第20話 二つの異端が交わるとき
「えぇ!? じゃああの雲を晴らしたのはヒナタ殿だったのかい!?」
ヒナタ達がまだ朝餉を食べていた時間帯のこと。
蒸し風呂日は午後からの出仕になるため、朝方、当然のように人の家にやってきて北側の蒸し風呂部屋に入った藍飛は、宝珠から昨晩あったことを聞いてあんぐりとする。
「声を落とせ、藍飛」
「いやだって! 祀省は今、昨晩の原因を巡って大混乱って話だよ?」
「……」
酔っ払ったヒナタが、“調律”という力で赤雲を晴らしたのは昨夜のことだ。
宝珠も、あの時は空が見えたことのほうが衝撃で事態を把握しきれなかったが、祀省が騒いでいるというのなら見て見ぬふりもできない。
「彼女は、自国では国家間交渉権限を持つ政府の人間なのだと言っていた」
「は!? 政府ってことはつまりは朝廷だよね!? 朝廷で、しかも女人が交渉権限を持つって……なんだいそれ!」
藍飛の驚きは最もだ。
二十三歳のヒナタは、女であり、宝珠や藍飛よりも年下。
十五で朝廷入りし、わずか十年で現在の中級職にまで昇りつめた宝珠や藍飛でも、国家規模の交渉権限なんて到底持ち得ない。
他国との交易がない黎煌国ではあるが、もしもそんなことが可能だとすれば――
それは宰相か、王だけだ。
「調律士、という役職らしい。お前も分かってるだろうが、彼女には我々の理解を超えた力がある。……行動もだがな」
「それは、まぁ確かに。でも、さすがに雲を晴らすとなると人間業ではないよ?」
「それこそが独自交渉権限を持つ人間に必要な“技能”なのだそうだ」
「え? 技能なのかい? ……あれが?」
「あぁ。一種の、自然摂理に干渉できる巫女のような力らしい」
「巫女、ね。まぁそっちのほうが私たちには言葉馴染みはあるけれどさ」
「……“同調”で言語思想の壁を取り払い、“調律”でその国が抱えてる問題を究明し、国家間交渉の材料にする。それを可能にするのが調律士なのだそうだ」
あの後も何やらいろいろ説明されたが、恐らくはそういうことだったのだろうと宝珠はぼんやりとした昨日の意識を拾う。
「でも不思議なものだね。同調を受けたのは、私ときみだけのはずだろう? まぁあの時は李姜も同席していたから、彼女までなら同調の影響を受けたことは理解できる。だが、夕市での様子を見るに、実際は我々以外にも同調の作用は広がっているようだったよ」
じんわりとした汗が首筋をつたった彼らは腰を上げ、蒸し風呂の奥へと向かった。
最奥の壺にはいつもどおり薬湯が満ちており、桶片手に彼らは薬湯をすくって頭からかぶる。どうやら今日の薬湯は、いつもより爽やかな香りがした。
「……波紋、のようなものだと言っていたな。ある一点から――今回は私たちを起点に、同調は周囲にも広がっていくのだと。……ってお前まさか、同調がどこまで及んでいるかを調べるために彼女を屋敷から連れ出したのか?」
「ふふふ〜さぁねー? 屋敷に引きこもりきりは可哀想だと思ったのは本当だよ」
濡れた前髪をかきあげ、ウインクをした藍飛に宝珠は呆れたようにため息を漏らす。
(相変わらず、突飛なことをするものだ。まぁ、この男なら何かあったとして卒なく動いただろうが……だが、確かにこいつの言い分も一理ある。あのような存在を、いつまでも屋敷に閉じ込めておけるわけもないだろうな)
そういって脳裏に浮かぶのは、昨日楽しげに酒を飲んでいたヒナタだ。
男を立てることが美徳とされるこの国で、敬意を払えども引き下がることは一切しない。
対等の存在として振る舞う彼女は、異端だが、目新しさの風でもあった。
そんなヒナタは、宝珠のことを教えてほしいと昨夜口にした。
気が向いた時にでも教えてほしいと、酒片手に無邪気に笑ったのだ。
それを思い出して、宝珠は濡れた自身の髪を見つめる。
黒髪と、それに連なる色しか存在しないこの黎煌国では、金髪と金目で生まれ落ちた宝珠はどこまでも異端な存在だ。
「宝珠」
藍飛の声に、宝珠は落としていた視線を上げる。
彼の青みを帯びた黒目は、今日も楽しげに金色に輝く宝珠を映していた。
「これは私の勘だけど、ヒナタ殿はきみのことを気にしないと思うよ」
「……」
「私だって李姜たちだって、きみの色なんて気にしてないしね。異国文化の広い見聞を持つ彼女なら尚更だよ。それに、まぁ、これはもしかしたら同調の作用かもしれないけど、きみだってヒナタ殿の髪の長さを気にしないだろう?」
「……そうだな」
短い髪は、髪を売らねば生きていけないほどの貧民の証。
藍飛たちが時間をかけて宝珠を受け入れたのとは違い、短時間でヒナタの髪の短さを受け入れられたのは、藍飛の言う通り同調作用によるものなのだろう。
(だが、出会った瞬間、私は初めて自分以外の異端を知った。……勝手に芽生えた仲間意識とでもいうのだろうか。我ながら浅ましいな)
ヒナタに手を差し伸べたのは、かつての自分がそうされたかったからなのかもしれない。そう考えたら宝珠の胸に苦い思いが広がった。
それでも初めてヒナタと出会ったあの夜は、この国で唯一の孤独を持つ宝珠にとって特別な夜となる。
異端と呼ばれた宝珠の前に現れたのは、同じく異端とされる髪の短いヒナタ。
それゆえ、思考同調よりも先にヒナタの存在はすでに宝珠に受け入れられていた。だが、当の本人たちがそれに気づくのはまだまだ先のことだ。




