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コードネア・クロニクル  作者: 熾音
第一章

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第42話 小さな愛の伝え方


 雨季前の季節。

 普段なら雨に見舞われるこの時期、突如として現れた晴れ間に城下町は騒然とした。

 

 ヒナタの存在も、雨晴らしが行われたことも。

 朝廷で何があったか知らない民衆は、この変異をどう受け止めていいのか分からず困惑する。



 「空が、青かったよね? 見間違いじゃないよね?」

 「……えぇ、旦那様。この(シュエ)も確かに見ましたから」



 雨が止み、赤雲が消え、赤空が晴れ――そして青空というものが見えた。

 それを目撃したのは一人や二人ではない。何百、何千……いや、もしかしたら何万という民がそれを目撃している。


 

 「今日は朝廷で、雨恵祭が執り行われているはずだよね?」

 「ですが、今までの雨恵祭でこのようなことは一度も……」

 「うん。でも――今年は例年と違うことが一つだけあるよ」



 そう言い切った静阿(セイア)の、どこか確信に満ちた瞳を雪は何も言わずに見上げた。



 「今年は、何もかも予測不能なあの冬家の婚約者様がいる。数日前に納品した宝飾品を考えれば、何かあるのかもね」



 まさか、という言葉は口にできなかった。

 一度だけ商会で会った冬家の婚約者――ヒナタという存在は、雪の興味を引くには充分すぎるほどに鮮烈だったから。



 「じきに冬家にも定期伺いに行かなきゃいけないから、今度は雪が行く?」

 「私が?」

 「うん。この前も話が合ったって言ってただろう? 母親同士だし、雪がそれとなく探ってきてよ……ね?」



 さらりと笑顔で偵察を頼んでくる年下の夫に、雪はやれやれと肩を(すく)めた。

 

 家同士の婚姻ではあったが、幼なじみ同士、恋愛結婚だった二人は互いのことをよく分かっている。

 一見昼行灯に見えても、その下には積み重ねられた綿密な調査や実績がある静阿の知りたがりな性格は大人になっても変わらない。

 


 「分かりました。では、子供たちを連れていきます」

 「えぇ? 商談になるかもよ?」

 「先ほど母親同士と言ったのは旦那様でしょう? 子供がいたほうが気の置ける会話になるんです」

 「あぁ、なるほど」



 一瞬難色を示した静阿だったが、すぐにその判断を肯定する。

 確かに母親同士。そのほうが自然と会話が盛り上がるだろうし、思わぬ情報も掴めるかもしれない。

 

 即座にそれを判断した雪に「やっぱりうちの奥さん素敵だなぁ」と漏らした静阿が殴られるのは、もはや日常の光景だった。




 *



 雨恵祭(うけいさい)から帰宅したヒナタと宝珠を見て、家人一同、目を丸くする。

 御者車から下り立った宝珠の腕には、首に抱きつくようにして眠るヒナタの姿があったのだ。


 御者の趙陽(チョウヨウ)も、李母娘も。

 以前宝珠がルークを抱きかかえて戻ってきた時でさえ衝撃だったのに、今度は婚約者とは言え成人女性。その驚きは段違いだ。



 「あれぇ? ママ、ねちゃったのー?」

 「あぁ」

 「ほうじゅさま、ママ、ちゃんとじっとできた?」

 「そう、だな。大人しく……はなかったな」



 なんせ塔から飛び降りてきたのだから。

 さすがにあれを“じっとしていた”とは言えず、ヒナタの部屋に向かいながら言葉を濁せばルークもアステリアも「やっぱりー」と楽しげに笑う。


 実の子から一体どういう評価を受けているんだと心配になるほどに、ヒナタはかなり行動力に満ちた母親のようだ。……まぁ、最初から分かっていたことだが。


 ひとまずヒナタを寝台に寝かせようとしたところで、その腕が拒むようにぎゅっと宝珠の首に絡みつき、一度動きを止めた宝珠は思考を動かすよう小さく息を吐いた。


 

 「――すみません、宝珠様」



 スッと横から伸びてきた手に驚く。

 ライなのは分かった。だが、いつもの半透明の姿ではない。



 「ライ、そなた……」

 「ヒナ。おいで」



 声をかけようとしたが、それより早くライがヒナタの名を呼ぶ。

 すると不思議なことに宝珠にしがみついていたヒナタの腕の力がゆるりと抜け、それと同時にライが自然にヒナタを宝珠の手元から抱き上げて寝台に寝かせた。


 微睡むように薄く開いた栗色の瞳にライが小さく笑う。



 「お疲れ。もうちょい寝とけ」

 「……ぅ……ん」



 頬を手の甲で撫でられる感触にヒナタがあどけなく微笑み、また静かに寝息を立て始める。

 次の瞬間、ぶつかる勢いで抱きついてくる小さな体を、ライは難なく受け止めた。


 

 「おっと」

 「ライ!」

 「ライだ!」

 「うん。この姿では久しぶりだな。でも、ママが寝てるからもうちょい静かにな?」

 「でも、いますぐぎゅっして」

 「そのすがた、すぐにもどっちゃうんでしょ?」

 


 訴えるような声に苦笑しながらも少し強めに二人を抱きしめてやれば、子供たちは嬉しそうに笑う。



 「いつも寂しくさせてごめん。二人とも愛してる」

 「うんっリアもライのことあいしているよ!」

 「ぼくも!」

 「ママもねっ」

 


 そう笑い合う三人に、宝珠たちはどこか唖然とした。

 

 愛を、こんなふうに伝え合う習慣などこの黎煌国にはない。

 愛というものを、こんなにも自然と口にするなど考えたこともなかった。

 

 そう思ったらヒナタのぬくもりが消えた腕がどこか虚ろに見えて。

 

 無意識のうちに視線を落とした先には、いつもの勝ち気な瞳はない穏やかな寝顔だけが浮かんでいた。

 

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