第94話 雨音
子供たちと過ごす、とはいってもこの黎煌国は雨期真っ只中だ。
例え晴れ間であっても、宝珠の婚約者でもあるヒナタが安易に出歩けるわけもなく、かと言ってテレビのような娯楽があるわけでもない。
だから蒸し風呂日の今日なら入浴前に雨の中で遊んでもいいよと言ったヒナタは、高床式の一階部分で雨を避けつつも子供たちの見守りをしていた。
風邪とは一切無縁のライと楽しそうに銀河特性のシャボン玉で遊ぶ子供たちの笑顔を見て、ヒナタは隣で洗濯物を干す李花に尋ねる。
「ねぇ、李花。雨期ってこんな感じでしばらく続くのよね? 黎煌国の子供って、その間は何してるの?」
ヒナタの問いに、李花は一度作業の手を止めた。
雨期とはいえ洗い物は毎日のようにある。
今まではかなりの時間を水仕事に取られてきたが、ヒナタが開発したシャボンソープの登場によって、水仕事は劇的に楽になった。
商会の御用聞きの話では、バリエーションある香りと汚れ落ちの良さから、少々値は張るがかなり好評らしい。
そんな革命的商品の権利をあっさりと売り渡したヒナタには李花も驚いたが、シャボンソープは宝珠邸に優先的に納品され、作る手間がなくなった上にヒナタには毎月使用料が払われるので実際はかなりヒナタに利がある契約だったのかもしれない。
「そうですわね、貴族の子供でしたら教養を身につける時期として詩文や書、礼法などをより深く学ぶ時期になりますが、庶民でしたら、家業の補佐や手習いなどが中心でしょうか」
「えっと、その、娯楽的なものは……?」
室内での生活がメインになると分かっていても、それでは息が詰まりそうだ。
おずおずと聞いたヒナタに李花は小さく微笑む。
「ふふふ、ヒナタ様たちから見たら面白味なく感じるかもしれませんわね。貴族でしたら英雄伝のような書物や盤遊戯、裁縫や刺繍のようなものがございますが、一般庶民でしたら石並べや材木での工作が娯楽になるみたいです」
「あぁぁぁ、やっぱりそんな感じなのかぁ」
そう崩れるように言葉を漏らしたヒナタは、座り込んで膝に顔を埋めた。
分かっていたことだが、文明差がありすぎる。
なんせ1000年も違うのだ。
子供たちにランダムトイボックスを買ってきて良かったと思う反面、この生活が長く続いたらどうしようという不安もよぎった。
「ヒナタ様たちの国では、あのような遊びが一般的なのですか?」
李花の声に、ヒナタは子供たちに目をやる。
吹いて飛ばしては追いかけて割る、そんな単純な遊び方だが、雨風のせいでいつも以上に違う場所へと飛んでいくシャボン玉に子供たちは大喜びだ。
そんな光景が、李花の目からはとても興味深く見えるのかもしれない。
「うん、シャボン玉っていってね。大抵の子供たちは好きかな。原材料はシャボンソープと一緒なの」
「あぁなるほど。だから“シャボン”という名がつくのですね。でも、シャボンソープと同じと言われましたら、中々に贅沢な遊びに見えてしまいますわ」
「あはは、確かに。なんなら今あの子たちが遊んでるのは、玉が割れにくいやつだから、ちょっとお高めなの」
そう言って笑うヒナタに、李花は物干しを再開しようとして、ふと手を止めた。
「……ヒナタ様は、わたくしに何もお聞きにはならないのですね」
「ん?」
少し沈んだような李花の声に、ヒナタは座り込んだまま見上げる。
藍飛よりもやや青味の強い黒髪をひとまとめた李花は、銀河人のヒナタの目から見ても芯のある美しさを持つ、たおやかな女性だ。
そんな彼女の表情が曇ったのをヒナタは見逃さない。
「わたくしは、二十六になります。そんな女が母の元を離れずにここ屋敷にいることに、ヒナタ様は何も聞かれませんでしたから」
李花のその言葉を聞いてヒナタも合点がいった。
そうして、かつて子供たちを見て少し切なそうな表情を浮かべた李花の姿を思い出し、視線を子供たちに向ける。
「……何か事情があるのだろうと思ってたから、別に気にしてなかったよ。かと言ってこの国で不躾に聞いてもいい話でもないだろうから」
黎煌国では、成人の十五を迎えると即適齢期となり二十歳までに大半の人間が婚姻を結ぶ。
そんな中、美しい容姿と、冬家嫡男の乳姉弟に当たる李花が行き遅れになるなど、普通ならばありえないだろう。
そんな李花に、ヒナタはあえて視線を向けなかった。
面と向かってはこんな話はしにくいだろうし、本当に気にしていないということを伝えるためだ。
「無理に話さなくていいよ。あたしはこの国流の考え方はしないし、李花にはすごくお世話になってるからそれだけで十分。そのことで外野が何か言うなら、あたしが殴っておくから」
そんなヒナタの言葉に、李花はぎゅっと洗濯物を握りしめる。
「ふ、ふふ……だめですわヒナタ様。ヒナタ様が怪我をされたら皆が心配しますもの」
その笑い声が、少しだけ揺れた。
ヒナタは宝珠の婚約者だ。それに子供たちもいる。ライもいる。
そんなヒナタが怪我をすることなど、誰も望まないだろう。
だが、李花の言葉をヒナタはやんわり嗜めた。
「そんなの李花が傷ついても心配するよ」
「……え?」
李花の目が驚いたように見開く。しかしヒナタは、当然のように告げた。
「どんな形であれ、李花が傷ついたら李姜も宝珠様も、あたしや子供たちだって悲しいよ。傷つくってのは体だけじゃないの、心が傷ついたら、体以上に辛いんだよ」
それこそ、世界を呪うほどの悲鳴に変わることをヒナタは知っている。
だからヒナタの言葉に抑揚はなかった。
ただ、淡々と事実を言っている。まさにそれを体現していた。
だからこそ李花も、流れるように言えたのかもしれない。
「わたくしは……子を宿せないのです」
そんな、黎煌国では絶望的な言葉を。




