第100話 境界を喰らうもの
なんとも言えない空気感の中、子供たちだけは楽しそうにケーキを選び、薄情にもアオバとライは子供たちの対応へとシフトした。
しばらく無言で目線が合っていたヒナタと宝珠だが、何も言わずに立ち去る宝珠にヒナタが絶望したように顔を歪ませる。
「宝珠様にまた呆れられたぁぁ……!」
「それは今さらだろ。でも、今回はさすがにダメかもな」
「ライまでそんなふうに言わないでよー!」
「はい、ヒナタさん。モンブランですよ。あーん」
何事もなかったかのように世話を焼くアオバに、ヒナタは抗えず「あーん」とひな鳥のように口を開けた。
甘すぎない。けれど、甘い。
そんな久しぶりに食べる銀河のデザートに、今日は一日中脳が蕩けきっている。
「おいしいけど、おいしいけど……っ!」
「それは良かった。タルトはどうします? 期間限定品ですよ」
「食べるけどぉぉ……!」
美味しさを盾に何食わぬ顔をするアオバに翻弄されながらも、ヒナタの頭の中はどうやって宝珠に弁明しようかでいっぱいだった。
「絶対、宝珠様に誤解されたぁぁ……」
「おや、嫌なのですか? 彼に誤解されるのは」
スプーンを何度もヒナタの口に運びながらモンブランを食べさせるアオバは、至って穏やかな口調で尋ねる。
もぐもぐと泣きそうになりながらもケーキを飲み込むヒナタは、その問いに弱々しく呟いた。
「……イヤ」
「なぜ? 彼はあくまでも仮初めの婚約者でしょう?」
「それでも……イヤ」
ヒナタのその様子に、アオバの目が面白いものを見るかのように細められる。
甘さ控えめな栗のペーストが喉を落ちる瞬間、どこかヒナタの心の中にすとんと落ちるものがあった。
それを見越したようにアオバがヒナタの口元を指先でなぞる。
「アオバさ……?」
「なるほど。彼はヒナタさんのお気に入りになりましたか」
「……?」
クリームを取った指先をアオバはぺろりと舐め取った。
妖艶さも相まって普通だったら卒倒ものだが、ヒナタは不思議そうに首を傾げるだけだ。
そんなあどけないヒナタの様子に、アオバは小さく笑う。
「私ともライくんとも違う、お気に入りですよ。寂しがり屋なのに、中々心を許さないあなたが見初めるとは彼も中々にやりますね。あれ以降、何かありましたか?」
「お前は最初から見初められてねぇから自信過剰も大概にしろ」
「おやおや、ライくんはいつも辛辣ですねぇ。そこがまた愛おしいのですが」
「よし俺が悪かった。頼むからマジでやめろ」
くすくすと笑うアオバにぞっとしたのか、ライが両腕を擦って嫌悪感を示したが、当のアオバはどこ吹く風だ。
そんな二人の会話をよそに、ヒナタの頭の中ではアオバの“お気に入り”という言葉がリフレインしていた。
(お気に入り……確かに宝珠様は好き……だけどそれは、家族だから……)
もしかしたら、あの夜をきっかけに変わってしまったのかもしれない。
宝珠とヒナタを繋いでいた家主と居候という関係は、次第に家族にも似たものへと変わって、あの夜、一線を越えた。
気にしないでとヒナタ自ら宝珠に言った割には、ヒナタ自身もどこかで引きずってしまっていたのかもしれない。
そう思うと、ぎゅっと胸が痛む。
「宝珠様を、巻き込んじゃダメだね」
これ以上、今の居心地の良さから戻れなくなる前に、慣れ合いは表面上に留めるべきだったと理解はしている。
ヒナタも子供たちも、いつかは銀河に戻る身でいつまでもこの国にはいられない。
あくまで、一時的な、仮初めの家族。
そう思ったら、なぜか目から涙があふれた。
「あ……れ……?」
「……ママ?」
「ママ、 どうしたの? だいじょうぶ? どこかいたい?」
ヒナタの様子に気づいた子供たちがケーキを食べる手を止めて、心配そうに見上げてくる。
涙が止まらない。
自分でも驚いたように手の甲で拭いながら、ヒナタは子供たちに「大丈夫だよ」と笑って見せた。
