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コードネア・クロニクル  作者: 熾音
第一章

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第24話 水の脅威


 ガタガタと石畳を御者車が進む。

 赤雲がどこかどんよりとして今にも雨が降りそうだ。



 「もしかして今日は雨が降ります?」

 「……もうすぐ雨季になる」

 「雨季? ……あぁ、そっか。この国は雨季と乾季があるんですね」



 空を見上げたヒナタの目に一瞬だけ複雑な色が浮かんだが、すぐにそれは振り払われる。



 「雨季ってどれくらい続くんですか?」

 「九の月から一の月。大体五ヶ月ほどだ」

 「そうしたらその後がずっと乾季?」

 「いや、移行期を挟んで五の月から乾季になる」

 「へぇ……」



 ヒナタが住んでいたガイアの国の一つ、リートン国は四季がある国だった。

 梅雨のような季節はあったが、数ヶ月も雨が降り続くような経験は初めてだ。



 「……苦手か?」



 ふいに思考を遮るような宝珠の声に、ヒナタが瞬く。



 「えっと、何がです?」

 「雨だ」



 布越しに見透かされたような気持ちになってざわりと心が揺れた。

 彼の目に、一体自分はどんなふうに映ったのだろう。

 そんな気持ちを押し隠してヒナタは苦笑いを浮かべる。



 「実は、雷が苦手なんです。だからちょっとヤだなぁって」

 「……そうか」



 それきり宝珠は口を閉ざし、ヒナタもその沈黙に甘えた。

 

 雨は――ただ、好きじゃない。

 それだけだ。


 そうヒナタが視線を窓の外に戻そうとした時、ガタン!と御者車が大きく揺れる。


 

 「わわ!」



 よろめいたヒナタに宝珠が咄嗟に手を伸ばした。

 触れたのは、柔らかな肢体と甘やかな香り。そしてふわふわとした髪が顔をくすぐって、宝珠は少しだけ眉を寄せた。

 


 「びっくりしたぁ……何かあったんですかね」



 一方のヒナタはさして気にした様子もなく宝珠の腕から顔を上げる。

 思わぬ至近距離を避けるかのように、宝珠が御者台に繋がる窓を覗いたところで先に窓が開いた。



 「申し訳ございません、宝珠様、婚約者様。今しがたこの先で水の事故があったようで」

 「水の、事故?」



 小首を傾げるヒナタの肩に手を添え、宝珠は体勢を戻してやる。



 「よくあることだ。特に今は雨季が近づいて急激に水かさが増える時期だから水難事故も多発する」

 「えぇっと、対策……とかは?」

 「注意勧告は出ているが、慣れだろうな。安易に近づいて事故に繋がる」



 それを聞いてヒナタは窓を開けてみた。

 確かに目の前には、人だかりと他の御者車がごった返してしばらくは動けそうもない。



 「宝珠様って泳げます?」

 「……機会がないな」

 「ですよねー」



 水が豊富でも、泳げない。肌を見せることを良しとしない文化圏なら泳ぐ機会など、そうはないだろう。

 結果、泳げない人間が大量に集まったこの国での水難事故は、ほぼ死に直結する。



 「お、おい! まだ生きてるぞ!」

 「あの子供(ガキ)、岩に引っ付いてやがる!」

 「無駄だ無駄。どうせすぐ力尽きて水に巻き込まれてしまいだ」

 「可哀想だねぇ……確か、この前も子供が亡くなったばかりだよ」

 「この時期に不用意に水流に近づくからさ。死体が上がるだけマシってもんだろう」



 口々に交わされる会話に、ピクリとヒナタが反応する。

 

 この国の生死感にとやかく言うつもりはない。それで淘汰される命も、この文明レベルなら致し方ないことだろう。

 けれどそれは、ヒナタの手の届く範囲外での話だ。

 


 「宝珠様。約束の時間までまだ余裕ありますよね?」

 「……何をする気だ」



 外を眺めるヒナタに嫌な予感しかしない。

 引き止めるよう腕を掴もうとした宝珠の手は空を掴み、猫のような軽やかさでヒナタは戸を開けて外に出てしまった。



 「まだ御者車は動けませんよね? じゃあ、ちょっと見てきます。んで、助けられそうなら助けてきます」

 「……っ水には寄るな!」



 宝珠の制止に対し、ヒナタは軽い笑みを返す。

 「無茶はしませんよ、約束します」と残した後ろ姿は、青衣のすそだけが残像のように人混みに溶けていった。


 人波をかき分け、橋の中央まで来たヒナタは眼下の水路を見て冷静に判断する。

 


(……なるほど。こりゃ、二次災害にならないためにも手を出さないのが正解だわ)



 まるで鉄砲水のような濁流が、枯れ枝も桶も、どこかの柵なども巻き込みながら轟々と流れていく。

 左右にあったであろう通路も、もはや水の下だ。


 

 「ねぇ、おじさま。他の水路も増水してるの?」

 「おぉ、冬家の嬢様か。いや、ほとんどの水門を閉めたんだ。そんで数か所だけ開けて、そっから一気に放水してるんだが、あの坊主はそれに気付かなかったんだろうな。もっと上の方から流れてきて今はあっこにいるが、もう体力が保たないだろうよ」



 残念だけどな、という溌剌とした中年の男の言葉に、ヒナタはふぅんと相槌を打ってから、おもむろに上に着た青衣だけをバサリと脱いで男に預けた。



「な!? お、おい! 嬢ちゃん!?」

「おじさま、それ預かってて」



 ヒナタがそう言った直後、かろうじて岩に掴まっていた少年の手が濁流に呑まれる。

 それとほぼ同時にヒナタが足が橋の欄干を飛び越え、そのまま迷うことなく荒れ狂う川へと落ちていった。

 


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