第37話 愛らしい歓迎
「宝珠様、ちょっと緊張してます?」
小雨降りしきる中、御者車はガタゴトと石畳を進んでいく。
雨季があるこの国では、水の流れを妨げないよう高低差があるのが一般的で、上流には貴族、下流には庶民が暮らしている。
高台にある宝珠邸を発った御者車は、一度城下町へと下り、やがて朝廷へと向けて再び坂を上り始めた。
「そなたが、次に何をやらかすかと考えれば今から胃が痛い」
「あぁ、なるほど。あたしの可愛さにみんなが注目するのは避けられないですもんねぇ」
「……何をどうやったらそうおめでたい思考になるんだ」
呆れ果てる宝珠にヒナタは悪戯っぽく笑った。
気を張りすぎてもどうしようもないことはある。肩の力を抜いたほうが普段の実力を出せるという意味では、ヒナタはとても自然体だ。
「ま、注目は仕方ないですし、むしろ望むところです」
「……向けられる視線はこの前の比ではないぞ」
以前、ヒナタが朝廷に訪れ、黎煌国宰相・清淵と会談した時はまだ彼女を目にする人間が少なかった。
だが、あの日を境にまた新たな噂が出回り、今やヒナタの存在は誰もが注目する的となっている。
今日の雨恵祭でヒナタが来ることは秘匿されているが、一度でもその姿を見せれば容赦ない視線に晒されるだろう。
そしてそれが、どれだけ悪意に満ちているのかを宝珠はよく知っているのだ。
「ふふ。大丈夫ですよ、宝珠様」
軽やかな声が宝珠の思考を遮る。視線を上げた先にいたのは、大胆不敵にも思える笑みを浮かべたヒナタだ。
「宝珠様はそうやって胃痛に悩まされてればいいんです。そうしたらあたし以外のことなんて目に入らなくなるでしょ?」
「……恐ろしいことを言い出すな」
「ふっふっふ、怖いでしょー」
「もし見たらどうなるんだ?」
「そんなの宝珠様が見た奴をぶっ潰すに決まってるじゃないですか! その綺麗な髪の毛一本たりとも他の人にはあげませんからね! もったいないっ」
「それは中々に理不尽だな」
子供のように真っすぐで、無謀で、どこまでも馬鹿げた会話。
それが分かっていても、無鉄砲なヒナタの思考はどこか可笑しくてつい話に耳を傾けてしまう。
李花の言う通り、髪の短さとその破天荒な行動力にさえ目を瞑れば、ヒナタは名家の姫君に見えることだろう。
感情豊かで、誰に対しても距離は近いが、過度に踏み込むことはしない。
その心地よさをどこか享受していたが、ライと過ごすヒナタを見ていれば否応なく気付いた。
それは――あくまで“他人”としての線引だったのだ、と。
「……無茶だけは、するな」
「宝珠様があたしを可愛いって言ってくれたら考えてあげますよー?」
額を押さえる宝珠を見てヒナタが楽しげに笑う。
答えを求められていないことはもう分かっている。だが、こういう奔放さは、どこか藍飛によく似ていて心底頭が痛くなった。それこそ藍飛ならば、ヒナタの国でもうまくやっていけるだろう。
ふと、ゆっくりと振動が止まり、御者車が動きを止めると同時にあどけなく笑っていたヒナタの空気が切り変わる。
ライは猫被りだと言っていたが、それなら一体何匹の猫をその内側に飼っているのだろうと思うほどに、宝珠の偽りの婚約者は場面場面で魅せる表情が全く違う、魔訶不思議な女だ。
「――じゃあ宝珠様、また後で」
「あぁ」
ただ参列する宝珠とは違い、ヒナタは迎え入れる側の立場になる。
巫女服姿の下級慈士がヒナタたちの御者車前で傘を持って待機しているのを見て、先に立ち上がった宝珠がヒナタを振り返った。
頭痛がしても、胃が痛んでも。
ここから先は個別行動だ。
「……猫を、逃がすなよ」
「ふふふ、はぁい」
一瞬だけ柔らかく細まったヒナタの目は、御者車から下りる頃にはすっかりよそ行きの表情に戻っていた。
周囲には到着した他家の御者車も止まっており、皆の視線が一身に注がれようともヒナタは動じることなく、待機していた巫女の傘に滑り込んで一度だけ宝珠を顧みる。
御者車の中でほんの少しだけ見せてくれた宝珠の髪や瞳は、今は何一つ見えない。
(せっかく綺麗なのになぁ)
青い布に遮られたお日様のような金色を思い出して、ヒナタは周囲の視線を振り切るよう巫女の後に続き、そうしてこの国の歓迎を知る。
『――晴れ間乞いなら、空に近いほうがよいでしょう?』
そう言って先を歩いた巫女は、長い階段を上らせた挙句に薄情な言葉だけ残してヒナタを別塔の最上階に閉じ込めた。
しっかりと外側から鍵をかけ、さらにはその上に閂までする手の込みようはあっぱれとしか言いようがない。
遠ざかる気配に念のため確認してみたが、押しても引いても戸が開く様子はなかった。
「――ふふ、ずいぶんと可愛らしい悪戯」
どうせなら暗殺者でも送り込んでくればいいのにと、思わず笑ってしまうくらいには優しい悪意だ。
そんなご機嫌な様子で鼻歌を歌い始めたヒナタは、足取りも軽く部屋の中へと戻っていった。