(あぁ……だめだ。これは、だめ)
恋ではない。愛でもない。
これはそんな生半可な感情じゃない。
命を蝕み、喰らい尽くすほどの激情だ。
だが、ヒナタのそんな重い感情を宝珠に渡すわけにはいかなかった。
だってここは、失えばもう二度と還ってこない残酷な世界。
ライやアオバとは違う。宝珠は祝福を受けただけの、ただの“人”だから。
(そんな人に、あたしは……)
絶望にまみれ、人であることをやめてしまったヒナタが手を伸ばせるわけがない。
失うことを覚悟して、もう一度掴めるわけがない。
恐怖の向こう側を、二度と見たくはないから。
だから駄目なのだ。大切であればあるほど、この感情にヒナタは手を出してはいけなかった。
出したら最後、もう、後戻りはできないのだから。
*
それからのヒナタの意識はどこか散漫としていたが、「帰ります」というアオバの声で我に返った。
見送りまではなんとか来れたが、今度は子供たちが癇癪をおこすように泣き始めてしまう。
「やぁだ! アオバせんせい、かえっちゃやだぁ!」
「ねぇ、せんせいはここにいられないの? ずっといようよ、ぼく、ほうじゅさまにおねがいするよ?」
アステリアもルークも、ぎゅっとアオバの裾を掴んで離さない。
身寄りもないこの地では、良く知ったアオバの存在とアオバから繋がる銀河の名残が恋しくてたまらないのだ。
そんな二人に、アオバは視線を合わせるように腰を落とす。
「実はですね、帰るのではなくて忘れ物を取りに行くんですよ」
「わすれ、もの……?」
しゃくり上げるようなアステリアの頭を優しく撫でてアオバは微笑む。
「えぇ、忘れ物です。私がおっちょこちょいなばかりに銀河に忘れてきてしまいました。リアさんとルークさんへの大事なプレゼントだったので、どうしても一度取りに戻らねばいけないんです」
「とったら、またかえってくる……?」
ぎゅうっと掴む手に力を込めるルークに、アオバは「えぇ、もちろん」と真っすぐに目を見つめて頷いた。
「ただ銀河は少し遠いので、リアさんもルークさんも、私がプレゼントを取りに戻っている間、ここで待っていてくれますか?」
こぼれた二人の涙を拭ってお願いすれば、アステリアもルークも小さく首を縦に振る。
「うんっ……いいよ、リア、いいこだからまてる……」
「ぼくも!」
「ふふ、二人とも最初からいい子ですよ。次はちゃんと忘れ物を持ってくるので楽しみにしていてください」
そう言ってアオバは二人の頭を撫でて立ち上がった。
子供たちの泣く声が聞こえたからか、玄関から見える廊下の先に宝珠が姿を現す。
ライは気づいているだろうが、茫然自失気味なヒナタはまだ気づいていない。
ほんの数秒だけ、時間が取り残されたような静寂の世界でアオバと宝珠の視線が交差する。
その様子にアオバは薄く目を細め、次の瞬間、さりげなくヒナタの名を呼んだ。
「ヒナタさん」
「……え? あ、なに……」
さらりとアオバの右手がヒナタの頬に触れる。だがヒナタが気が付いた時には眼前にアオバの美しい顔が迫り、唇に温かい感触だけが残った。
「……ぇ?」
「っくそバ!」
ぐいっとライがヒナタの腕を強引に引き戻すのを見て、満足したようにアオバはヒナタ越しに宝珠に微笑む。
「では、また」
そう言ってアオバが姿を消したあと、本能的に振り返ったヒナタが宝珠の存在に気づくのはもはや時間の問題だった。
これにて第二章完結となります。
並びにご報告です。この度、コードネア・クロニクルは公募用へと再編するために三月いっぱいで、連載休止・非公開とさせていただきます。
連載再開は早ければ冬ごろを予定していますが、ご縁があれば……という思いでございます。
どうかネアクロを記憶の片隅に置いて頂ければ嬉しく思います。
第二章まで読んでくださり、本当にありがとうございました!




