第40話 届かぬ指先
“赤”の残滓は黎煌国の黎主に宿っている。
そう理解した瞬間、ヒナタの思案は内側へと沈んだ。
(王族に呪詛がかけられるなんて珍しくもなんともない。……けどこの呪いが強すぎて、本体と判別がつかない……! ……あ、まず……酔う……っ)
ぐにゃりと目の前が歪み、咄嗟に両足で踏んばる。どうやら久しぶりの小さな負荷に身体がついていけてないようだ。
ライがいない今、倒れるわけにはいかない。
もちろんここは勝負の場。周囲に悟られるようなことがあってもいけない。
ふいに上がったざわめきの声に、ヒナタは一呼吸置いて瞼を持ち上げる。
(……あぁ、 でもちゃんと《浄化》は効いてる)
“調律酔い”の体を包む温かな光に、ヒナタは再度、空を見上げた。
まだ蒸し暑い、雨を含んだような残暑が残る風。
その先には、数百年ぶりに赤から解き放たれた青空と――まばゆい太陽の姿がある。
黎主も、星解きの巫女も、参列した他の貴族たちも。
皆、空を仰いだまま動かない。
だがそれもほんの僅かな出来事で、薄く見えた青空は再び赤の侵食に飲み込まれてしまった。
「……やっぱり、大元を解決しないとダメですわね」
ぽつりと、でもどこかのんびりしたヒナタの声に一斉に視線が集まる。
あらいけない、とうっかり声を漏らした様子で微笑んだヒナタは、それらの視線を躱し、祭壇の壇上にいる璃嵐と黎宵に向かって優雅に礼をとった。
「黎主、並びに星解きの巫女に謹んで申し上げます。晴れ間乞い、つつがなく終了致しましたこと――ここに奏上致します」
シン、と水を打ったように場が静まリ返る。
何事もなかったかのように振る舞うヒナタに畏怖めいた視線が注がれるが、ヒナタがそれを気にすることはない。
例え同調作用があったとしても、調律という行為を人前で行えば、多かれ少なかれ人はヒナタに対し慄きを感じるのだ。
それは予定調和のことで、もしもそれが子供たちに害を及ぼすほどの悪意に変わるというのなら――深く、深く、この世界ごと同調の海に沈めてしまえばいい。
そんな物騒な思考を端に追いやって、ヒナタはただ穏やかに微笑んだ。
余計な歓迎を受けたせいで雨恵祭も終盤。
だが黎主たる黎宵の前で自分の有用性と危険性の二つを示すことが出来たから成果としては上出来だろう。
これを期にこの国がどう動くか、璃嵐や黎宵がどういう判断を下すのかはおいおい分かるはずだ。
(……気持ちわる)
こんな感覚は久しぶりだ。ぐらぐらと揺れる視界に吐き気がする。
一刻も早く屋敷に、ライのもとに戻りたい気持ちが優雅さの限界まで足を急がせた。
例え触れられなくても。抱きしめられなくても。
ただ、そばに帰りたい。
奏上を捧げたヒナタは笑みを崩すことなく場を辞した。
頼まれていた役目もこれで終わり。
少々雨を晴らすのが遅くなったが、そうさせたのはあちら側。一時的とはいえ青空まで見せたのだから補填としては十分だろう。
近くにいた下級慈士を捕まえると冬家の御者車への案内を頼み、今度は妨害を受けることなく見知った御者の元へたどり着けて少しだけ肩の力が抜ける。
一人戻ってきたヒナタに御者の趙陽は驚いたが、宝珠を待つと言って車内に滑り込んだヒナタに何も言うことなく、ただ、静かに戸を閉めた。
「……ひとまず、おわり」
ばふっと投げ出すように座り込み、髪に差した宝飾類も全て取り外す。髪型を気にする気力もないのか、無造作に髪を流し、ぽつりと呟いた。
「……ライ……」
心細さを隠すよう指輪に触れ、窓に頭を預ける。
今のライは消費電力を抑えるため、護衛権限を最低まで落としている。だからヒナタか子供たち、そのどちらかの側にしかいることができない。
それを分かっているから、ヒナタはただ、沈むように意識を手放した。
――それからしばらくののち。
異例の雨恵祭も無事に終わり、御者車に戻ってきた宝珠が見たのは完全に寝入ってしまったヒナタの姿だった。
いつもは宝珠を振り回すヒナタの寝顔があまりにも無防備で一瞬乗り込む足が止まったが、やがて宝珠も静かに席につき、御者車は帰途へと動き出す。
途中、ガタリと揺れ傾くヒナタの体を宝珠は手を伸ばし支えてやった。
(行く前にも、似たような状況があったな)
そう思って視線をヒナタに落とした時、ぼんやりと栗色の目が薄く開かれた。
起きたか、と宝珠が声をかけようとした時――蕩けるような瞳が愛おしげに名を呼ぶ。
「……ろいど」
少し甘さを含んだその声に宝珠の意識が止まった。
ふわりとヒナタの手が宝珠に伸ばされ、擦り寄るようにその首に抱きつくとそのまま再び眠りの世界へと落ちていく。
柔らかな体を受け止めたまま、宝珠は動けずにいた。
ヒナタの言葉が誰に向けられたものか、それに気づかぬほど鈍くはない。
亡き夫の名を呼ぶヒナタを振りほどくべきか、抱き返すべきか――
結局その答えを見出すことはできず、ただ体を支えるだけに留めた宝珠は、ただ、無言で窓の外に意識をやるしかなかった。




