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コードネア・クロニクル~喪失の花嫁と歪みの惑星(ほし)の婚約者~  作者: 熾音
第一章

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第1話 銀河の外の世界


 波音に混じって、懐かしい声がする。

 

 触れ合う指先。温かな体温。

 薬指に光る――婚約指輪。

 

 そんなガイアでの幸せな日々は、ある日、唐突に終わりを告げた。

 

 波音が次第に遠ざかり、どす黒い雨が降り注ぐ。

 腕の中の温もりは雨に奪われ、赤く染まっては流れてく。

 

 息が、苦しい。

 かすれた声で名前を呼ばれるたび、涙と嗚咽がこぼれ落ちた。



 『おいて……いかないで……!』



 ぐちゃぐちゃな激情に全身が絞り取られる。

 力ない指先にそっと頬を撫でられ、彼の漆黒の瞳がかすかに笑ったように見えた。

 

 血に濡れ、乾いた唇から伝ったのは―― 

 二度と交わせない、最期の“あいしてる”。


 

 

 *



 

 「……!」


 

 頬を刺す砂の感触にヒナタは目を覚ます。

 余韻のように聞こえるのは、寄せては返す穏やかな波音。

 

 ふいにピピッという短いアラート音が響く。

 薬指にはめられた指輪から浮かぶのは、《銀河ネットワーク圏外・裏律界(ディスコードゾーン)》の警告表示だ。

 

 それを目にしたヒナタは即座に立ち上がった。

 

 

 「ルーク! リア! どこ!?」


 

 砂を払い落としながら小さな影を探すが、それに答える声は聞こえない。

 見上げた夜空は、ガイアでは見たこともないほどの赤黒い雲に覆われている。

 

 焦る気持ちを抑え、指輪のGPS機能を作動させようとした――その時。


 

 「■■■、■■■?」


 

 反射的に手が止まり、GPSがかき消える。


 投げかけられた言葉は、分からない。

 なぜならここは、銀河ネットワークの外側(がいそく)。銀河法さえ届かない、未開領域の宇宙なのだ。

 

 

 「《言語同調(~♮♪)》」


 

 考える間もなくヒナタは小声で口づさんでいた。

 カチリ、と歯車が噛み合い、それとほぼ同時に再度声をかけられる。


 

 「きみ、大丈夫かい?」

 「……えぇ、ごめんなさい。大丈夫」


 

 これで言葉は問題ない。

 そう社交的な笑みを浮かべたヒナタの目線の先には、東方風の長衣をまとった青年らの姿があった。

 一人は長い蒼黒髪を肩に流し、どことなく優雅で貴族のようだ。だがもう一人は目深く布を被っており、顔さえも判別できない。

 

 

 「こんな夜更けに女人が一人でいるのは危ないよ。最近は人さらいの件もあるし……なにより珍しい衣だ」


 

 薄絹を張った手行灯(てあんどん)――紗灯(しゃとう)を手に、蒼黒髪の青年は心配と警戒を滲ませる。

 

 ヒナタが着ているのはキャミソールにシアーシャツ、そしてラップスカート付きのショートパンツとごく一般的な夏の装いだ。だが長袖の彼らを見るに、ここは肌の露出を良しとしない文化圏なのかもしれない。

 しかし、今はそれを説明している暇がなかった。


 

 「子供たちを探しているんです。三歳くらいの男の子と女の子。どこかで見ませんでしたか?」

 「……子供?」


 

 青年が布を被った人物へと目線を向ける。


 

 「……この周辺を見回ったが、子供は見ていない」

 「だよね。私もだ」

 「そう……ですか。ありがとうございます」


 

 少しの沈黙ののちに返ってきた返答に礼を告げ、ヒナタは彼らに背を向けた。

 見えないよう小さめサイズでGPSを再起動させれば、意外なほど近くに反応があって思考より先に体が動く。


 

 「ちょ、ちょっときみ……!」

 「ごめんなさい、子供たちのところに行かなきゃ……!」


 

 背中越しに青年の声を聞きながらもヒナタは駆け出した。

 距離にして三百メートル。GPS頼りに月明かりの弱い闇夜を駆け抜ける。



 (――あれか!)


 

 目の前にうごめく複数の影を捉え、一気に踏み込んだ。

 闇に慣れた視界は、顔の判別まではできなくともしっかり敵の位置とその手に持たれた二つの麻袋を捉える。

 


 「誰だ……っぐぁッ!」

 

 

 男の腕を捻り、体勢を崩した腹部に膝蹴りを叩き込む。

 呻き声ごと地面に放り捨てると、すぐさま近くにいた男の襟足を掴み、麻袋を持って逃げようとした二人組目がけて思い切り蹴り飛ばした。

 

 ぶつかった衝撃で男たちの手から麻袋が離れる。

 その一瞬を逃さず、ヒナタは地を蹴り、地面スレスレで二つの麻袋を抱き込んだ。勢いを落とすことなく地面に倒れた男たちのみぞおちや股間を蹴りあげ黙らせたヒナタの背後に、最後の男が拳を振り上げる。


 

 「誰だてめぇ舐めやがって!」

 

 

 拳が届く直前。ヒナタは後ろざまに男の顎を容赦なく蹴り上げ、薙ぎ払う。

 

 体勢を崩した男が古い家屋の壁に叩きつけられ、激しい衝突音と土埃が舞った。

 積み上げられていた瓦礫も雪崩れるよう散壊し、それから少しの残響ののち、静寂が戻る。

 

 荒い息を肩で整えるヒナタは、転がる男たちを一瞥し、少し離れた場所に抱いていた麻袋をゆっくりと下ろした。

 慎重に二つの袋を開ければ、鋭かった眼光にもようやく安堵の色が浮かぶ。

 


 「ルーク……アステ()()


 

 聞き慣れた寝息と温かな体温。

 鼓動を確かめるよう子供たちを抱きしめれば、急ぐ複数の足音が聞こえてくる。


 

 「これ、は……!?」


 

 紗灯の光が眩しい。

 目線を上げた先では、砂浜で出会ったあの蒼黒髪の青年が困惑するのが分かった。


 安堵と共に緊張も舞い戻る。

 分かっている。ここは母星・ガイアではない。

 指輪の警告どおり、ここは銀河法も及ばない、遠く離れた未開の惑星(ほし)

 

 頼る者はいない。そんな場所で、ヒナタはたった一人で子供たちを守らねばならない。

 

 

 (……長い夜になりそうね)



 眠る子供たちを抱きしめ、ヒナタはその手に決意を込めた。


 

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