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コードネア・クロニクル  作者: 熾音
第二章

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第62話 宵の乱入者(3)



 「宝珠、きみ……」

 「では婚約者の許可を得られたようですので、参りましょうか」



 藍飛(ランフェイ)の言葉は宝珠に届かない。

 その瞬間、頬を撫でる風にヒナタの目が少し驚いたように丸くなる。それと同時に宝珠らは目を見張った。

 

 夏でも素肌が見えないよう袖と長裾に覆われた青衣が、瞬時に鮮やかな赤のロングドレスへと変わる。

 豊満な胸元は大胆にも谷間まで開き、太ももまで露わにするハイスリット。

 隠れていた肩も、腕も。初めて会った時よりもっと色艶めいた姿に、宝珠たちは言葉を失う。



 「淑やかなヒナタさんも悪くありませんが、やはり貴女にはこちらがよくお似合いです」

 「もう、何もここで着替え(ウェア・シフトし)なくても……でも、これ可愛いね。新作?」

 「えぇ、ヒナタさんに似合うかと思って買っておきました。ウェア・シフト程度は問題はないでしょう?」

 「……そうね」


 

 見せられた響律核(レゾナンス・コア)に、ヒナタは宝珠たちの視線を気にすることなく静かに同意する。

 アオバの言う通り、響律核(レゾナンス・コア)さえあれば物質転送による衣装替えなど些細なことなのだ。

 

 カツン、と、先ほどまで履いていた内履きとは違うハイヒールの音が響く。

 

 宝珠から離れたヒナタは再びライの元へと戻り、やるせない表情を浮かべるその頬を静かに撫でてやった。そしてアオバに向かって悠然と左手を差し出す。



 「契約成立よ。響律核(レゾナンス・コア)を渡して」

 「えぇ」



 恭しくアオバが歩み寄り、ヒナタの手を取ると薬指に輝く指輪にコアをかざす。宝石のように光り輝くレゾナンス・コアは一瞬で指輪の中に吸い込まれた。

 

 ゆらりとヒナタの瞳が七色に輝き、厳かとも無機質とも言える承認宣言が滑り落ちる。



「《現時点をもって、RAI(アールエーアイ)-01(ゼロワン)――個体名称:ライの全権解放を宣言する》」

「《……承認する。現時点をもって、Lynx(リンクス)としての全権限解放、並びに最優先事項・子供たちと専属調律士(マスターコードネア)の警護へと移行する》」



 ライの瞳が赤く光り、権限承認が無事に完了したことを確認してヒナタは安心したように微笑んだ。

 ふいにかき抱くようライにきつく抱きしめられ、ヒナタは一拍驚きながらもその背にそっと手を回す。

 

 これでもう、子供たちの身が危険に晒されることはない。

 ライさえいれば、怖いものなどこの国にはありはしないのだ。

 それは肩の荷が一気に下りたようなとてつもない安堵感だった。

 


 「子供たちをお願い」

 「……朝には、絶対に戻れ」

 「うん。約束する」



 そう言って腕の力を弱めたライの頬にもう一度キスをして、ヒナタはアオバに向き直る。

 ヒナタを愛するこの男は、どこまでも彼女の行動を咎めることはしない。



 「いきましょうか、ヒナタさん」

 「ええ」



 差し出された手に自身の手を重ね、腰を引き寄せてくる腕にヒナタはただ身を任せた。

 愛おしげな眼差しに同じ熱量を返せなくとも、アオバの存在は確かに特別なのだ。

 

 ロイドのことが忘れられないように、アオバのこともきっと生涯忘れられない。

 あの雨の惨劇でヒナタの心を救ったのは、紛れもなくアオバだったから。



 「ではライくん。ヒナタさんは明朝お返ししますね」



 その言葉を最後に、ヒナタとアオバの姿は霧のように散る。

 残されたのはわずかな風と静寂だけ。ライはため息をつき、宝珠の元まで歩み寄った。



 「すみません、宝珠様方。巻き込んでしまって」

 「いや……お前はもうその姿のままでいても平気なのか」

 「はい。もうどちらでも大丈夫……って、すみません。宝珠様以外は初めてですね」



 思い出したようにライは苦笑いを浮かべ、改めて自己紹介のため頭を下げた。

 

 自分が人ではない人造物(アンドロイド)だということ。

 ヒナタの護衛としてずっと側にはいたが、動力源の乏しいこの国では滅多に人前には出られなかったということ。

 先ほどのアオバという男は間違いなく銀河の人間であり、ひとまず害はないということ。


 

 「……害はなくとも、あの男からは並々ならぬお姫様への執着を感じたけれど?」

 「あの男は、その……ヒナタに好意を持っていますので」

 「それにしては随分と自信ありげだったね。お姫様は別に、あの男を好いているわけでもないんだろう?」

 「まぁ、そう、ですね。恋人……や結婚は考えていないと思いますよ」



 実に歯切れの悪い物言いだったが、そう言うしかなかった。

 恋人や夫ではない。ヒナタとアオバの関係はそんな簡単なものではないのだ。

 

 訝しげな視線に、ライは静かに目を伏せる。



 「――あいつは」



 忘れもしない。

 あの頃のライはヒナタとロイド共有の、ただの生活補助(ライフサポート)AIでしかなかった。

 

 それが夏の気配も間近に迫った、あの雨の夜。

 一人の愚かな男の凶行によってすべてが狂ってしまう。


 一瞬だった。まるで現実感(リアリティ)がなかった。

 

 背中から撃ち込まれた数発の弾丸。

 即座に届いたロイドのバイタルに、どうしようもできないのだとライは悟った。科学技術をもってしても、もう、ロイドは助けられないのだと。

 

 涙も嗚咽も雨に混じり、冷たくなる身体を繋ぎ止めようと抱きしめるヒナタ。

 そんなヒナタに、ライは何もできなかった。

 当時は抱きしめる腕すら持たない、ただのホログラムシステムだったからだ。


 そんな時に現れたのが、アオバだ。

 彼がヒナタの眼前に投げ出したのは、両足の腱を切られ、逃げられぬよう転がされた男。

 

 だがその男を見て、一気にヒナタの心拍が跳ね上がる。

 ライにも覚えがあった。自身に絶対的自信を持ち、声高らかにヒナタに迫っていた男だ。


 その手に握られたハンドガンを見て、ヒナタは気づいてしまう。届いてしまう。

 壊れるより強く、呪うほど激しく。破綻の先の領域――宇宙の深層へと。

 

 そんなヒナタに、アオバは場にそぐわないほど優しく微笑み、手を差し出した。

 それからの三日三晩は、ライさえ干渉を許されない、ヒナタとアオバだけの時間となる。

 

 

 「アオバは、ヒナタの婚約者を手にかけた男を嬲り殺した……張本人ですから」



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