第60話 宵の乱入者
「ラーイ」
甘やかなヒナタの声がライの思考を止める。
ふわりと触れる柔らかな手。そのまま距離が近づき、ちゅっと頬に触れるだけの感触にライの瞳が揺れた。
「……ヒナ」
名を呼べば愛おしげにヒナタは微笑む。
だが、その視線はそのまま蠱惑的な笑みを帯び、アオバへと向けられた。
彼の白銀の瞳はどこまでも神秘的で、まるで月のようだ。
「ごめんね、アオバさん。今あたし、婚約者がいるの」
「おや、いつのまに」
さして気にした様子もなく笑うアオバに、ぎりっとライの拳が震える。
(余裕ぶりやがって……!)
それは一体、どれほどの自信なのだろうか。
だが、ライは知っている。
アオバはヒナタの過去に深く刻まれた存在だ。
それを誰よりも理解しているからこそ、この馬鹿げた茶番にも付き合うほかないのだ。
「まぁ、構いませんよ。ヒナタさんがどの惑星に現地夫を持とうと、私の愛は変わりませんから」
「それは寛大、と言っていいのか悩むところね。あたしってそんなに浮気性?」
「いいえ? ですが、寂しくなった時は甘えたいでしょう?」
そう言うと同時にアオバが目の前に手をかざすやいなや、多層ホログラフィック・ディスプレイが起動する。
次々と増えていくモニターに映るのは、膨大な量の銀河ネットワークからのデータも含めたこの惑星の情報だ。
「……そうですね。暫定的にこの惑星は“羅漣”とでも呼びましょうか。ここは銀河ネットワークの果てからでも千光年先の裏律界のようです。こうなると銀河共生機関もしばらくは座標特定が難しいでしょうね」
「予想以上に遠くに飛ばされたね。でも、なんで星間事故でそんな果てまで?」
「――ノラネアです」
アオバの言葉にぴくりとヒナタとライが反応する。
どうやら実に面倒な事件が絡んでいそうだ。
「お二人もご存知の通り、ノラネアとは役目を放棄した調律士のこと。コードネアの宿命から逃げようとディスコードゾーンに逃走したようです」
「銀河ネットワークの外に逃げてしまえば、見つけるのは容易ではないものね」
「えぇ。けれど、ディスコードゾーンとなれば座標設定も送る人間を指定することも難しい。恐らくコードネア本人とその周囲にいる者だけを転送するよう設定したんでしょう」
「あぁ、もう! なんでそいつがいない時に発動しちゃうのよ……! はぁ。ま、それこそが事故よね。……で? そのノラネアは?」
「処分されたようですよ」
「……そう」
なりたくてコードネアになる者はいない。
だが一度でも目覚めれば、今度は銀河に囚われる。
その不条理に耐えきれず、理不尽に処分されてしまうことが分かっても、逃げてノラネアとなる者は少なくなかった。
ふいにモニターを観察していたアオバが何かに反応したように手を止める。
「……おや、この惑星の歪みは面白いですね」
「二つの歪みが観測されたの。GCOで複合型の歪みの観測事例ってある?」
「いいえ、初めてです……ですがこれは……ふふ、いえ。なんでもありません。ところでライくんはいつまで実体化を? この国は日照時間が短いようです。私を警戒していてはすぐに動力切れになってしまいますよ」
「お前がとっとと銀河に帰ればすぐにでも戻る」
「おやおや、嫌われたものですねぇ」
楽しげに笑ったアオバは、胸ポケットから何かを取り出しヒナタに見えるよう軽く振った。
「ではヒナタさん。取引をしませんか?」
「……ッヒナ! ダメだ!」
一歩歩み寄ろうとしたヒナタをライが強く引き止める。
だが、ヒナタの視線はソレに釘付けだった。
GCOの救援はまだ望めない。
ガイアに戻ること自体は可能だが、それはあまりにも危険が多かった。
第一に、アオバが持ってるヒナタを見つけるほどの独自ルートが危険視される確率が高いこと。
第二に、さらにそれを知ったヒナタやライ。最悪、この惑星の人間ごと粛清対象になりえる可能性があるということ。
それを理解しているからこそ、ヒナタは「帰りたい」とは言わないし、アオバも「帰りましょう」とは言わない。
だが、それはまだこの黎煌国で生きていかねばならないということだ。
そのためにはアオバが持つソレが、喉から手が出るほど必要だった。
「高エネルギー結晶体……響律核……っ!」
たった一つで国家数年分のエネルギーを内包すると言われるそれさえあれば、ライの電力不足に悩むことはなくなる。
ライが十分に機能すれば、子供たちの安全も守れるのだ。
だが、響律核を得るにはそのたった一つの結晶体に数百、数千億、下手をすれば兆という莫大な金額が動く。
そして今のヒナタが対価として渡せるものも、そして望まれているものも一つしかない。
「ヒナタさん」
まるで周囲など見えていないかのように、アオバが片手を胸に当て、ヒナタに向かって手を差し出した。
引き止めるライの手を押さえ、ヒナタが一歩歩みだせばその視線が蕩けそうなほど愛おしげに細められた。
「今宵、私とデートしてくださいませんか?」




