第30話 星解きの巫女
清淵に連れられ向かったのは、朝廷の最奥――祭祀を司る祀省管轄の清院と呼ばれる建物。
三重塔を囲う回廊には、他とは違う静粛な雰囲気が漂う。
「……これより先は婚約者殿だけ。我らは控えの間でお待ちします」
そう清淵に言われてヒナタが宝珠を見上げれば、どこかもの言いたげな彼の姿に思わず笑ってしまう。
「大丈夫ですよ、宝珠様。無茶はしないし、大人しくします」
「……それが一番信用ならない」
「約束しますよ?」
「もっと信用ならない」
そんなやりとりにヒナタが笑い、「行ってきます」と軽く手を振った背中はあっという間に塔の中へと消えていく。
「実に不思議な婚約者殿だね。あれほど私と対等に語った女傑が、今やあどけない少女のようだ」
控えの間に向かう道すがら、清淵の言葉に宝珠はヒナタを思い出す。
初めて出会った時から、ヒナタが見せる表情はいつだって違った。
子供たちの母親としての顔。
酒を飲んでご機嫌な顔。
一国の宰相を前にしても堂々と怯まぬ顔。
どれもこれも同じ“ヒナタ”なのに、その時々によって彼女は驚くべきほど違う姿を見せる。
「そうですね……見ていて、退屈はしません」
「ふふふ、それは惚気かい? さすがは君を一目惚れさせただけはあるね」
「……」
藍飛が勝手に流した設定を思い出し、宝珠は口を閉ざす。
恋慕かどうかは別として、放っておけないのは間違いないだろう。むしろ放っておいたら何をしでかすか分かったものじゃない。
そんな未来を考えたら、手持ちの頭痛薬と胃痛薬では到底済まなさそうな気がして、宝珠はただ静かに息をついた。
*
「こちらでしばらくお待ち下さい」
そう言い残した巫女が部屋を辞してどれほど経っただろうか。
決して長くないはずなのに、一人きりの空間はどこが伽藍洞に見える。
「……ふむ。待たせたかの」
ふと聞こえた声にぼんやりとした意識が覚醒して振り向けば、いつの間にか一人の女性がいた。
切り揃えられた長い黒髪に紫黒の瞳が印象的なその女性は、ヒナタが礼を取るのを手で制す。
「あぁ、そのままでいい。堅苦しいのは苦手でな。本当は妾が最初にそなたと話したいと申したのに、あの化け狸が『まずは自分が様子を見る』とかぬかしよって。そなたも狸の相手は疲れたじゃろ? 炊事場から菓子を取ってきたぞ」
そう悪びれもせず、後ろ手に隠していたカゴを見せた今代・星解きの巫女――璃嵐は悪戯っぽく笑った。
彼女はその神秘的な見た目に似合わず豪快で、好奇心のままにヒナタの話に食いついてくる。
特にヒナタが惑星の外から来たと知った時は、目玉が飛び出るほどに驚いていた。
「――なるほど。調律士か」
塩せんべいを齧りながら璃嵐はうなる。
調律士ならば、この国の命運をかける存在になるかもしれないが、今のヒナタは正式な任を受けて来たのではない。
「もしも我らが、そなたにこの空を究明して欲しいと言ったらどうする?」
「そうですねぇ……現状では私に利点がありませんので、なんとも」
「そなたにとっての利点とは?」
「――後ろ盾です」
璃嵐の言葉に、待っていたとばかりにヒナタがほくそ笑む。
「この国は貴族社会。動こうにも身分や性別でいろんな壁が立ちはだかる。もちろん宝珠様は冬家嫡男ですが、その後ろ盾はほぼ皆無です」
「まぁそうじゃろな。かの者が何かしたわけでもあるまいに……この国は実に閉鎖的じゃ」
「なので高望みをすれば、宝珠様ごと守れる後ろ盾が欲しいんです」
そう言い切ったヒナタに璃嵐は再度目を丸くする。
女が男を守るなど、この国では聞いたこともなかった。
まさかそんな選択を選ぶ女が、自分以外にも存在しようとは――そう思った途端、たまらなく愉快で仕方なくなる。
「はっはっは! そうじゃなそうじゃな! そろそろ女が男を守る時代でも良かろう! ふむ。よし、決めた。――ヒナタ、妾がそなたの後見となろう!」
ぐっと顔を寄せて楽しげに笑う璃嵐に、今度はヒナタが驚く番だ。
まさか黎煌国随一の星解きの巫女から直々に申し出られるとは、さすがのヒナタも予想していない。
「じゃが、一つだけ条件がある」
「……条件、ですか?」
果実水を飲み干した璃嵐が窓の外を眺めれば、相変わらず今日も赤い雲が我が物顔で黎煌国を覆っている。
「疑うわけではないがの、もう一度雲を晴らしてくれぬか?」
「雲を? ですが今はまだ昼間で、騒ぎに……」
「構わぬよ。妾の、我が儘じゃ」
璃嵐の表情がふと切なげに揺れた。それを見たヒナタは、それ以上聞くことなく窓際へと赴く。
赤い空を見上げれば、ゆるりと瞳が七色に輝いた。
「《Lv.4:解放》」
常人には聞き取れない不明瞭な言葉。
それに応えるよう赤雲が渦を巻き、まるで清院から弾かれるよう一気に雲が霧散する。
「おぉ……っ!」
思わず窓に走り寄った璃嵐が雲の晴れた空を見上げた。
相変わらず空は赤いままだが、それでも清院を中心に晴れ間が広がっている。
「これは簡易的なもので、あの夜と同じく長くは持ちません」
「いや……いや、充分だ。そうか、雲は……赤雲は本当に晴れるのだな」
悲痛ともつかぬ璃嵐の声に、ヒナタもそれ以上は何も言わずにただ空を見上げた。
本当の空は青いのだと彼女たちが知るのは、一体いつになるだろうか。




