第98話 陽炎のゆらめき
なんだかんだでやってきたライに連れられ、ヒナタはあっという間に部屋に持ち帰られてしまった。
いつもなら朝食は部屋で食べるが、今日はヒナタを寝かせるために、ちょうど起きたルークを連れてライが軽膳室へと向かう。
その間、ヒナタは絹布にくるまり、ぐずるように身を丸めていた。
ガラリ、と戸が開く音がするが顔さえも出さない。
「ヒナ」
「留ー守ーでーす」
つん、と軽く指先で小突かれたが、ヒナタはむすっとしたまま背を向ける。
本気で怒っているわけではない。けれど、さすがに宝珠への貢ぎ物として胃薬を提案してくるのはどうかと思う、という無言の抗議だ。
そんなヒナタにライは柔らかな眼差しを向けた。
こうやって拗ねられるうちはまだ大丈夫だと分かっているのか、ヒナタの頭を布越しに優しく撫でる。
途端、ピピっという機械音が響き、驚きと一緒に跳ねる勢いで寝台から飛び起きたヒナタは、発信元の指輪を見て目を丸くした。
「……アオバさん!?」
『お久しぶりです、ヒナタさん』
ホログラムパネルの通話ボタンを押せば聞きなれた声がする。
その声にヒナタの肩がほっとしたように下がったのをライの目は見逃さなかったが、何も言わなかった。
「え、なんで!? ここ、裏律界なのになんで電話通じるの!?」
『以前そちらにお邪魔した時に調律核をお渡ししたでしょう? あれは特殊核でして、私の手元にももう一つあるのですよ』
「え、金持ちすぎてこわい。え、同じものってことは、もしかして……共鳴リンク?」
『えぇご明察です。共鳴リンクならば基幹網外の閉域リンクなので銀河に捕捉されることはありません。もちろん、タイムラグと私からしか繋げないという多少の制約はありますが』
和やかに交わされるアオバの声色にヒナタは本気で身震いした。
レゾナンスコアは、たった一つであっても国家予算、もしくはそれ以上に相当する高価なものだ。
しかも特殊核ということは、何百何千億どころの話ではない。
「え、貰っといてアレなんだけど、本当に良かった……? さすがに高すぎじゃ……」
『ふふ、ヒナタさんですから。それに役立っているでしょう?』
「そ、そりゃ……まぁ」
アオバがあのレゾナンスコアを渡してくれたから、今ライがそばにいる。
この惑星に来た時よりも、もっと安全に子供たちを守ることができている。
ただ、対価は支払ったとはいえ、あまりにも高額すぎる貢ぎ物にヒナタの心が揺れた。
そんな様子を見越してライが冷めた口調で言い放つ。
「ヒナが気にする必要なんてねぇ。くそバが腐るほど金持ってることなんて宙間深層ゲート保有者の時点で確定だっただろうが。もっと搾り取ってやれ」
『おやおや、相変わらずお母さんは手厳しいですね。バレていましたか』
「なんでバレねーと思ってんだよ! 夜行って朝帰ってくるとか、そんな移動速度持つのは宙間深層以外考えられねぇだろ! というかお前の母親になった覚えはねぇ!」
噛みつかんばかりのライに、電話越しのアオバが楽しそうに笑う。
だが、確かにそうだ。
一般的な座標固定の星間ゲートや、銀河に張り巡らされた星間トンネルでこんな宇宙の果てにある黎煌国へやって来られるわけがない。
それを可能にできたのは、アオバが地位や権力、資産までもを余すところなく持ち合わせているからだ。ついでにその美貌も。
「ね、アオバさん」
『はい?』
真剣なヒナタの声に、電話越しのアオバが聞き返す。
詳しくはヒナタも知らない。アオバの歳も、その名が苗字なのか名前なのかさえも。
昔、話の流れで聞いたこともあったが、さらりと躱されて以来、聞くことはなかった。
ヒナタが知っているのは、銀河共生機関の職員で、ヒナタの祖父と同じく惑星・地球の日本国出身ということくらいだ。
そしてきっと、これから先もそれ以上に知ることはないのだろう。
「いつもありがと」
だからヒナタは感謝だけを伝えた。
アオバが本気でヒナタに傾倒しようとも、行動の裏に何か別の思惑があろうとも、間違いなく出会ったあの日から大事に扱われてきたのは事実だから。
触れているのに触れない、まるで陽炎のような距離感。
そんなヒナタに、アオバの声はどこまでも優しかった。
『私が好きでしていることですので、ヒナタさんはお気になさらず』
「だろうな」
「ラーイ!」
『ふふ、ライくんは相変わらずですねぇ。宝珠さん、と仰いましたか。彼には威嚇してるようには見えなかったのですが』
「宝珠様とお前を一緒の枠にすんじゃねーよ」
『おやおや』
大して困った様子もなく笑うアオバに、ヒナタも苦笑する。
ライがここまで感情を表すのはむしろアオバだけなので、その反応を面白がられているのだが、果たしてライはそれに気づいているのだろうか。
そんな会話を切り上げるようにアオバが話を続けた。
『実は近いうちにまたそちらにお邪魔しようかと思いまして。ご都合はいかがですか? ヒナタさん』
「来なくていい」
「だからライってばもう! えぇっと……しばらくは屋敷にいるけど、今日は宝珠様がいないから……」
いつ都合がつくか分からない。
そう言いかけて、「寝てないのか」と頬を掠った指先を思い出して思わず言葉が止まる。
その一瞬の躊躇いが、どうやら隙を与えてしまったようだ。
『なるほど。では、二時間後にお伺いしますね』
「へ!?」
ヒナタの制止も空しく、アオバは礼儀正しく、だが手早く電話を切ってしまった。




