第8話 内緒話
「あぁぁぁ……やっぱり髪がきしむー」
子供たちがすやすやとお昼寝中のなか、指先でつまんだ髪を寝転びながらじっと見つめたヒナタは、深い深い溜息をつく。
衣食住は保障されているし、婚約者、という名目の居候一家なので文句を言えないのだが、これでは辺境のキャンプ地にでも来たようだ。
《こっちは超ナチュラル成分の薬湯シャンプーだしな。ガイア製と比べるってのも酷だろ?》
「そりゃそーだけどっ! でもこのキシキシ感はやーだー……ライ、なんとかしてよぉ……」
声を抑え、最低限の動きで両手足をバタバタさせるヒナタは、ここに来てからのヒナタらしくはなかった。
この国の人間から見たヒナタは、聡明で思慮深く、子を一途に守る見本的な母親だ。
けれどそれは、ヒナタの一側面にしか過ぎない。
《はいはい、髪が痛んでもヒナは可愛い可愛い。……それにしてもあの星間事故……まさか強制転送先が裏律界だとはな。さすがに捜索中断にはならないだろうが、捜索範囲が広すぎる》
「……あたしが可愛くても、髪が可愛くないよ」
むぅっと拗ねたようなヒナタの声に、彼は喉を震わせるように笑った。
青年のようなその声は、ヒナタの指輪から直接聞こえてくる。
「それに、ここじゃライの電力供給もうまくいかない」
《常に雲に覆われた……しかも赤雲だろ? 間違いなく何かしらの歪みが原因だろうな》
「……うん。でもまだ情報もないし、何よりライなしでやれることなんて限られてる」
そう呟いて身を起こしたヒナタは、子供たちの寝顔を眺めた。
朝から蒸し風呂に入り、屋敷内外を探検した子供たちはとても穏やかな寝顔で眠っている。
「……あたしとライだけなら強行突破で解決する。けど、子供たちが一緒となれば無茶もできない」
《……そうだな。ごめんな、ひとりにして》
その言葉に、ヒナタはそっと指輪を愛おしげに撫でた。
左手の薬指にはめられているのは、ただの結婚指輪ではないのだ。
調律士と呼ばれる人材には、その職務の特異性から必ず一人につき一体、常駐護衛サポート――Lynxが付くことになっている。
いついかなる時もコードネアを守り、寄り添い、行動を共にする。
それこそ病める時も健やかなるときも、コードネアと生涯を共にし、コードネアと共に死ぬ運命にある存在。
それこそが――
型式名:RAI-01(Railgun Artificial Intelligence)機体属性:電磁制御型戦闘アンドロイドAI。
――通称"ライ"という存在だった。
彼の本体は、指輪内部に格納された高密度情報体――次世代型AIの量子情報圧縮体だ。
銀河ネットワーク圏では恒常供給電力により常時最大稼働が可能だが、統制のない裏律界においては全ての制御システムが通常の半分以下となっており、実体化さえもままならない。
なにせこの指輪には、ライの他にも空間測位システム、解析機能、生体スキャンなど多くの機能が備え付けられているからだ。
そして、それを維持するためにもエネルギー供給システムとして、太陽光での常時充電が施されているのだが、常に赤雲が空を覆う黎煌国ではそれさえ不利な状況だった。
はぁ、とため息一つ吐いてヒナタは天井を眺める。
愚痴を言っても、現状は変わらない。考えることも、やるべきことも、守るべきものだってある。
「銀河共生機関は必ず救援に来る。だから、それまではできる範囲でこの国の調査と解明だね。心配しないで、無茶はできるだけしない」
《そこで無茶しないって言わないのがヒナだよなぁ》
「だってこの国の文化系統から考えて、どう見ても男尊女卑でしょ。ある程度はこの国のルールを尊重するけど、限界はあるよ。……大丈夫、バレないようにやる」
《バレないよう物理で?》
「そう、物理で」
挑発的な笑みを零したヒナタに、ライも少し安心したように笑った。
調律士という存在は世界が思っている以上に特殊で、複雑だ。
世間一般的にコードネアは、裏律界にある新規惑星開拓の現地調査員や通訳者、それに伴う"外交員"という認識が強い。
それゆえにコードネアは銀河共生機関所属であり、各惑星の政府特殊職員でもあるのだ。
だが、コードネアは圧倒的に人材が少ない。
宇宙の原初語とも言われる特殊な言語――宇宙調律言語を理解できるか否かでコードネアになれるかが決まるからだ。
《……ヒナ。最悪は、俺が出るぞ》
ライの頑として譲らない意志を感じてヒナタは目元を緩ませる。
ヒナタの護衛は、とても庇護欲が強いアンドロイドなのだ。
……きっと、誰かさんに似て。
「ふふ、分かってる。そうならないよう、うまく立ち回るから」
そう呟いて、柔らかく微笑んだヒナタは静かに指輪にキスを落した。