第26話 お説教
「さて、なにか言い分は?」
「ナイデスー」
見下ろしてくる宝珠からの圧にヒナタは視線を泳がせた。こういう時に下手な言い訳をするのは逆効果だということはすでにライで学習済みだ。
「“無茶はしない”という言葉は飾りか?」
「ちゃんと“助けられそうなら助けてきます”って言いましたー」
「川に近づくなとも言ったはずだが?」
「無茶の範囲外ですー」
「私たちはその無茶についての認識のすり合わせを先にするべきだったな」
青衣を肩に羽織り、両手で茶杯を持って居心地悪そうに座るヒナタを見下ろしながら宝珠は小さく息を吐く。
そんな宝珠をヒナタはおずおずと上目遣いで窺った。
「えーと……心配させちゃいました?」
「まずは反省しろ」
先ほどと同じようにへらりと表情を崩すヒナタに宝珠は頭を押さえる。
例え彼女自身に勝算があったのだとしても――あの時のヒナタは、明らかに“常識”を逸していた。
宝珠が御者車からヒナタを追った時には、すでに彼女は橋の欄干に足をかけ、そのまま迷わず橋の下へ落ちたのだ。――濁流が支配する川底へと向かって。
あの時の宝珠の気持ちを、この反省の見えない偽りの婚約者が理解することはきっとないのだろう。
「お二方は本当に仲が良いんですねぇ」
そんな二人の間に軽やかな声が割り込む。
盆を持って部屋に入ってきた焦茶髪の青年には見覚えがあった。夕市の屋台で出会った――そう、林静阿だ。
「……あぁ、静阿か。いきなりすまなかった」
「いえいえ、宝珠様にお越しいただけるなんて光栄ですよ〜」
どこか間延びしたような返事を返しながらも、静阿は慣れた手つきで宝珠の茶杯を替え、ヒナタにも新しいものを差し出す。
「ちょうどうちの人間があの場にいてよかったです。朝廷に向かう途中だったと聞きましたが、さすがにその格好では箔が付きませんからねー」
静阿の言葉にヒナタがうっと言葉を詰まらせた。
彼の言う通り、ヒナタの純白の衣の裾は薄汚れ、泥まみれだ。
宝珠の婚約者としてヒナタに与えられているのは、洗い替えのできない上質な絹織りの衣。
そんな高価な衣を汚さぬようとっさの判断で青衣は脱いだ。
ひらひらする青衣の下の中衣も脱ぎ捨てたかったが、そうすると下着姿になってしまうのでさすがにそれはマズいだろうと宝珠の名誉のために脱がなかったのに、心肺蘇生時に裾を汚すわ、その中衣姿さえも痴女か? と怒られるわ、なんだかもう、踏んだり蹴ったりだ。
「一応汚さないよう気をつけたんですよー……?」
「汚す汚さないの話ではなく、お前の行動について話してる。私の婚約者は獣か何かか? どうやったら大人しくすることを覚える?」
おずおずと進言したが、いつもの“そなた”呼びから“お前”呼びに変わった時点で宝珠の機嫌などお察しだ。
そんな二人のやり取りに、思わず静阿が笑いを噛み殺す。
「く、ふ……っほ、宝珠様は心配なされているんですよ、婚約者様。それに外は今、先ほどの救出劇が御伽遊戯みたいだったっと話題騒然ですから、宝珠様の言う通り、しばらくは大人しくされたほうがいいですよ~」
そう、今のヒナタは騒ぎを抜けて宝珠と近くの林商会に身を寄せている。
ヒナタが青衣を預けたあの中年の男が偶然にも林商会の関係者で、ヒナタの服の現状と周囲の熱気を鑑みて商会まで案内してくれたのだ。
御者の趙陽が急ぎ馬でヒナタの着替えを屋敷まで取りに戻ってくれているので、今はそれを大人しく待つほかない。
「……御伽遊戯? あれはどう見ても猿の見間違いだろう」
「それはさすがにひどいですよ宝珠様! 猿よりすごいです、多分!」
「そこで猿と張り合うな」
呆れたように椅子に腰掛けて茶杯に手を伸ばす宝珠に、静阿が苦笑を伴った笑いを向ける。
「大変ですねぇ宝珠様。異国の姫君っていうのは自分達の斜め上の行動力をお持ちみたいで」
「全くだ。……目を離すと何をしでかすか分かったものじゃない」
お茶と一緒に飲み込まれた様々な宝珠の感情に、静阿はおや、と少し目を細めた。
あまり感情を表に出さない宝珠だが、摩訶不思議な異国の婚約者との空気感は驚くほどに軽いようだ。
「――失礼します、旦那様」
部屋に凛とした声が響く。
振り向いた先には、青い包みを抱いた女性が頭を下げていた。
「あれ、雪?」
「お荷物をお届けに参りました。御者殿も下で休んでいただいております。さぁ、婚約者様、五の鐘まで時間がありません。どうぞこちらでお着替えを」
ヒナタが宝珠に目線を向ければ行ってこいと促され、立ち上がったヒナタの背に宝珠の声がかかる。
「ヒナタ」
「はい?」
「……頼むから着替える間くらい大人しくしていろ」
「宝珠様って本気で私を猿だと思ってるでしょー!? 私はいつだってお淑やかですー!」
いーっと歯を見せて踵を返すヒナタの後ろ姿に、静阿は笑いを肩で堪え、宝珠は再度大きくため息をついた。




