第70話 絶望の調律士(2)
「調律士が使う宇宙調律言語って、宇宙最古の言語と言われてるんですよ」
話を変えるように、ふぅと肩の力を抜いたヒナタは息を吐き出した。
大事なことは言った。もう、後戻りはできない。
「それは……同調とやらを使う時の、あの言葉か」
「そうです。あれは宇宙の上位次元に住まう、いわゆる神々の言葉らしいんですよね。コードネアも呪神とはいえ神の一端だから……だからソルフェジアを理解し、神々の力を行使できるのだと言われてます。まぁ、あたしたちは皮肉を込めて神ではなく監視者と呼びますけど」
「……神、か」
ヒナタの言葉をかみ砕くように宝珠は低く呟く。そんな宝珠の様子を横目に、ヒナタは静かに目を伏せ、口元に笑みを浮かべた。
「気味が悪いですか?」
言葉とは裏腹にやけに軽やかな声色で、虚を突かれたように目を見開く宝珠にヒナタは淡く微笑む。
「もう、半分は人間じゃないんです。宝珠様よりよっぽど異端ですよ? あたし」
「馬鹿な……」
「ふふ、でもすごく自然なことだと思いますけどね。だって人は自分と違うものが恐ろしいじゃないですか。それはきっと、宝珠様のほうがよく分かってるでしょ?」
そう目元を緩めるヒナタを見て、宝珠の胸がわずかに軋んだ。
人は自分とは違うものを、恐れから本能的に拒絶する。
黒髪文化に突如金髪金目で生まれた宝珠が、この国でそう厭われてきたように。
けれど目の前のヒナタは、行動力に溢れてすぐ物理に訴える突飛な性格ではあるが、それでも宝珠が見てきた中では自分を“人”として扱う稀有な存在。
子供たちやライ、愛する家族を守るためには手段を選ばないたった一人の母親であり、まぎれもない“人”なのだ。
そんな宝珠の視線に気づいたのか、ヒナタは軽く自分を見せるように両手を広げる。
「まぁ、体は至って普通の人間ですよ。だからライのような護衛Lynxが付くんです。普通のコードネアは戦えませんから」
「では、なぜそなたは」
「前に言ったでしょ? か弱い女の護身術ですって」
「……」
くすくすと笑って、ヒナタはそのまま茶に口をつけた。すっかり冷めてしまった芳茶の香りはどこか細く、けれど喉を通りすぎる冷たさはいっそ清々しい。
「とは言っても銀河共生機関は秘密主義なのであたしも詳しくは知らないんですけどねー……アオバさんならもっと知ってるかもしれませんけど」
「アオバとは、あの男か。あやつも調律士なのか?」
「んー……どうでしょう? アオバさんがLynxを連れてるところなんて見たことないですし、大体あの人はライたち護衛アンドロイドの指導係なんで外交の仕事はしてないと思うんですよね~」
「……聞いたりしないのか?」
あまりにもそっけないヒナタの回答に宝珠は少し違和感を覚えた。
あの藍飛たちを交えた酒宴の席で、アオバが見せたヒナタへの執着は忘れていない。だが、ヒナタもアオバに対して並々ならぬ感情を持っているはずなのに。
「そなたは、あの男を好いているのでは?」
そう宝珠が問えば、ヒナタはすごく驚いたように目を丸くした。
好きな男のことを知りたいと思わないのか。
そう解釈したヒナタは、少し困ったように眉尻を下げる。
「好き、は好きですよ……ライとは違う意味で。もちろん、宝珠様とも」
「何が違うんだ」
「好きにもいっぱいあるんですよ」
そう軽やかに笑ったヒナタだったが、ふとその笑顔に沈んだ影が落ち、やがてぽつりと呟いた。
「……アオバさんもライも……簡単には死なないから。だから、好きでいられるんです」
「――!」
一瞬、ヒナタの目から光が消えたように見え、宝珠の胸中がぞわりと粟立つ。
だが、宝珠の困惑を察したヒナタはすぐに笑みを浮かべ、両手を振った。
「あぁ気にしないでください。ライはともかく、アオバさんは分かりませんけどね! でもあの人、ライよりも強いから……だから死ぬイメージがなくて!」
そう笑顔で答えたはずだった。
それなのに気付いたら、ヒナタの目からぼろりと大粒の涙が零れ落ちる。
「……あ、れ?」
胸が締めつけられるように苦しくなった。脳裏をよぎるのはルークと同じ、狂おしいほどの灰色の髪の後ろ姿。
死。
その言葉が、体を軋ませるほどの圧迫となり、さらに涙がせり上がる。
(やば……っ)
宝珠の動揺がすぐ分かった。止めなきゃという焦りと共に箍が外れたように一気に涙が零れ落ちる。
次の瞬間、ヒナタは目元を覆われ、すっぽりと誰かに抱き寄せられていた。
「――ヒナ」
「……っ、ラ……イ……」
強引に抱き寄せられたのに、その体温に心が安堵する。
無機質なボディに“人”としての温もりが宿った彼は、ヒナタにとっての最後の拠り所。
自分より先に死ぬことはなく、どんな状況下でも最後までそばにいるLynxは、全てのコードネアにとってもパンドラの希望なのだ。
「大丈夫だ、ヒナ……俺がいる」
頭を抱えこまれ、その逞しい胸に顔を埋めたヒナタは嗚咽を耐えるようぐっと息を詰めた。
宥めるよう穏やかな声がヒナタの背を優しく撫で、ライは静かに宝珠に向き直る。
「いきなり来てすみません、宝珠様。ヒナを放っておけなかったので」
「……子供たちは?」
「大丈夫です、あっちもちゃんと見てるんで」
ライは苦笑しつつもヒナタの頭を抱きしめた。
あやすように、ゆっくりと。
頭を抱き込み、優しく髪に口づけ、けれど必要以上には何も言わない。
ただヒナタを抱きしめ、落ち着かせるよう何度も背中を撫でる。
その手には、これが初めてではないという慣れがあった。
そしてヒナタを見下ろす赤い目が、何よりも悠然と語っている。
「……愛してるのか?」
自分の口から滑り落ちた言葉に、宝珠自身が驚きを隠せないのか手で口元を覆った。
そんな宝珠に、ライは小さな笑みを浮かべたまま胸に抱くヒナタに目線を落とす。
「愛してますよ。家族としても、一人の女の子としても」
それは、覚悟にも似た言葉だった。
ヒナタとライは互いに想い合う相棒であり、家族であり、理想の関係だ。
人とアンドロイドという種族を超えた問題はあっても、それでも周囲から見れば仲睦まじい恋人同士にしか見えないだろう。
だが、全てを否定するようにライは小さく頭を振る。
「けど、俺じゃダメなんです。俺はヒナタと一緒にいられるけど、それ以上にはなれない」
「……なぜだ」
「泣かせるからですよ」
それはライのイメージからもっとも遠い言葉のように思えた。だが、はっきりとした声色に迷いはなく、真実なのだと語っている。
「俺の半分は……ロイドなので」
好きな子は泣かせたくないでしょう? と、困ったような、でも愛おしさも苦しさも全部詰め込んだような顔で、ライは笑った。




