第50話 はじまり
酒も食事も進んだ時のこと。
ふいにヒナタが箸を置き、おずおずと宝珠を窺った。
「えーと、宝珠様……?」
「なんだ」
「その……運んでもらった時、抱きついてごめんなさい」
触れ合うことの少ないこの国の文化を思えば驚かせたに違いない。
運んで貰ったことには翌日に礼を言ったけど、まさか抱きついてるとは思いもしなかった。
「そなたが距離が近いのは今さらだろう」
「いや、えと……そうかもですけど、さすがに抱きつくのはダメだったかなーって」
この国では距離が近い自覚はある。それでも見極めはして、触れすぎないよう気をつけていたのに。
そうしょんぼりするヒナタに、宝珠はあの時を思い出して静かに目を伏せた。
「そなたには必要だったからな。致し方あるまい」
「……必要?」
きょとんとするヒナタは、寝ぼけて宝珠に亡き婚約者を重ねたことなど覚えてもいない。
あの時の微笑みも、声も。
愛おしさに溢れた全てが、宝珠を通してロイドに向けられたものだ。
それを口にするのはなぜか阻まれて、宝珠はただ、「なんでもない」と言葉を濁す。
ちょうどその時。
廊下から気配がして視線を向ければ、李花に手を繋がれたぐずりかけの子供たちの姿が目に入った。
「ありゃ、起きちゃった?」
「……! ままぁ!」
李花の手を解き走ってくる子供たちをヒナタは受け止める。
あのまま朝まで寝てくれるかと思ったが、今回はそううまくいかなかったらしい。
「ごめんねー李花」
「いいえ。もう一度寝て下さるかと思ったのですが……」
晩酌の時間を邪魔して申し訳ないと頭を下げる李花。彼女にもう一度礼を言って、場を辞す李花を見送る。
「よしよし、ごめんねー寂しかったねー」
よいしょと子供たちを抱き上げ、それぞれ膝に乗せようとしたところで、最初に抱き上げたアステリアが宝珠に向かって手を伸ばした。
寝起きの寂しさと不機嫌さを隠すことなく両手を広げるアステリア。
そんな幼子に対し、宝珠は何も言うことなく席を移動し、ヒナタの隣でアステリアを抱き上げた。
「ちょ、ちょっとリア!」
ルークを抱き抱えながらもヒナタは慌てるが、アステリアは聞く耳を持たない。
宥めるようアステリアの体を支え、宝珠は何事もなかったように酒杯を手にした。
「二人も抱いたらそなたが何もできないだろう」
「で、でも……っ」
たった今、抱きついてごめんなさいの会をしたばかりだというのに。
だが、子供たち用の飲み物を運んできた李花が微笑ましげに卓上の食事を寄せてくれたので、ヒナタはもう何も言えなくなってしまった。
「ねー……ほーじゅさま、それなぁに?」
「この梅漬けは酸味が強いから子供には少し早いな。こっちの干し林檎にしておくといい」
「ママ。ぼく、あっちのおだんごたべたい」
「蜜団子? ちょっと待ってね、半分にするから。……はい、あーん」
「ママー、のみものなくなったー……」
「はーい、待ってねぇ。李花ー! ごめーん、ちょっといーいー?」
こうなると晩酌どころではない。
子供が二人増えただけでこの騒ぎだ。酒を嗜むなんて、そんな優雅なことなどできやしない。
けれどもその忙しさは、今まで静寂と化していた宝珠邸にはまるで命が通ったような、そんな息吹さえも感じられた。
そんな時間が、いつまでも続くかと思われた時――
ピピッ……ピピッ……
「!」
指輪から発せられた音にヒナタが即座に反応し、投影ディスプレイを展開表示する。
波打つ信号が流れ、砂嵐のような音声が聞こえた。
『……ちら……銀河……機関……ッ! 繰り返す! こち……GCO! ……救難……受信! ……調律士……セルバッハ……! 座標……! 現地待機……よ! ……救助部隊……!』
「ライ! これ……!」
ヒナタが声をあげればホログラム型のライが現れ、その瞳に幾重にもコードが流れる。
一瞬で情報解析を終えたライは、感心したような、それでどこか苦虫を噛み潰したような表情で呟いた。
《……救難信号は無事受理された。が、座標特定は難航中らしい。コードネアはそのまま現地惑星にて待機。救助部隊を待て、だとよ》
思わぬ救助の兆しに心臓が跳ね上がる。
「おうち、かえれるの?」
何気ないルークの一言に、ヒナタは歯がゆさを孕んだ微笑みでそっと頭を撫でた。
「ううん。まだだって」
「そっかぁ……」
「でも、救難信号が届いたから、お迎えは必ず来るよ」
何事かと目を丸くしたままのアステリアの頭も撫で、ヒナタは帰還を確信する。
この屋敷は、宝珠のそばはとても居心地がいいけど、子供たちのことを思えばやはりガイアに帰らねばならない。
安全面や医療面はもとより、子供たちの未来もかかっているのだ。
「――お騒がせしました。残念ながら救助はまだ来ないみたいです。なのでもうしばらく、契約続行してもらってもいいですか?」
ふにゃりと笑うヒナタに、宝珠はこの関係が“契約”だったことを思い出す。
当たり前になった子供たちの声。
何をしでかすか分からない、破天荒な偽りの婚約者。
自ら提案した終わりある関係を日常と感じていたことに驚きを隠せない。
《この調子なら、迎えが来るまで数ヶ月……下手したら年単位になるかもな》
「それなら赤雲調査を本格的にやって、宝珠様の金の残滓も探せるかなぁ」
《王都からは動けないけどな》
「それは確かに〜」
ライとヒナタの軽口を聞きながら、もうしばらくはこの関係が続くことに安堵する自分に宝珠は戸惑う。
だが、そう遠くない未来。ヒナタはこの国を蝕む赤と金の真相にたどり着くだろう。
そしてその時が過ぎても、宝珠の隣には変わらずヒナタや子供たちがいることを、この時の彼は、まだ知らない。
*
宇宙は歪みに満ちている。
そしてそれを救えるのは、コードネアという歪みを孕んだ者たちだけ。
例えそれが神々のなす盤上の遊戯だとしても、彼女たちは生に、死に、愛に。狂おしく生きては死んでいく。
コードネア・クロニクル。
それは、ひとりの調律士が家族と生きた――最後の物語。
第1章はこれにて完結となります。ここまで読んでくださってありがとうございました!
また第2章でお会いできますように。




