第96話 銀河の囁き
分厚い観測窓に遮られた外。その向こう側には無機質な黒の世界が広がっている。
ぼんやりと遠く広がる星雲を眺めていたアオバは、副官の報告に静かに応えた。
「そうですか。まだ彼女は見つかりませんか」
「はい。現在、銀河ネットワークと周辺裏律界へと捜査網を広げていますが、依然として調律士ヒナタ・ハッセルバッハ、並びにRAI-01の消息は掴めておりません」
ホログラム越しの副官の抑揚の薄い声にも、アオバはその星屑にも似た瞳を薄めるだけに留めた。
ヒナタが家族と共に祖父母のいる地球へ赴き、その帰りに星間事故に巻き込まれ消息を絶ってもうすぐ二ヶ月。
一時は救難信号も捕捉されたが、位相差が発生させた磁気嵐に巻き込まれ、座標特定は困難を極めた。
そんな予想どおりの報告に、アオバは一度深く背面に体を預けてゆるりと長い足を組み替える。
「彼女ほどの実力ならば心配はいらないでしょうが、幼い子供たちも一緒です。早急に捜索範囲を広げましょう」
「ですが、すでに銀河ネットワークとその周辺の裏律界へも捜索範囲を伸ばしております。八月以降、救難信号も途絶えたとなると……」
「――彼女の身に何かあったと?」
すっと凍てついたアオバの声と瞳に、副官の男は背筋を這いあがる悪寒を隠しながら、「いえ!」と即座に答えた。
まるで蛇に睨まれた蛙のように一瞬で顔面蒼白になった副官。
しかし、当のアオバはふっと目元を和らげ、柔らかく微笑む。
「でしょう? 大体、彼女の身に何かあるわけがない。例えそうなっていたら、宇宙のどこかでビッグバンでも起こっていますよ。そんな観測はされていないでしょう?」
実に楽しそうに語るアオバの姿に、副官は怒りが逸れたのだと悟った。
この世の者とも思えぬ美しさを持つアオバの本来の仕事は、コードネアに随行する自立型アンドロイドの調整役だ。
だが、人間以上の強さを誇るアンドロイドでも――あの自立型アンドロイド最強とも呼ばれるRAI-01を以てしても、アオバに敵う個体はいない。
いつも涼やかで、だが、誰よりも恐ろしい。
そんな目の前の麗人の怒りを買うことを副官はいつも恐れていた。
だがその一方で、聞くことを憚れる興味があった。命がけの興味だ。
「ですが、もし……もしもヒナタ・ハッセルバッハが自我を失ったら、長官はどうされるんですか?」
元々、コードネアは歪みの成り損ないのような存在で、かろうじてナニかに生かされている脆い生き物に過ぎない。
だから先ほどアオバが言ったように、自我を失い、歪みと化せば、惑星がいくつか滅んでもおかしくはないのだ。
そうなった時のための最終防波堤が、自爆機能を持つ護衛Lynxであり、さらにその手前で穏便に解決するのが――アオバというコードネアの処刑人だった。
その問いには気分を害さなかったのか、アオバが薄く笑う。
「彼女は銀河共生機関にとって必要な人材です。それに、子供たちが彼女のストッパーになっているのでしばらくは大丈夫でしょう」
そう言ってアオバは、捜索範囲の詳細は追って知らせると一方的に通信を切った。
無言の静寂と、冷たい空気が部屋に漂う中、開きっぱなしにしていたディスプレイの広告がアオバの目に留まる。
そしてそれを見た瞬間、アオバは蕩けるように瞳を緩ませた。
「秋の新商品フラペチーノですか。ふふ、ヒナタさん、お好きそうですね」
そう楽しそうに呟いて、手早く指示を副官へと送信したアオバは、軽やかな足取りで部屋を後にした。
*
「……大丈夫か。ヒナ」
まだ宵も深い深夜。
気遣うようなライの声に、ヒナタはどこか弱々しさを飲み込んだ苦笑を浮かべた。
「平気だよ。子供たちのほうが限界だもん……」
そうぽつりと呟くヒナタの腕の中には、泣き疲れて眠るルークとアステリアの姿があった。
昼間ならば、二人とも元気いっぱいな笑顔を見せる。
だが、夜は違った。
銀河ネットワークを離れ、もうすぐ二ヶ月が経とうとしている。
ヒナタはコードネアという職業上、銀河を離れることは珍しくなかったが、まだ三歳になったばかりの子供たちはそうではなかった。
初めての外側の宇宙。
初めての、裏律界。
銀河文明で生きてきた子供たちにとって、それはとてつもないストレスだ。
銀河での当たり前の生活が、黎煌国では当たり前ではない。
風呂さえ満足に入れず、気軽に出歩くこともできない。
好きな色の服を着ることも、髪の毛一つさえ自由になることを許されない。
そんな初めての世界での不安は、時折、夜泣きという形で子供たちに現れた。
どちらかが泣けば、もう一方も泣く。
ライでは駄目だった。ヒナタじゃないと子供たちは泣き止まなかった。
そんな二人を、ヒナタは一晩中抱きしめる。
それがヒナタ自身を擦り減らしていると分かっても、ライはただ一緒にそばにいることしかできなかった。
「……会いたいな」
無意識にこぼれ落ちたヒナタのか細い声に、ライの眉がわずかに歪む。
こういう時、ヒナタが会いたがるのはロイドではない。
もちろんライでもない。
そんなやりきれない気持ちを、ライは子供たちを抱くヒナタの隣で寄り添うことしかできなかった。
ヒナタも分かっている。ライが彼に会うことを嫌がることくらい。
それでもヒナタがこのどうしようもない感情を吐露できる相手は、銀河でただ一人、アオバしかいないのだ。




