第85話 魅惑の街(2)
ライが部屋を後にし、室内に残されたヒナタは相も変わらず楽しげに妓女たちを口説いた。
酒も進み、酔いも程よく回ってきた頃。
それとなしにヒナタは、この花街に来た当初の目的を果たすべくゆっくりと目の前の妓女の頬に触れる。
「ん……っ、カナタさま……」
「ふふ、可愛い。こんなに可愛いと、誰かに攫われてしまいそうだね」
“攫う”という一言に、妓女たちの顔にわずかに影が差し、ヒナタは何も知らない風を装って「どうしたの」と声をかけた。
そうすれば、妓女らは互いに目配せしつつ、おずおずと口を開く。
「カナタ様は異国の方なのでご存じないかもしれませんが、実は最近、この花街で人が攫われる事件が多いんですの……」
「へぇ、知らなかった。それは物騒な話だね」
(ほんとはよく知ってるけどね! なんせ二度もうちの子たちが攫われたんだから! 覚えてなさいよ、ぼっこぼこにしてやる!)
表情を変えることなく内心毒づいたヒナタは、そのまま妓女たちの話に耳を傾ける。
「攫われるのは月に一人か二人。ほとんどは下級妓楼の娘たちですが、実は使いに出たわたくしたちの見習いの娘も攫われてしまいましたの」
「それは……心配だね。でも、そうか。花街は奥に行くほど格式が高いから、自然と大門に近い下級妓楼のほうが攫われる確率が高いのかな」
「えぇ、下級妓楼の妓女たちもほとんど外出しなくなったと聞きます」
「碧様を含め、警衛局の方々が見回りしてくださってますけど、消えた娘たちが大門を通った形跡もないようですの」
「本当に怖いですわ、カナタさま」
一斉に身を寄せてくる妓女たちを体一つで抱きとめ、ヒナタはふむと目を細めた。
どうやら人攫い一味は巧妙な手段で、妓女や妓女見習いの娘たちを花街の外へと連れ出しているようだ。
(でもルークたちを攫った奴らはどれも素人で切り捨て可能な末端だった。それならむしろ、本命は妓楼の娘たちを攫ってる連中で、街を騒がしている連中は……陽動?)
人攫いで真っ先に思いついたのは組織ぐるみの人身売買だ。
下級とはいえ顔立ちの整った妓女ならば、さぞかし高値で取引されるだろう。
妓女見習いやルークやアステリアのような幼子は、攫った妓女たちに育てさせれば尚も高額な商品に化ける可能性だってある。
囮として雇った連中は、市中で娘らを攫ってくれば上々。万が一捕まっても、最初から切り捨て予定だから捜査の攪乱にさえなればそれでいい。
手段としては悪くない手だ。
そして藍飛らの捜査むなしく、大元に辿りつくことなくこうも頻発するということは、黒幕には相当の切れ者がいるということだろう。
「……大丈夫だよ。少なからず、俺の目の届く範囲ではそんな事件起こらないから」
にっこりと微笑むヒナタに、妓女らからほう……と熱い吐息が漏れた。
どこの国でも、特に男から良い扱いを受けずにきた彼女たちにとっては、ヒナタのような典型的な“王子様”は胸をときめかせるには十分すぎる毒だ。
「カナタ様はお強いのですね。なにか武芸を?」
「まぁ、そこそこかな」
(……ほとんど物理で解決してる人に“そこそこ”とか言われたら私たち実働部隊は泣いちゃうよ。ねぇ宝珠)
「お国で、お仕事は何をされてるんですの?」
「一応、政府高官」
「まぁ! その若さで重職に就いていらっしゃるなんて……! さすがはカナタ様ですわっ」
(……まぁ、交渉権限を持った外交官なのだから嘘ではないな)
「ということは、ライ様も?」
「いいや、あいつは護衛。でも超一流だから俺よりも強いよ。君たちもライのそばにいたんだから、あいつがいい体してるの分かっただろ?」
「い、いやですわ。カナタ様……そんな、はしたない……」
頬を赤らめ、両手で押さえる妓女にヒナタは喉を鳴らす。
ヒナタの色香に当てられて失神した妓女はあれから二人増え、ここに残っている彼女たちは、すでに精鋭妓女といっても過言ではないだろう。
そんな彼女たちを眺め、もうどれだけ飲んだかわからない酒を口にしながら、ヒナタは機嫌良さそうに笑った。
「俺らの国じゃ、男も女も仕上げた体を褒められるのは嬉しいんだけどなぁ。まぁ、この国には少し早いか。あぁ、悪い。ちょっと厠行ってくる」
(……ねぇ、宝珠。ヒナタ殿は男用に行くの? 女用に行くの?)
(それを私に聞くな)
今までヒナタを傍観していた宝珠と藍飛は、あまりにも手馴れたヒナタの様子に諦めたツッコミしか出てこない。
(ぜーんぶ聞こえてますよーだ!)
案内の申し出を辞退したヒナタは、妓女たちから見えない位置で宝珠たちに向かって軽く舌を出し、部屋を出た。
驚いたような宝珠たちの表情に、溜飲も少しは下がるというものだ。
部屋の障子を閉めた途端、甘い香りと微熱の消えた廊下の空気がやけに冷たく感じる。
「そういや、ライも帰ってこないな。思考会話……で呼び出すのもかわいそうか」
性欲というものはないが、人と同じようにそういう行為自体は可能なライのお楽しみを邪魔をするつもりはない。
そんなことを考えながらたどり着いた厠の前で、一瞬どちらに入るべきか悩んだヒナタだったが、今の見た目で女用はさすがに無理だろうと何食わぬ顔で男用へと入った。
ふいに、どこかで小さな叫び声が聞こえる。
だがそれは降り出した雨音に消され、今のヒナタの耳には届かなかった。




