第55話 軍部(4)
ほんの数秒、男たちを見下ろしていたヒナタは興味をなくしたように踵を返す。
先ほどまでの気迫は跡形もなく消え、とぼとぼと戻ってきたヒナタを宝珠はただ静かに見つめた。
「……怪我は?」
緩く頭を振るヒナタに「そうか」と短く返せば、やや上目遣いにヒナタが宝珠を見上げる。
「……怒っ、てます……?」
「今さらだな。思考より先に体が動くその癖はどうにかならないか」
「えっと、一応、考えて……は、いるんですよ……?」
「そうか。じゃああと三秒ほど考えてくれ」
「うっ……ぜ、善処します」
少々納得できない様子だったが、それでもヒナタは宝珠に従った。
完全にヒナタを手なづけている宝珠の姿を見て、王麟や飛辰は目を丸くする。
ヒナタが忌避感なく宝珠の側にいるのは明らかで、自分が妓女扱いを受けたことよりも宝珠への侮辱に憤慨する様子は鬼気迫るものがあったからだ。
そんな二人の様子があまりにも衝撃的だったのか、すぐそばで何かが雪崩れる音がして皆の視線がそちらに向く。
どうやらヒナタが昏倒させた負傷者たちを運搬する際、訓練場の端に寄せてあった書籍の山を誰かが倒してしまったらしい。
「本……?」
「げ!」
不思議そうにするヒナタに、飛辰が真っ先に反応する。それに合わせて、周囲の男たちもあわあわと書物を拾い集めだした。
そのただ事ではない様子に興味が湧いたヒナタは、飛辰の制止むなしくった猫のような身のこなしでその場から抜け出すと一番近くに落ちた本を手に取る。
「ちょ! 姫さ……!」
「……あ、あ――! これってあれだ! 春画だ! すごーい、初めて見たぁ」
ぱらぱらと中身を覗いたヒナタが歓声を上げると同時に、勢いよく手元から本が奪われる。
それに対し、ヒナタはきょとんと飛辰を見上げた。
「お姫さんが見るもんじゃねぇかな!?」
「別にその程度じゃ何とも思わないですよ?」
「頼む思ってくれ! むしろなんでそんなに平然としてんだ!?」
「え? なんで……って」
泣き出したいのか怒りたいのか良く分からない勢いの飛辰に、ヒナタはハの字に眉を下げる。
それから少し考えた上で、戸惑ったように首を傾げた。
「だってぜんぜん興奮しませんよ?」
「「「っブフゥゥゥゥ!」」」」
その場にいたほとんどの人間が吹き出した。そして倒れ落ちた。
春画とは――いわゆる性行為を題材とした、男たちがひっそりと楽しむ絵画のことだ。
それを女であるヒナタが恥じらうどころか、清々しく「興奮しない」と言い放った時点でその異端さは違う意味で群を抜いていた。
本気で戸惑うヒナタは、おろおろと周囲を見回す。
「え、むしろそれで興奮できます? ちなみにどのへんに?」
「どのへんとか聞くなよなぁぁあ!」
「駄目ですよ、男ってすぐそういう間違った情報を鵜呑みにしてお姉様方に鼻高々に披露するんだから」
「「「ぐぅぅぅぅぅ!」」」
「そもそも、そういう男に限って女の子の扱いも知らないんですよねぇ……うちの国だったら恋愛の向き不向きなんてすぐバレますからねー。翌日には『あいつ、ド下手くそだったわ』って夜の情事ごと事細かに話されて村八分ですよー?」
「異国ってガチでやべぇな!? というか姫さん、頼む! 宝珠のためにこれ以上喋んないでやってくれ!」
「……?」
これ以上の被害拡大を防ぐためにも、飛辰はヒナタの肩を掴んで回れ右をさせた。
胸を押さえ、何人もの男が崩れ落ちるのが横目で分かる。
良くわからないがとてもダメージを受けたらしく、ヒナタは心底不思議そうに目を丸くした。
宝珠に至っては、もう、無我の境地だ。
「お姫様の国は、そんなにも開放的なのかい?」
「うぉい、麟! これ以上話を広げるな!」
「開放的……うーん、まぁ、この国からみたらそうでしょうねぇ。藍飛様なら私と最初に会った時の服装、覚えてますよね?」
「あー……あの薄衣の……」
「そう。あれがうちの国の普段着ですから」
「あんな内衣姿がかい!?」
初めて宝珠と藍飛と夜の砂浜で会った時、ヒナタはキャミソールにシースルーのシャツを羽織り、ロングスカート風のショートパンツだった。
ヒナタの母国では珍しくも何ともない格好だが、どうやらこの国の認識では下着姿らしい。
「うちの国じゃ、男子が上半身裸で歩いてるなんて珍しくもないし、女子だって足も腕も、なんなら胸もお腹も見せますよ。いい女とか、いい男っていう認識はありますけど、それ以上は特にないから、ここにいる男性陣が全裸になっても私は別に気にし……」
「よし、宝珠! 姫さんを止めろ! お前しか止めれねぇ!」
ぐっと返却されるヒナタを、宝珠は疲れたように見下ろした。
面白半分にヒナタを見に行こうと王麟に連れられてきたが、どうやら自分が来たのはこのためだったのかもしれない。




