第67話 戒めの余韻
ヒナタとアステリアの髪色や目の色は、言葉どおり三分ちょうどで元に戻った。
だが、その僅かな時が宝珠にとって衝撃的な時間へと変わる。
忌み色だと言われ続けた金の髪と瞳。
だがそんな黎煌国での常識が、ヒナタにとっては本当に些細なことにすぎないのだとこの時になってようやく宝珠は知ったのだ。
「本気で、この髪色をいいと思っていたのか……?」
「そりゃ思ってますよ、私も子供たちも! あーさては宝珠様、信じてなかったですねー?」
悪戯っぽく笑うヒナタからは昨晩あったことなど微塵も感じられない。何事もなかったように振る舞うその姿が、宝珠の胸にほんのりと影を差す。
ライは濁したが、ヒナタとアオバの間に知人以上の関係があることは明らかだった。
アオバがヒナタを求めているのは明白で、ヒナタもそれを強くは拒まない。
ただ、家族よりは優先しないというだけの、曖昧で不透明な関係。
腰まである美しく長い黒髪に怜悧な白銀の瞳と稀有と思えるほど整った容姿。
そんなアオバが周囲を惹きつけるのは当然で、ヒナタが心を傾けても不思議ではない。だが、そう思った瞬間、宝珠の胸に不快さがよぎる。
(……私は、今何を考えた……?)
藍飛に促されたとはいえ、ヒナタたちが銀河へ帰るまでの偽りの関係だと提案したのは宝珠自身だ。
アオバの言う通り、偽りの婚約関係はこの国における表向きの契約にすぎず、本当の関係は家主とただの居候。
宝珠が衣食住を保証する代わりにヒナタは宝珠の婚約者として振る舞う、そういう契約だった……はずなのに。
けれど、ヒナタの破天荒ぶりに手を焼き、言葉を交わし、その笑顔に触れるうちに情が移ってしまったのかもしれない。
そう感じて宝珠は身を引き締めた。
(ヒナタは、亡き夫を愛してる)
雨恵祭の帰り、寝ぼけたヒナタが亡き夫の名を呼んだことを宝珠は忘れていない。
“ロイド”と甘えたような舌足らずな声で、でもこれ以上ないというほど愛おしげに細められた瞳は間違いなく今でも深い愛情があった。
恋愛経験も人付き合いもほとんどない宝珠が本能的に分かるほど、ヒナタが求めているのはロイドたったひとりなのだ。
元々、愛されて育ってきたのだろうとヒナタを見て宝珠は思う。
子供たちの世話をしてくれる兄たちもいると言っていたから、今でも家族には恵まれているはずだ。
子供たちへの接し方や宝珠を巻き込むほどの天真爛漫さは、光の中で生きてきた者の証で、絶望の淵で最愛を喪った時に差し出されたアオバの手に縋ったとしてもヒナタを責められはしないだろう。
彼女が壊れた自身の心を守るためにも、アオバの存在は甘美な毒であり救いだったのだ。
宝珠は一呼吸置いて、僅かに育ち始めた感情を強く戒める。
自分がヒナタに対し、黎煌国外での行動を口出しする権利はないのだと刻むように。
そう言い聞かせた時、ふいに廊下から人の話し声が聞こえてきた。
毎度のことながら藍飛でもやってきたのだろうかと廊下に視線をやって、宝珠は思わず息を詰める。
「――貴女が、宝珠の婚約者……?」
それは、ガラス細工のようなか細い声だった。
声の主は李姜に付き添われながら、応接間の入口に立っており皆の視線が集中する。
漆黒の髪と瞳。血色があまり良くないせいで白い肌はなおさら白く見え、儚さも相まってその存在に一瞬ドキリとする。
何より彼女の美しさが宝珠に似ているような気がして、声をかけられたヒナタは一瞬たじろいだ。
「え、っと……はい……?」
なんとか振り絞った声を返すヒナタを見て彼女はふわりと笑う。
その微笑みは人ならぬほどに美しく、精霊や妖精と錯覚してしまいそうになる。
「そう。ご挨拶が遅れてごめんなさいね。あの子ったらちっとも教えてくれないんだもの」
くすくすと愛らしげに笑う彼女を前に、ヒナタはどこか違和感を覚えた。
“あの子”
宝珠の屋敷で宝珠を呼び捨てにし、しかも李姜に付き従われ、とうに成人を超えた宝珠をあの子と呼ぶ。
それがどうにもおかしい気がして、ヒナタがちらりと宝珠に視線をやれば、彼はただ、感情のない瞳で前だけを見ていた。
「でも、買い物にも付き合ってくれたって姜から聞いたの。宝珠が成人するまではあと十年もあるのに、ちゃんと婚約者として扱ってくれてありがとう」
「……!」
その言葉でヒナタはようやく気づいた。
宝珠によく似たその女性の目には、いま目の前にいる宝珠が映っていないのだ。
どこか申し訳なさそうな李姜の顔に、ヒナタは悟る。
恐らく、彼女こそが――二十年前に不義を疑われ、異端児とされた宝珠と数少ない家人だけ与えられ領地を追いやられたという黎煌国一の美姫。
「あぁ、自己紹介をしていなかったわ。わたくしは冬鈴月。宝珠の母よ」
微笑む鈴月は、やつれてもなお美しかった。
だがその微笑みとは裏腹に、彼女の時は二十年前で止まったまま。
誰よりも美しく、けれど歪に狂ってしまった冬鈴月との出会い。
それが――また、新たな生活の始まりだった。




