第92話 余韻(3)
まどろむ意識の中、ヒナタはゆっくりと目を開けた。
真っ先に目に入ったのは見知らぬ天井。それをぼんやりと眺めながら、ゆっくりと瞬きをする。
(……ここ、どこだっけ……)
気分はやけにすっきりしてる。だが、どこか記憶が曖昧だ。
そうしてまだ起動していない脳みその中からゆるゆると記憶を辿れば、ようやく昨日の出来事を思い出し、気だるげに右手で自分の目元を覆った。
(あ~~……しまったぁ……強引に宝珠様を抱いちゃった……)
宝珠が聞いたら思い切り眉をしかめて「齟齬がある」と言い出しかねない思考だったが、ヒナタは至ってまじめにやらかしたとばかりにため息をつく。
媚薬を盛られた宝珠を解毒すると部屋に連れ込んで迫ったのはヒナタだ。
だが、さすがにあれは少々痴女めいていたかもしれないと今になって思いつつ、のろのろと体を起こした。
「――起きたか」
「へぁ……?」
だが、そこでかけられた声にありえなく間抜けな声が漏れた。
反射的にまずいと冷や汗が垂れる。
何がまずいとかではない。今までの経験上、今回もヒナタがやらかしたのは間違いないからだ。
顔を向けられず、ヒナタがどう弁明しようかと頭をフル回転しようとしていたところに、そっと影が差した。
反射的に見上げれば、そこには茶杯を差し出す宝珠の姿がある。
「え、えぇと? ありがとう……ございます?」
「あぁ」
そう言って宝珠はそのまま寝台横にあった椅子に腰かけた。
どういう状況か判断がつかないまま、ヒナタはとりあえず受け取った茶杯を眺めてゆっくりと口をつける。
ぬるめのお茶が喉を通りすぎれば、この状況の異様さにも気づくというものだ。
「……ライですね?」
そう言ってヒナタは、飲み干した茶杯を両手で包みながら、ちらりと周囲を軽く見た。
明らかにここは妓楼ではないし、かといって与えられた自室でもない。
だが、宝珠がいるということは自分が寝ている間に屋敷に帰ってきて、恐らくは――彼の自室の彼の寝台にいるのだ。
「あ~~……も――ほんとごめんなさい。気にしなくてよかったのに」
「何がだ」
「何って……えと、その……配慮と言いますか、何と言いますか……」
言葉で説明しようとすると、なぜか妙に気恥しい。
昨夜は問答無用で押し倒せたはずだが、今はその時の何十倍も恥ずかしくて、ヒナタはここにいないライを恨んだ。
あの男のことだ。きっと呼んでも来ないに違いない。
かと言って、無言の空気にも耐えられずヒナタは動揺を隠したままなんとか言葉を探した。
「だってこっちでは、えと……よくは知りませんけど、こんなふうに気遣わないでしょう? そこらへんはちゃんと分かってますから、部屋に戻してくれても大丈夫だったのに……」
「だが、銀河流でいこうと先に言い出したのはそなただろう」
「う、ぐ……!」
そう言われて固まったヒナタの手元から宝珠が茶器を引き取る。
眉を下げ、いつもの怒られ待ちスタイルになったヒナタに対し、宝珠は茶器を卓に置いてから再度戻ってきた。
「体は?」
「へぁ!? あ、え、全然平気ですよ!? え!? あたし、そんなに宝珠様に無茶させました!?」
「……」
「えぇぇぇ……あー……ごめん、なさい……?」
窺うようなヒナタの謝罪に、護衛が護衛なら主も主だな、と宝珠は表情を変えることなく内心ため息をついた。
昨夜、妓楼からの帰り道。御者車の中でライに全く同じことを言われたのは記憶に新しい。
確かに、黎煌国流とは到底言えないヒナタ主導のものだったが、それでもなぜにこうも宝珠が気遣われるのかと少し男としての尊厳を失いそうになる。
そうして宝珠はヒナタを見下ろした。
銀河では、体を重ねた翌朝に男が女へ最大限の配慮をせねば、いわゆる体目的なのだと言われても仕方がないと語ったライを思い出す。
(そんなつもりは、毛頭ないが……)
不慮の事故だ。そう、災害のようなもので避けられなかっただけ。
ヒナタの性格ならば、例え朝、宝珠が隣にいなくても気にすることはなかっただろう。
何より、調律士として誰よりも他文明への理解と造詣が深いヒナタが、宝珠を責めることなどするわけもない。
だが、体目的と思われるのを厭ったのは宝珠自身だ。
今までは立ち入りを禁じていた屋敷北側。
そこにある私室に、宝珠はヒナタを連れてくるようライに言った。
自分からヒナタのフォローを口にしたライだったが、宝珠のその決断には少々驚きながらも、「起きたらまずは水を飲ませて、体調を気遣ってやってほしい」としっかりレクチャーしたうえで最愛のコードネアを託した。
その助言を忠実に行ったのは、ひとえに宝珠の実直と誠実さゆえ。だからこそヒナタもいたたまれない気持ちになるのだ。
「えぇっと、あたしは大丈夫だから宝珠様も気にしないでくださいね!? 昨日のことは忘れてもらって大丈夫なんで! ……あれ? これ、言葉合ってる……? 同調、ちゃんと翻訳できてます……? うぅんと、えと、ほんと、大丈夫ですよ!?」
「分かったから、少し落ち着け」
軽くパニックになってきたヒナタは、再度思考会話でライにありったけの愚痴を吐く。
(さっきから無視してるでしょー! なんで朝っぱらからこんなに気恥しい思いしなきゃいけないのよ馬鹿ライ――! 宝珠様じゃなくてライがあたしの世話すればいいじゃんかぁぁぁ! それがLynxの役目でしょ――!)
最大限叫んでみたが、予想通り、返事は帰ってこない。
ぐぬぬと拳を震わせたところで、ふいに笑いを噛み殺したような声が届いた。
(惜しいな、ヒナ。今は朝じゃなくて昼だ)
「そーゆーことじゃなぁぁぁぁい!」
いきなり叫んだヒナタに宝珠は目を丸くする。
その宝珠を見て、ヒナタはまた事情説明で慌てふためくはめになるのだが、その時にはすっかり、驚くほどに何もかもが元通りの日常に戻っていた。




