初恋は素敵な騎士様と
「お手をどうぞ」
きらきらと陽光を弾く鮮やかな金髪と、それに負けず劣らずきらきらと輝くサファイアのような青い瞳の少年が、膝をついて手を差し伸べてくれた。
王宮の、第一王子と同じ年頃の貴族の子女が集められたお茶会のことである。参加者の多くはすでに親しい間柄の家のお招きに応じたことはあれども、王家からの招待など初めてで、皆一様に緊張していた。
当時のドロシーも例に漏れず、ひどく緊張していた。何か失敗したらどうしようと、王宮に向かう馬車の中でも落ち着かなかった。母からは「ドロシーなら大丈夫」と、太鼓判をもらっていたが、不安の方が大きかったのをよく覚えている。
馬車から降りた後は同じ年頃の子どもばかりの待合室に入る。このときにはすでに極限まで緊張しており、知り合いを探す余裕もなく案内された椅子に座っていた。そして定刻となり、テラスに向かう途中の廊下である。ドロシーは何もないその廊下で転んだのだった。
最初は痛いと思ったが、すぐにどうしようという不安が勝った。床に這いつくばるドロシーを見て笑う声が聞こえたような気がしてくるし、そう思うと情けなくて涙が出そうになってくるし、立ち上がることができずにいた所に、冒頭の光り輝くような少年が現れたのだった。
気遣わしげな表情と、柔らかな声。
ドロシーは差し出された手に自分の手を乗せて、彼のエスコートで会場に入った。
「その光る君は社交界の噂にもならないじゃない。
いつまで夢を見ているの、ドロシー。
私たちはもう17歳よ?」
友人のヘレナは、あきれたように肩をすくめた。
というのも、ドロシーはあの少年(今はもう青年になっているはず)をパーティー会場で探し続けている。ダンスの誘いを受けて見逃してはならないからと、参加はするが踊らないし積極的に会話の輪にも入らない。
これで評判の美人であれば問題は無いが、残念ながらドロシーの容姿は凡庸で、印象に残るのは父譲りの燃えるような赤毛だけである。
「お父様にも探してもらったのだけれど、見つからなくって」
「子爵もお優しすぎるのよ」
「お母様が盛り上がっているから……」
ドロシーの消え入りそうな言葉に、ヘレナは「ああ」と声になりきらない声を漏らした。
ドロシーの母、フェリシティは夢見がちな女性である。その雰囲気と容貌とが相まって、社交界の妖精と噂された人物である。その妖精さんにそっくりなのは弟のヒューであり、ドロシーは完全に父親似である。
父ジェフリーはそんな妖精さんに心奪われ、フェリシティの方も恋に落ちてくれたという珍しい恋愛結婚を果たした男である。ドロシーの窮地を救ってくれた小さな騎士様に一番盛り上がっているのはフェリシティであり、彼女の願いは何でも叶えたいジェフリーは、居るのかどうか分からない光る君を探しているという訳である。
ヘレナが帰ったあと、ドロシーは鏡に映る自分の顔を見てげんなりした。
(貧相な女)
母に似たのは白い肌だけで、脂肪がつきにくいのか厚みのない体。顔も凡庸で、赤毛以外の印象は無いに等しい。もし自分に母のような美しい容貌があったなら、期待してしまったかもしれない。自分をきっと見つけてくれるかもしれない、と。
(成長されたあの方の隣には、きっと素敵な女性がいるはず。
普通はこの年まで婚約者すらいない状態の方が異常なんだもの)
そろそろ潮時なのだ。そんな憂鬱な気持ちのまま、翌日は従姉の婚約を祝うパーティーに参加することになった。パーティーには顔を出しつつも非社交的なドロシーとは対照的に、従姉は社交的で顔が広い。同世代の友人も多いので、光る君を探すには良い場になると思い、以前から出席の返事を出していた。
弟ヒューのエスコートで会場入りし、挨拶を済ませる。会場をぐるりと見渡してみるが、光り輝くような貴公子はいない。しょんぼりしながら、人目につかなさそうな隅っこで壁にもたれて休む。ヒューは早々に友人のグループを見つけてそちらに合流したので、あとは時間を潰して帰りの時間を待つばかりである。
(やっぱり、無理よね)
