第63話 宵の乱入者(4)
どこか退廃的で、仄暗いネオンが鈍く光る。
乱立する高層ビルは随分と近代的なのに、砂漠のオアシスのように孤立した街の周囲からは息を潜めるスラム街の気配がした。
ここは銀河ネットワークにもっとも近いが、まだ銀河ネットワークの手が及んでいない裏律界の惑星の一つ。
そんな貧富の差が如実に感じられる歪な光景を、ヒナタはただ、高層階の窓に手を当て見下ろしていた。
ふと、窓越しに伸びた腕が肩を抱き寄せる。
「お求めのものは全て手配してきましたよ」
「ありがと」
さらりと流れる彼の黒髪を手に取って指先で弄ぶ。
枝毛一つない美しい髪は憎らしいくらいだ。
「他にお望みは?」
「……ないよ」
「おや、もっと甘えてくださってもいいのですが」
「そんなの、帰れなくなっちゃうでしょ?」
最新のドレスと、贅を集めた食事と酒と最上級のホテル。
それに加え、今後の黎煌国で必要だと判断したものの手配と、銀河で千億を超えるとも言われる――響律核の取引。
その全てを与えてもなお、ヒナタはアオバひとりを選ぶことはない。
ロイドを忘れられなくて、ライを手放せなくて。
寂しさを埋めるよう熱を求める手はどこまでも優柔不断で、狂おしいほどに依存心が強い。
そんなヒナタの手首を包んだアオバは、そっとその手の甲に口付けた。
睦言のような甘ったるい時間は、どこかこの街に似て退廃的で、毒にも似た感覚がじわりじわりと侵食していく。
それは次第にヒナタの中に溶け込み、思考することをやめたように力が抜けた。
「何も、考えなくていいのですよ」
アオバの手がヒナタの目を覆い、その首筋に唇を寄せる。
隠すように、遠ざけるように――飲み込むように。
求められてるのは調律士のヒナタでも、母としてのヒナタでもない。
ただの、喪失のままのヒナタだ。
あまりにも心地の良いアオバの世界は、まるで微睡む夢のようで抗えない。
ロイドを喪った時、手段を問わずに絶望の淵からすくい上げてくれたのは間違いなくこの腕だったから。
だからこそ、逃げられなかった。
囚われれば最後、戻れないと分かっていても。
「……アオバさん」
名前を呼んで振り返れば、愛おしげに細められた瞳がヒナタを抱き上げる。
その首に抱きつきながら、ヒナタはついに一時の思考を放棄した。
踏み心地のいいカーペットにぽとり、ぽとり、とハイヒールが落ちていくのをどこか他人事のように眺めながら、ゆっくりと瞼を下ろす。
「愛してますよ、ヒナタさん」
柔らかいスプリングはいとも簡単にヒナタを飲み込み、望まれるがままにヒナタは目の前の愛と狂気に手を伸ばした。
意識が、沈んでいく。
触れる体温に、求められることに安堵する。
窓の外では、あの日と同じく冷たく濁った雨が、ぽつりぽつりと降り出していた。
*
――翌朝。
高床式の玄関下階段に背を預け待っていたライに、ふっと柔らかな体温が抱きついてくる。
「ただいまっ」
「……おかえり、ヒナ」
抱きとめて、こめかみにキスを落とす。
猫っ毛の髪に顔を埋めた時だけはその赤い瞳が和らいだが、彼女の後ろにいる男の存在に気づくと眼光が鋭く光った。
「ふふ、そんな目をしなくても、私がヒナタさんをお返ししなかったことがありましたか?」
「もう用はないだろう。さっさと帰れ」
「おやおや、相変わらずつれない。まぁ、いいでしょう。ヒナタさんの居場所は特定できましたので、また遊びに参ります」
「来なくていい。ヒナのことだ、ここでの必要物資も全部たかり済みだろ」
「たかってないし!」
むっと睨みつけるヒナタだが、その姿はどこか淀みが取れたように晴れやかだった。
この国に来て、身を削るほどの無茶をしたというわけではない。周りを振り回すくらいにはとても自由に生活していた。
けれど、元来寂しがり屋なヒナタが、たった一人で子供たちを守るために気を張り続けていたことくらい、言われずとも理解している。
だからこそその時そばにいてやれなかったことも、たった一晩でヒナタの心を溶かした目の前の男にも腹が立ち、ライは眉間にシワを寄せた。
(いっそ、宝珠様なら……)
少なからず、彼なら目の前の男よりかは安全だ。
ヒナタの闇をこよなく愛するアオバは、いつの日か彼女を闇に引きずり込む。
虚ろな絶望に飲まれたヒナタの望み通り、血と殺戮で染めあげたあの日々は二人を狂気で繋いでしまった。
ロイドとアオバの存在はもはや表裏一体となり、ヒナタの中から消えやしないのだ。
(ロイド……)
ここにはいない、もう一人の主の名をライはヒナタを抱く手に込める。
ただのサポートAIだった自分を育てたのは、他でもないロイドとヒナタだ。
ライにとっては親ともいえる存在は、片翼を失って四年。いまだに、その深い心の傷が癒えることはない。




