第61話 宵の乱入者(2)
――今宵、私とデートしてくださいませんか?――
アオバの言葉に、ヒナタはライの腕をそっと外して宝珠のほうへと歩き出した。
その顔にも足取りにも、迷いは一切感じられない。
(……あの時と、同じだ)
ヒナタが宝珠と偽りの婚約を結んだあの夜と同じ、決意に満ちた顔。
あの時は何も思わなかったのに、今となってはその瞳が無性に胸をざわつかせた。
「ごめんなさい、宝珠様。せっかくの宴なんですけど、今晩だけ外出してもいいですか?」
「……どこへ行く気だ」
「多分、この惑星の外へ。……そうでしょ?」
そう言ってヒナタはアオバを振り返った。視線の先にはライもいるが、ぐっと拳を握ったまま何も言わない。
命の危機に瀕しない限り、いちLynxであるライがこれ以上止めることができないのだ。
そんなライとは対象的に、アオバはヒナタに向かって微笑を深める。
「えぇ、一旦この惑星からは離れましょうか。ヒナタさんの婚約者という立場は、この惑星内でのみ適用されることでしょうから……ね」
あまりにも整ったその男の微笑みは、どこか神々しさを感じるほどに美しかった。
だが、それと同時に言いしれようもない不快さも感じる。
全てが予定調和なのだと言わんばかりのその落ち着いた声色が、どこか皆の警戒心を逆撫でた。
「いきなり不法侵入して、随分な言い草だね。それが銀河とやらの礼儀かい?」
「おや、突然宴席の場にお邪魔して申し訳ありません。愛する人を見つけた嬉しさに、つい我を忘れてしまいました」
警戒を隠さない王麟の声に、まるで見えていなかったと言わんばかりにアオバは優雅に頭を下げる。
だがそれでも不快も警戒も消えなかった。宝珠たちにとってはいきなり屋敷に現れ、会話の果てにヒナタを連れ出そうとしている不審者にすぎないのだ。
だがそんな彼らの敵意に近い視線など介した様子もなく、アオバはただ瞳を細める。
「お初にお目にかかります。銀河共生機関所属のアオバと申します。この度はヒナタさんを保護してくださったこと、心より感謝いたします。彼女は我が機関の大事な調律士。本来ならば正式な救助部隊が到着するまで関与など許されませんが……先んじて、深く御礼申し上げます」
「……姫さんと同じ銀河の人間なら、無条件に助けてやるって気持ちはねーのかよ」
「それはダメですよ、岳飛辰様」
遮るようにヒナタの声が止める。向けられた視線に、ヒナタは困ったように微笑んだ。
「借りを作って、想定外の対価を求められるような真似をしてはダメなんです。あの手の人間には、それが一番危険なんですよ」
「ふふ、私としては無条件で助けて差し上げても構わないのですよ?」
「嫌ですよ。助けも、たった一つで千億超すようなものも無対価でもらえるわけないじゃないですか」
「!?」
あまりの金額の膨大さにライ以外の人間の目が見開く。
それはもはや、黎煌国では国家予算に相当するほどの金額だった。
だが、銀河では千億クラスの私的財産を持つ者も決して珍しくはない。アオバがそれだけの財産を持っていると言ってもさして驚きもしなかった。
だが、それでも響律核を所有する彼に支払える対価など、今のヒナタには一つしか持ち合わせてない。
彼が心から願うはヒナタ自身――正確には、もう一人のヒナタなのだ。
「個人が裏律界へ関与することは銀河法により固く禁じられています。彼があたしを見つけられたのは、彼独自の手法があったから。でも、このことが露見すれば……下手したらあたしたちだけじゃなくこの国も粛清対象になるかもしれません。理不尽でも、そんなもんなんです。だからあたしたちは救援部隊が来るまでは銀河に戻れない。でもそうなると十分な動力源を確保できないこの国では、赤雲調査をするにしろ、子供たちを守るにしろ……アレが絶対に必要になるんです」
「……あの莫大な金額をどう払う気だ」
宝珠の言葉に、ヒナタはただ小さく微笑む。
「朝には必ず戻ります。子供たちと、ライをお願いします」
「ヒナタ」
「身勝手なことを言ってるのは分かってます。でも、この国では宝珠様にしか頼めないんです」
先ほどまで機嫌良さそうに酔っていたのが嘘のように、ヒナタは懇願するよう宝珠を見つめた。
これが現時点での最善の手段なのだとその栗色の瞳が訴え、その視線に宝珠は無意識に目線を逸らした。
ヒナタが何よりも子供たちを優先することは最初から分かっていたことだ。
あの子たちはヒナタの元婚約者で亡夫の、大切な忘れ形見だから。
だが、宵も深まった時間に夫婦でもない男女が共にするなどこの国ではほとんどありえない。
――そう、花街の男女の関係以外は。
(だが私たちは……私たちの関係は、あくまで偽りのもの。止める権利など、私にはない)
赤雲調査にも必要なのだと言ったヒナタの言葉に嘘偽りはないだろう。
だから宝珠も、ただ静かに「……分かった」と頷くことしかできなかった。




