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コードネア・クロニクル  作者: 熾音
第二章

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第69話 絶望の調律士(1)


 それからヒナタと宝珠は場所を涼亭(りょうてい)へと移した。

 雨季になった黎煌国は相変わらずの雨模様で、しとしとと涼亭の屋根を雨音が小気味よく打つ。

 

 子供たちにはライと一緒に、アオバとのデートから持ち帰ったトランクの荷解きをするよう頼めば、お土産と聞いて小さな歓声を上げたルークとアステリアは急ぎ早に自室へ駆け出していってしまった。

 

 

 「……そういえば、宝珠様。今日、お仕事は?」

 「今日は蒸し風呂日だ。昼までは何もない」

 「あ、そっか」


 

 この国には蒸し風呂日というものがあり、家や集落によって風呂に入る曜日が決まっている。

 髪の長さを尊ぶ黎煌国では風呂も半日がかりなため仕事も半休となり、電気やガスといったライフラインもないのだから朝風呂になるのも自然の流れだった。

 

 先に宝珠を涼亭へ向かわせたヒナタは、蒸し風呂の準備を終えた李花(リファ)に声をかけてお茶の準備を頼み、配膳の申し出を断ってから二つの茶杯を盆に乗せて涼亭へと戻る。

 

 屋根を打ち、流れるような雨音が周囲を囲う。

 それをどこかぼんやりと聞きながら、ヒナタはほんのりぬるめの茶杯へと視線を落とした。



 「先程も言いましたが、お義母(かあ)様……凛月(リンユエ)様は……解離性健忘という、記憶の欠落や、特定の人物を認識できなくなる状態の――心の病を患っていらっしゃいます」


 

 それは宝珠にとって、いや黎煌国では初めて聞く病名だった。

 

 だがむしろ病名があって良かったとさえ宝珠は思う。

 母はただ気が触れておかしくなったのではなく、れっきとした病だったのだとこれで認識できたから。



 「それは、治る見込みのある病なのか?」


 

 改めて確認するようヒナタに目を向ければ、茶杯を持つヒナタの指先にわずかに力がこもった。



 「自然治癒は、難しいかもしれません。……凛月様は、いつからあの状態に?」

 「二十年前だ。私が五つの時で、領地から王都(こちら)に来る決定打になったと聞いている」

 「となると、やはりこの国の医療技術では難しいかもしれませんね」



 そう呟いて、ヒナタは心を落ち着かせるために茶杯に口を寄せる。

 

 鼻に抜ける、穏やかな香り。

 この国に来た時に出して貰った芳茶(ほうちゃ)の香りに、ヒナタはゆっくりと息を吐いた。


 そんなヒナタを横目に、宝珠は先ほどのヒナタの呟きを繰り返す。


 

 「母上のようになれたら、そなたは調律士にはならなかったと言ったな」

 「あれ? 宝珠様、あたしの話ちゃんと聞いててくれたんですか?」

 「茶化すな」



 あっけらかんと目を丸くするヒナタを宝珠は(たしな)めた。だがヒナタは少し困ったように笑うだけで、持て余すかのように指先で茶杯の縁をなぞる。



 「そうですね……宝珠様を忘れた今の凛月様と同じように、もしあたしもロイドを忘れてしまっていたら……調律士(コードネア)にはなっていなかったと思いますよ」

 「…………」



 ヒナタと婚約を結んでいたロイドは、彼女の目の前で殺されたのだとライが言っていた。

 それが耐えようのないことだとはもちろん理解できる。だが、どうしても分からなかった。

 


 「一体、調律士とは何なのだ。外交官なのだとそなたは言ったが、なぜそれが母上と繋がる?」


 

 この涼亭でヒナタと酒を交わした夜、気分を良くしたヒナタがコードネアとは“現地調査員兼外交官”なのだと自信満々に言った。

 その時を思い出したのか、ヒナタはほんの少し苦笑いを浮かべる。

 


 「間違ってはいないんですよ。惑星間の外交を任されてるのがコードネアですから。ただちょっと……成り立ちが特殊なだけで」

 「成り立ち?」



 宝珠の疑問を含んだ声に、ヒナタはさりげなく視線を外した。

 コードネアの詳細は銀河でもトップシークレット中のトップシークレットだ。

 なんなら、銀河共生機関に関わる者とコードネアと護衛アンドロイドのLynx(リンクス)しか知らないと言ってもいいだろう。


 

 (でも、宝珠様には言ってもいい気がするんだよなぁ)



 それはヒナタの勘なのか、コードネアとしての勘だったのか分からない。

 だがヒナタは、目の前の偽りの婚約者に隠す気になれなかった。


 茶杯へと目線を落とせば、自ら話すことを選んだというのにそこに映る自分の顔はどこか不安げでほんの少しだけ苦味が滲む。


 そうしてヒナタは、できるだけ抑揚を抑えて呟いた。

 


 「コードネアは……調律士は……絶望に飲まれて全てを呪い、自我を持ったまま――“呪神(じゅしん)”となった存在です」

 「……!」


 

 淡々と告げたヒナタの言葉に宝珠は目を見開いた。

 だが、それでもヒナタは顔色一つも変えない。



 「その時にコードネアになれず自我を失ったものは、そのまま惑星を脅かす“歪み”へと変わるんです」

 「……な……っ」

 


 以前ヒナタは、この黎煌国を蝕む赤雲現象は“歪み”と呼ばれる異常現象だと宝珠に言った。

 そして、それを究明できるのは自分たち“コードネア”だけなのだと。


 何故か。

 それはヒナタたちコードネアが、誰よりも歪みを理解できるからだ。

 

 

 「絶望なんてそこらへんに転がってます。耐えられる人もいれば、鈴月様のように心を壊したり、自ら命を絶つ者も多い。そんな中の、ごく一握りのものが呪神と化し、選別で自我を保てればコードネア、失えば歪みになるんです」



 それはあまりにも突然で、胸を衝く告白。

 ヒナタの言葉をかみ砕くうちに宝珠の手にじっとりとした汗が滲んだ。

 

 

 「それは、つまり……調律士と歪みは、同じ存在……なのか?」

 「そうですね、同じです」



 戸惑う宝珠の言葉を、ヒナタはあっさりと肯定する。

 

 人から呪神。呪神からコードネアか――歪みへ。

 その選別を経て、今、ヒナタはここにいるのだ。

 

 二の句が継げぬ宝珠に、ヒナタは淡々と続ける。



 「皮肉ですよねぇ……世界を呪った人間が、世界を救う仕事をしなくちゃいけないなんて。これって一体、なんの因果なんでしょうねー」

 「……ヒナタ」



 名前を呼んでも、ヒナタはただ、淡く笑って遠くを見つめていた。

 軽い言葉とは裏腹に、もう、諦めたのだというように。



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