第71話 絶望の調律士(3)
『俺の半分は……ロイドなので』
ライから告げられた言葉の意味が理解できず、宝珠は無言のまま彼を見る。
それから少しの沈黙ののち、ライは静かに語りだした。
「俺はアンドロイドです。人の見た目に似せて造られた、いわば人形。食事も睡眠も必要ありませんし、人間のような怪我や病気をすることなく、歳も取りません」
「……人形」
はたから見たライは、容姿や思考、話し方といった細部まで“ライ”というひとりの男だ。
そんな宝珠の視線に気づいたライは首を傾け、普段は髪で隠れている首筋を晒す。
そこに刻まれていたのは《RAI-01》というライのアンドロイドとしての型式名――
「これがアンドロイドの刻印です。元々アンドロイドは人間の補佐をするために造られたので、知識や適応能力は最初から備わってますが、基本的に思考や感情なんかはないんですよ、反逆されても困るので。けど、俺らLynxは違います」
まるで昔話でもするようにライの語り口は穏やかで、視線を落とした彼は胸に抱いたヒナタの髪を愛おしむように撫でた。
「Lynxだけは、コードネアに寄り添うために自立した思考感情を持っています。俺が“半分ロイド”って言ったのは、俺の元になった補助AIにはロイの話し方や判断、思考がそのまま組み込まれているからです。だから俺の存在はあまりにもロイに近い。けれど、俺自身が“ロイド”なわけじゃない。もしも俺たちが恋人関係になったとしても、それはもう、ロイドを真似た俺とヒナの疑似恋愛であって――未来はないんです」
二律背反のような言葉は、何度口にしても胸に痛みを残す。
互いに強く求めたとしても、二人の関係はロイドの延長線に過ぎず、手を取ってしまえば最後、ヒナタはもう未来へは進めない。
本当のことを言えば、二人は過去に一度だけ、他のコードネアとLynxたちと同じように男女としての一線を越えようとしたことがある。
けれど、越えられなかった。あまりにもライの抱き方がロイドに似すぎていて、ヒナタがそれに耐えられなかったのだ。
あの時壊れそうなほどに泣きじゃくったヒナタを、ライは昨日のことのように覚えている。
だからこそ、自分では手の届かないヒナタの寂しさを受け止められる“アオバ”という存在をライは看過する他なかった。
ふいにヒナタが身動ぎし、ライが声をかける。
「……鏡、いるか?」
「んーん。……あー……宝珠様を驚かせる気はなかったんだけど。でも、あんまりダメな姿見せたくなかったなぁ……」
やや落ち込んで拗ねたような声色に、ライがことさら明るく喉を震わせた。
「ダメなとこって何を今さら。ですよね、宝珠様?」
「……そうだな。ダメな姿とは、飛び出して行って乱闘騒ぎを起こしたことか? それとも酔った時のことか?」
「さらっとヤなとこ増えたー! 可愛いところと格好いいところだけ覚えてて下さいよー!」
場の空気を察していつも通りに宝珠が答えれば、ほんのり赤らんだ瞳のまま顔を上げたヒナタは、宝珠の知る“いつものヒナタ”に戻っていた。
明るく、気が強く、色香を振りまき、周りを翻弄する。
母としても、コードネアとしての強さも持っている。
けれどそこには、誰よりも強くて脆い、濃い闇を孕んでいるのだ。
ライは涙で張り付いたヒナタの髪を払ってやり、髪を整えてやる。
「ま、もっと正確に言えば俺は、ヒナとロイの子供……という認識のほうが正しいですけどね」
「えぇぇぇ、あたし、こんな大きな息子いらない〜」
「ありがとな、母さん。大きく育ったぜ」
「やーだー!」
労わるよう涙の乾いた頬を撫でられて笑みがこぼれる。
ふっと細められた瞳だけの会話。
――もう、大丈夫。
――無理だけはするなよ。
二人には、それだけで十分だった。
「……まぁ、本来ならコードネアになってから自分好みのアンドロイドを作るんですけど、俺の場合はAI時代の意識ごとアンドロイドに移したんで、他のLynxとは違って主との付き合いが長いんです。かれこれ八年……は世話してますかね」
「それならライのほうがお母さんじゃんー」
「ん? そう言われればそうか。まったく、手間のかかる娘に育って」
「手間がかかる分、可愛いくせにー」
くすくすと笑うヒナタに、ようやくライもほっとしたのか目尻を緩める。
「ヒナは昔も今も、ずっと可愛いだろ」
「ふふふ、あたしの自己肯定感爆上げ係のライ様様だね。あ、でも宝珠様はどっちのあたしが好みだろう? やっぱり髪が長いほうが好きなのかなぁ」
少し眉を下げたヒナタが視線を向ければ、いきなり話を振られて若干戸惑った様子の宝珠に思わず笑ってしまう。だが、ふと先ほどの自分の発言を思い出し、さらに眉を下げた。
「あー……そういえばごめんなさい、宝珠様。勝手に鈴月様に宝珠様が”今の髪型でいいって言った”なんて言って……あたし、髪伸ばす気ないんですけど……いいですか?」
「伸ばす気がない?」
「ないです。長い髪のあたしは、一生ロイドのものなので」
ヒナタはそうまっすぐに宝珠に言い切った。
鈴月はまた髪は伸びると言ったが、ヒナタ自身はもう、伸ばすつもりがないのだ。
だって、長い髪はロイドと過ごしたあの日々そのものだから。
「夫君に捧げると言ったのは、本当か」
「はい」
そう言われて、宝珠は改めてヒナタを見た。
肩につかない、栗色の少し癖のある艶髪。横に編み込みをいれるスタイルはヒナタお馴染みのもので、一緒に暮らすうちにすっかり見慣れてしまったものだ。
「……分かった。髪はそなたの好きにすればいい」
「もしかして宝珠様、あたしの髪が短いままだと周りの人から何か言われちゃいます?」
「それこそ今さらだな」
「分かりました。じゃあその時はそいつをあたしがぶん殴りに行けば万事解決ですね!」
「……」
「無理ですよ、宝珠様。宝珠様がちゃんと見張ってないとヒナはすぐ飛び出すんで」
「…………はぁ」
宝珠の深いため息に、ヒナタは心から楽しそうにライの腕の中で笑った。
その姿を見て、宝珠は一つ決意する。
(やはり、この娘にはこの国は狭すぎる。母国へと、夫君の元へと返さねば……)
今さらヒナタを放っておくことなどできない。
しかしこの国での暮らしは、彼女にとって息苦しいものになるだろう。
何より帰さねばと心に強く刻まねば、いつかヒナタのいない生活に戻った時、宝珠の胸にぽっかりと穴が開いてしまいそうだった。




