第17話 楽しい時間(2)
夜風がふわりと熱くなった頬を撫でる。
梁から吊るされた紗灯の火は柔らかい影を描いて、まるで淡雪のように卓の上に落ちた。
「――なにか不自由は?」
思えば、こうして二人きりになるのも初めてのこと。
酒杯片手に宝珠が当たり障りなく尋ねれば、蓮根と山菜の前菜を食べていたヒナタが一拍ののちに軽く頭を振った。
「ないですよ〜李姜たちにもすごく良くしてもらってるので」
「……そうか」
静かに酒杯を傾け無言になった宝珠を横目に、ヒナタは次の小鉢に視線を巡らせ塩粽に手を伸ばす。
つまみといいつつ、完全に食事に切り替わっている気もするが、夕市の分だけではヒナタには物足りない。
もっちりとしたもち米特有の甘みと塩と香草、そして蒸した葉の香りがなんとも酒を進ませて、ヒナタは満足げに表情を緩ませた。
「やっぱり、水が綺麗な国のご飯とお酒は美味しいですねぇ〜……水が不足してる惑星じゃ、お酒どころじゃないですもん。その点、この星は水は豊富で綺麗だし、自然もあるし、まずは拳で語れ! みたいな脳筋な国じゃないし。いや、あれはあれでやりやすいんですけどねー」
「……なるほど。そなたの体術はそのためか」
出会って三十分足らずで五人もの男を制圧したヒナタを思い出し、宝珠は納得したように酒に口をつける。だが、その様子にヒナタはどこか不服そうだ。
「ちーがーいーまーす〜! 私のはただのか弱い女子が身を守るための護身術ですー」
「そうか。どうやら私の知っている護身術とは見解が違うようだな。夕市でも酔漢を取り押さえていたが、ただの護身術で自ら突っ込んでいく者はいまい」
「むー……それはー……無抵抗の子どもに手を上げたあの人が駄目だと思うんですよー……お酒は楽しく人に迷惑をかけない! がモットーなのに〜……」
次第に酔ってきたのか、言葉の端々に崩れが見え始める。
だが、宝珠が何も言わずにヒナタの酒杯に次の酒を注げば、すぐにその目が輝いた。
「えへへ〜ありがとうございますー。……ねー宝珠さまって何も私に聞いてきませんけど、子供たちがいたとはいえ、よくもこんな怪しげな女を家に入れましたねぇ〜?」
「それを自ら言うとは驚きだ」
「そりゃ、怪しいものは怪しいですもん。いくら同調したからって元々の思想や思考が変わるわけじゃないし、髪とか服装とか、この国の文化には全然合わなかったでしょ?」
そう言ったヒナタは今度は塩せんべいに箸を伸ばす。
パリパリという食感と塩気が大変美味で、少し苦みの残るすもも酒にこれまたよく合うのだ。
「そういえば、同調……だったな。今、そなたが酒を飲むのを見てもさほど違和感を感じないのもその同調とやらのせいか?」
「……?」
「この国の女人は酒を嗜まない。飲むとしたら……妓女くらいだ」
宝珠のその発言に、ヒナタは大げさとも思えるほどにあんぐりと口を開く。
「んえぇぇ!? じゃあこの国では夜のおねーさんしかお酒飲まないってことです!? え!? じゃあ何を楽しみに女性陣は仕事を頑張れば!?」
「女人の主な仕事は家を守ることだ」
「あぁぁぁ! そうだった! ここ、そういう国だった! えぇぇぇ、そっかぁ〜……」
だが、それを聞いてもヒナタの酒を飲む手は止まらない。
なんなら塩せんべいの皿はとっくの昔に空になり、今度は甘味を求めて李と菊花の蜜煮に手を伸ばす。
「そうですねぇ……もともと同調って、言語思想の違う人たちと平和的対話をするための外交手段なんですよー。……宝珠さまたちと最初に会った砂浜を覚えてますー? あれって、初めは藍飛様の言葉も全然分からなくて、とりあえず言語だけ同調して会話ができるようにしたんですよー」
「……あぁ、 どうりで声をかけた時に応じなかったのか」
「そうなんです〜……別に無視したわけじゃないんですよー?」
へらっと笑いながら、ヒナタは酒に視線を落とし酒杯の縁を指先で撫でた。
「まぁ、星間事故は予想外でしたけど、子供たちも無事だったし……でも、このあとどうしようかなぁって思ってたら藍飛様に押された宝珠さまが引き取ってくれたし」
「それは、こちらにも利があっての提案だ」
「ふふふ〜それでも、見知らぬ土地で子連れ生活はさすがに厳しかったから、いくら私が調律士でもすっごくありがたかったんですよ〜」
「……調律士?」
聞き馴染みのない言葉に宝珠が問い返せば、ヒナタがきょとんとした顔で宝珠を見る。
そして、ふと気づいた。
「あ、そっか。ここらへんは宝珠さまに全然話してなかったですねー……というか聞かれなかったから誰にも言ってない! えぇーっとですねぇ……私、こう見えても惑星間交渉権限をもった政府管轄の外交官なんですよっ」
ふふんとドヤ顔で豊満な胸を張るヒナタ。
かなり機嫌の良さそうな彼女とは対象的に、宝珠は酒杯片手に固まった。
政府管轄の外交官なんて大層な肩書が目の前の酔っぱらいと一致せず、どう解釈すればいいのか理解に苦しむ。
だが、同調作用で元の思考が変わらないというのが本当のことだと、皮肉にも証明された瞬間だった。




