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コードネア・クロニクル  作者: 熾音
第二章

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第90話 余韻(1)


 

 「……様。宝珠様」

 「!」



 ぼんやりした意識を引き戻すような声に、宝珠はハッとする。

 

 カタカタと響く車輪の音と、揺れる振動。

 黎煌国の夜を彩る明かりは遥か遠く、とっぷりと宵に沈んだ窓の外はただただ赤みを帯びた月明かりしか見えない。


 どれだけ意識を飛ばしていたのか、気づけば御者車(ぎょしゃぐるま)は左右に灯された紗灯(しゃとう)だけを道しるべに、ちょうど屋敷へ向かう坂をゆるやかに上り始めたところだった。


 呼ばれるがままに、のろりと宝珠が反対座席の声の主に目をやれば、闇夜に赤い目が光る。

 ライだ。

 

 そして彼の腕の中には、男装したままのカナタ姿のヒナタがすやすやと寝息を立てている。


 それを見て、宝珠の脳裏に先ほどまでの出来事が一気に甦った。



(あぁ、そうか……私は、ヒナタと……)



 人攫いを調べるため、止めたところで絶対に引かないヒナタに同行して花街に足を運んだまではよかった。

 だが、ヒナタが暴行を受けた妓女を助けたことで、何かが狂い始める。


 

桃艶花(とうえんか)か……龍眼酒(ロンガンしゅ)と混ぜると媚薬になるなど初耳だったな。花街特有のものか)



 龍眼酒(ロンガンしゅ)自体が高級酒なため、飲める人間は限られる。

 だが悪用される物ならば法を司る法部の人間として、例え他部署の管轄であろうとも見逃すことはできない。桃艶花よりさらに厄介なものが出てこないことを願うばかりだ。

 

 

(この辺りは後日藍飛(ランフェイ)に話を聞けばいいが、媚薬酒の解毒方法を聞かれたら厄介だな……)

 

 

 そう考えて、宝珠の目線は自然とヒナタの寝顔に落ちた。


 妓女に暴行を加えたのは、あろうことか四部省十二局の一つ、祀省(ししょう)祭祀局(さいしきょく)の局長だったらしい。


 元々、異端の忌み子と周囲からよく思われていない宝珠だが、祭祀局長を含む因習を重んじる上位貴族たちは特にその傾向が強かった。

 

 そして何より、今の宝珠にはヒナタがいる。


 当初、()()()()()から漂流した異国の娘は、幼い子持ちの未亡人として貴族らの格好の話題となった。

 

 だが、そんなヒナタは宰相や星解きの巫女、さらにはこの国の王にまでその有用性を示すほどに、男の数歩後ろを歩くことが美徳とされる黎煌国の女とは何もかもが違ったのだ。


 そんなヒナタを、さらには一夜にして彼女を婚約者に据えた宝珠のことを面白く思わない者がいるのは至極当然で、今回のこともそれが引き金に起こったようなものだった。


 ヒナタという婚約者がいるにも関わらず、宝珠が妓楼にいると知った祭祀局長による悪意は、妓女を脅し、宝珠に媚薬酒を仕込ませるというなんとも低俗なもの。


 その企み自体は男装して共に宴席の場にいたヒナタによって未然に防がれたのだが、結局、妓女の体裁を守るために宝珠自ら媚薬酒を煽った。


 その結果が、今である。


 ライはヒナタを腕に抱きながらも、どこか申し訳なさそうな苦笑を浮かべた。

 


 「すいません。そんなにヒナが無茶させましたか?」

 「……その娘がさせた側か」

 「まぁ、あの状況でしたからね。宝珠様なら自分からはヒナに手を出すことはなかったでしょうが、ヒナですから」

 


 そう言われて宝珠は口を閉じる。

 結果的に、半ば強引に押し切られる形でヒナタと体を重ねることを承諾したのは宝珠自身だ。

 自ら、これは“解毒”行為の一環なのだと言い聞かせて。


 だが、頭では理解していても、理屈を並べれば並べるほど、なぜかその時の記憶が鮮明に甦る。

 ヒナタの声も体温も、踏み込んでしまった距離感も。

 

 それを自戒するように、宝珠は無意識に拳を握りしめていた。



 「ヒナのことは気にしなくてもいい……と言っても、まぁ無理ですよね」



 困ったようなライの表情を見て、宝珠はそのまま視線を落とした。

 

 すべてが終わり、ヒナタの意識がシーツの海に沈んだ頃。

 まるで見計らったかのように部屋に迎えに訪れたライは、全裸で眠ったままのヒナタを前にしても慣れた手つきで着替えさせ、あっという間に擬態解除(フォーム・シフト)でカナタ姿へと戻してしまった。


 そして卓上にあった酒を手に取ると、高エネルギー放出で一気に気化させ、酒気をカモフラージュに消臭処理を行うことで部屋の中から完全にヒナタと宝珠の痕跡を消し去ったのだ。


 あとは泥酔したと見せかけたヒナタを肩に抱えて、何食わぬ顔で宝珠と共に妓楼を後にすればこの花街で勘ぐる者はいないだろう。

 

 

 「あの状況では、ヒナの判断が最適でした。ほかの姐さん方に任せるくらいならヒナが動くでしょうし」

 「……まったく同じことをヒナタが言っていたな」

 「はは、でしょうね」



 忌み子と呼ばれた宝珠を、きっと他の妓女たちは恐れるだろう。

 だから彼女たちのためにも、宝珠のためにも、ヒナタは堂々と「あたしに抱かれてください」と宝珠に言い放ったのだ。

 

 そして結局、宝珠はヒナタに抱かれる羽目になるのだが、それを「気にしなくてもいい」で済ませるにはあまりにも無理があった。



 「あぁ、そうだ。別にヒナの経験が多いっていうわけじゃないんで、そこだけは誤解しないでやってもらえると助かります」

 「……それも、言っていたな」



 一見ヒナタは、奔放に見えてしっかりと計算づくめなことを宝珠は正しく理解している。

 近くにいるようで、猫のようにすり抜けていくのがヒナタなのだ。


 誰にでも距離が近いようで、その実、しっかりと距離を図って心は許さない。

 それこそヒナタが完全に身も心も許しているのは、ライや幼い子供たちくらいだろう。


 

 (いや、あと一人いるか……)



 そう脳裏に浮かんだのは、闇夜に浮かぶ一人の男。

 宝珠が彼と会ったのはあの酒宴の晩のたった一度だけ。それなのに、その男の存在はあまりにも鮮烈だった。


 

 (名前は……確か、アオバと言ったか)

 


 長い黒髪をたなびかせ、ヒナタを攫った銀河の男。

 ヒナタが躊躇いなく身を預けたあの男のことを考えれば、じわりと墨が滲むように、やけに宝珠の胸の奥のほうがざわついた。

 

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