あさひが重々しく頷く。
「『泣き止むまでそこで震えてなさい』……だってさ。
見てられなくて、逃げてきちゃったよ」
部室の空気が、一瞬で凍りついた。
さっきまでの笑い声が嘘のように消え失せる。
「……は?」
りんかの眉間がピクリと動いた。
「なにそれ……ふざけんなよ……!」
「いくら指導だからって、泣いてる子に追い討ちかけるなんて……」
紗里も拳を握りしめ、怒りを露わにする。
「音羽ちゃん、繊細なのに……!」
まひるは顔を覆って震え出した。
「ひどい……ひどすぎます……音羽ちゃん、あんなに頑張ろうとしてたのに……」
「落ち着いて、まひるちゃん」
みこがそっとまひるの背中をさするが、その表情も険しい。
そして、ひのり。
彼女は無言で床を見つめていたが、その瞳には静かで、熱い怒りが宿っていた。
「……あさひちゃん。教えてくれて、ありがとうございます」
顔を上げたひのりの声は、低く、ドスの効いたものだった。
うららが「ひっ」と身を縮めるほどの迫力。
「でも、私たちは間違ってないって、確信しました」
ひのりは仲間たちを見渡す。
「あれだけのことして、それで良い演技ができるなんて、私は絶対に認めない。
そんなやり方で作った舞台に、感動なんてあるわけない!」
「……そうだね!」
りんかが強く頷く。
「音羽ちゃんのカタキ、あたしらが取ろうよ!
こっちの“楽しい演劇”で、あいつをギャフンと言わせてやる!」
「おう!」と紗里も声を上げる。
動画撮影部の4人は、その熱気に圧倒されていた。
あさひはカメラを回しながら、心の中で呟く。
(……これは、本当に対立になるな)
分裂した演劇部の対立は、
決定的な“怒り”によって、もはや修復不可能なところまで来ていた。
部活終了のチャイムが鳴り響き、生徒たちが下校を始める頃、夕闇が迫る渡り廊下で、ひのりは一人、壁に背を預けて待ち構えていた。
特別リハーサル室から出てきたアリス・ジョンソンだ。
その顔には一切の疲労を見せず、凛とした表情で歩いてくる。
「……待ち伏せ?」
アリスは足を止めず、すれ違いざまに冷たく言った。
「私の時間は高いわよ。」
「待って。」
ひのりが短く呼び止め、その前に立ちふさがる。
アリスは小さく溜息をつき、冷徹な瞳でひのりを見下ろした。
「What? 負け犬の遠吠えなら聞く気はないわ。」
「……聞いたよ。音羽ちゃんのこと。」
ひのりの声は震えていたが、視線は逸らさなかった。
「泣いてる子に追い討ちかけて……“安い涙”なんて言って切り捨てたって。」
「それが何か?」
アリスは眉一つ動かさない。
「あの子は甘えてた。だから現実を教えた。
指導者として当然の処置(treatment)よ。」
「そんなの指導じゃない!」
ひのりが叫ぶ。廊下に声が反響する。
「心を折って、傷つけて……それで良い演技ができるわけない!
演劇は、みんなで作るものでしょ!? 仲間を道具みたいに扱うなんて、間違ってる!」
ひのりの悲痛な訴え。
しかし、アリスは冷笑を浮かべ、一歩、ひのりに詰め寄った。
「仲間? 優しさ?
……あなた、本当に naive(世間知らず)ね。」
アリスの声のトーンが、ふっと下がった。
その瞳の奥に、昏い炎のようなものが見えた気がして、ひのりは息を呑む。
「“楽しければいい”? “みんなで一緒に”?
……そんな甘い考えで、舞台に立てると思ってるの?」
「……何が言いたいの。」
「私は見てきたのよ。」
アリスは遠くを見るように、視線を夕焼けに向けた。
「才能があるのに、“優しさ”という名の妥協に殺された役者を。
“傷つけないこと”を優先して、結局、誰の記憶にも残れず消えていった舞台を。」
その言葉には、ただの一般論ではない、生々しい“実感”がこもっていた。
「ロンドンでは……舞台に立つことは“生存競争(survival)”だった。
泣いても誰も助けてくれない。ミスをすれば翌日には役を降ろされる。
そんな場所で、私は生き残ってきた。」
アリスが再びひのりを見る。その目は、獲物を狩る猛獣のように鋭い。
「あなたの言う“優しさ”は、ただの麻酔よ。
一時的に痛みを取り除くだけで、成長を止める毒。」
「……っ。」
「音羽には才能がある。だからこそ、壊してでも作り直す必要があるの。
彼女の未来を思うなら、甘やかすことこそが“罪”だと思わない?」
アリスの正論。
圧倒的な経験に裏打ちされた、残酷な真実。
けれど――ひのりは、拳をぎゅっと握りしめた。
「……違う。」
「何が?」
「アリスの言うことは、正しいのかもしれない。プロの世界ではそうなのかもしれない。
でも……ここは舞風だよ。」
ひのりは、アリスを真っ直ぐに見返す。
「傷つきながら生き残るより、私は……
“傷ついた誰かを支え合って”、もっと高いところに行けるって信じたい。
心が折れたら、どんな技術も意味がないもん!」
「……Stubborn(頑固)な子。」
アリスは呆れたように首を振った。
「平行線ね。
Heart(心)か、Technique(技術)か。
理想論か、現実か。」
アリスは踵を返し、背中を向ける。
「証明なさい。文化祭の舞台で。
あなたのその“甘い理想”が、私の“現実”に勝てるというならね。」
「……ああ、やってやるよ!」
ひのりは背中に向かって叫んだ。
「私たちの“楽しい演劇”で、アンタを絶対に見返してやる!
……覚悟しててよね!」
アリスは立ち止まり、振り返らずに片手だけを上げて答えた。
「I’m looking forward to it.(楽しみにしてるわ)」
その声は、冷たいけれど――どこか、ひのりの覚悟を歓迎しているようにも聞こえた。
二人のリーダーは、完全に決裂した。
交わることのない二つの信念。
答えが出るのは――数日後の、本番の舞台だけ。
そして。
季節は巡り、舞風学園は祭りの熱気に包まれる。
続く。




