第77話 秘された過去(1)
「……なるほどのぉ、そんなことがあったか」
行儀悪く長椅子に横たわった璃嵐は、卓に置かれた塩せんべいをつまむ。
そのパリパリとした小気味のよい音に、思わずヒナタも勧められるがまま手を伸ばした。
「可愛いですよね、彼。背伸びしてる感じが」
「それは褒め言葉ではないじゃろう」
「まだ可愛げがあるうちは褒め言葉です。それにしてもこの塩せんべい、美味しいですねぇ」
「東に火山地帯があっての。そこの塩鉱脈から取れた岩塩じゃ」
「東って、冬家の?」
ヒナタはまじまじと塩せんべいを見つめた。
明らかに海塩とは風味が違う、一回りほど大きい粒の塩は、どうやら火山の地熱で結晶化した特別なものらしい。
「ふふ、そなたも冬家の婚約者。いずれは本家に顔を出すやも知れぬな」
「え……でも宝珠様は、長く帰ってないって……」
「今は状況が違うじゃろ。婚姻を結ぶとなればそなたも冬家の人間。一度は挨拶に行かねばならんじゃろうて」
「えぇぇぇ!?」
嫌そうなヒナタの表情に、思わず璃嵐が吹き出す。
「そうかそうか、そなたには家という縛りは億劫なのか!」
「億劫というか、さんざん宝珠様を放置していたのに今さら挨拶とか……それならまだ、家人の皆に“宝珠様を下さい!”って頭下げたほうがマシですよー」
「なんと! そなたが冬宝珠を嫁にもらう立場か! くふふ、それはなんとも斬新よの」
黎煌国のしきたりや風習に縛られないヒナタは、いつだって璃嵐の予想を裏切る。
そんな目の前の異邦人に、口元を押さえながら璃嵐は面白げに目を細めた。
「あいも変わらず面白いものじゃ。さて、ヒナタ。そなた、妾に用があったのじゃろう?」
「……ぁ」
そう問われて、ヒナタは口の中の塩せんべいをそっと飲み込んだ。
それから居住まいを正し、肩の力を抜くようゆっくりと息を吐く。
「璃嵐様は、黎主の相談役とお聞きしました」
ヒナタの纏う空気の変化に、璃嵐もゆっくりと身を起こす。
もう少し楽しい時を過ごしたかったが、二人に許された時間はそう長くもない。
「赤雲調査で、一部判明したことがあります」
「ほぉ、仕事が早いの。して、何が分かった?」
軽く身を乗り出す璃嵐に、ヒナタは意を決する。
「雨恵祭でまみえた黎主の右腕。あれは、間違いなく赤雲と同じものでした。……相談役の璃嵐様なら、何かご存知なのでは?」
璃嵐は目を丸くし言葉を詰まらせた。
そこまでたどり着いているのかと、どこか驚きにも似た苦い思いが広がる。
しばらくの逡巡ののち、璃嵐は重々しく口を開いた。
「そうじゃ。黎主の右腕に刻まれているのは呪い。……守神のな」
「守神……」
初めて聞く名にヒナタはそっと言葉をなぞる。
重々しく背を長椅子に預け、璃嵐は宙を見るよう語りだした。
「まだこの国が国となる、五百年ほど前のことじゃ。とある一族の青年が瀕死の狼を拾っての」
「狼……ですか?」
「あぁ、狼じゃ。青年は昼夜問わず看病をし、その甲斐あって狼はみるみる回復した。それからはその一族には幸運が続いての。部族は規模を増し、ついには国となった。その時の青年が、初代黎煌国・黎主と言われておる」
ヒナタは璃嵐の話を逃さぬよう聞き入った。
書庫に守神と呼ばれる記述は一つもなかったはず。となれば、これは語り継がれることのなかった古の歴史だ。
「狼は実に長生きでの。青年が結婚し、子が生まれ、孫ができて、ひ孫に囲まれて死ぬその時までずっと側にいたそうじゃ。そして青年が息を引き取ると同時に狼も死んだ。けれど、それで終わりではなかった」
野生の狼なら十年も生きられず、例え飼育下にあったとしても寿命はせいぜい二十年。
それを超え生きた狼は、この国の“守神”として崇められていたらしい。
そう、なぞるように語った璃嵐の眉間に深い皺が寄る。
この終わりの始まりが、この黎煌国――そして黎主の身に災厄として降りかかるのだ。
「初代没後、二百年経ったころじゃ。朝廷に異形の巨狼が現れ、黎主を襲った。偶然その場におった黎主が巨狼の首を落とし、討伐したんじゃが……」
「……それって、まさか……」
声を落としたヒナタに、璃嵐はゆっくりと頷く。
「そうじゃ。二百年も経てば、文献以外にあの時の狼を知る者はおらなんだ。じゃがあの異形は、確かに初代黎主が愛した狼じゃったらしい」
一見、非科学的な事象にも思えたが、ヒナタの目は真剣だった。
科学技術に秀でた銀河機関にも不可思議な事象や現象の報告事例は相当数ある。そして何より、その最たる存在がヒナタたち調律士なのだから。
そして惑星を巣食う歪みは、コードネアと同じく絶望から派生したもの。
討伐された守神が災厄の“歪み”へ変じるには十分すぎる理由だった。
「狼は悲壮のまま黎主を呪った。かつて愛した、初代と同じ顔をしていた当時の黎主をな。まぁ、襲ったのではなく嬉しさ余って飛びついただけだったのかも知れぬが、ことの真相は分からぬ」
そうして、その夜から異変は起こり始める。
黎主の右腕には茨の蔓のような呪いが刻まれ、それは痛みとともに進行し、最後には心臓を貫いた。
討伐された狼の血と涙は天高く昇り、赤い雲となり青空を覆い、雨を呼んだ。
それが、赤雲と水の国と呼ばれた――黎煌国の始まりだ。