一人で静かにしていると、考え事以外にすることがない。見える範囲でずっと光る君を探すが、今までずっと見つからないので、今回も同じだろう。
「こちらにおられましたか」
その視界を遮ったのは、夜の闇のような黒髪の騎士様である。このパーシバル・オークリッジという男は、兄が病弱なタイプであったため、辺境伯家の次男でありながら数年前に後継に指名された。神は彼に才覚と恵まれた体躯に加えて、甘いマスクではなく精悍で険しい顔を授けたために、社交界のご令嬢らからは少し遠巻きにされている。そのため、会の種類によっては壁の花を決め込むドロシーと同じく壁際で時間を潰している事も多い。お互いに見つければ言葉を交わす程度には顔見知りになった。
今回もパーシバルはドロシーの隣に並んで腕を組んだ。肘の高さはドロシーの肩ぐらいまでもある。
「いつもお声掛けいただきますが、近衛隊を目指す男性陣に恨まれてしまいますわ」
「もう近々、私にはコネが無くなりますからね。
貴女が恨まれる筋合いは無いし、皆耳が早いから今日は随分静かだ」
ドロシーがパーシバルをみあげると、彼は会場の方を向いてニヤニヤと笑っていた。
「お家を継がれるのですね」
「ええ、来年にはお披露目になるかと。
その前に近衛隊は退職です」
家を継ぐべき男児が近衛隊というのもおかしいが、近衛隊に入ったあとの功績により跡継ぎに指名されたので、入隊が先である。
「おめでとうございます」
ドロシーが言祝ぐと、パーシバルは照れたように頭をかきながら「ありがとう」と小さい声で言った。
「こんなに美しい壁の華を残していくのが心残りですが」
真面目な調子の冗談に、ドロシーは吹き出してしまった。
「お優しいお言葉ですわ。
でも、ええ、そろそろ私も潮時なのです」
「ご結婚ですか」
「お相手探しからですが」
パーシバルは驚いたような顔でドロシーを見下ろした。
「最近、貴女を放置してお仲間とつるんでいる彼は」
「弟のヒューと申します」
あまり似ていない姉と弟である。
「……大変な失礼を」
「デビューしたてですし、まだ子ども気分も抜けきらないのです。
どうぞ、お見知り置きくださいませ」
人間関係に疎すぎないか、と思うと同時に、オークリッジ家程にもなると、直接関わりのないマーシャル家程度の家には興味も無いのかもしれない。
「弟のためにも、私も遊んでばかりではいけないとようやく決心がつきました」
ドロシーが苦笑混じりに言うと、パーシバルは難しい顔で「そうでしたか」と頷いた。婚約者もいないヤバい女とは思っていなかったのだから、そんな顔にもなるだろう。
この険しい顔のパーシバルと、壁際で話すことも無くなると思うと少し寂しくなる。
そのパーティーからさらに一ヶ月ほどダラダラとして、ドロシーはようやく諦めるという決意を行動に移した。言い訳をすると、父が出張のためにしばらく屋敷を空けていたためである。戻った2日後には部屋を訪れたので、決して渋っていた訳ではない。
「お父様、折入ってお話が」
父の書斎を訪ねると、ジェフリーはパイプをふかしながら書類に目を通していた。
「どうした、ドリィ。
浮かない顔をして」
ジェフリーは娘の来訪を単純に喜んで、メイドにお茶の用意をさせて下がらせた。
「私の嫁ぎ先のお話なのですけれど……」
ドロシーが切り出すと、ジェフリーは悲しそうな顔をした。
「その件なんだが――…」
「お母様が悲しむかもしれませんが、適当なお相手を探していただきたいのです。
私もいつまでも夢ばかり見てられませんから」
こんなに父は表情豊かだったかしら、とドロシーが思うほど、父は心底悲しそうな顔をした。
「フェリだけでなく、ドリィの夢も叶えてやりたかったのだが……。
そうだね、そろそろ潮時かもしれない」
しょぼくれて小さくなった父は、力なく微笑んだ。
「すまないね、ドリィ」
「いえ、お父様とお母様に甘え続けてしまったのは私です」
ドロシーの言葉に、父は頭をかきながらデスクの引き出しから一枚の手紙を出した。
「実は、少し前にオークリッジ辺境伯家から婚約というか……お見合いのお申し出があってね。
少し妙だったから返信が遅れていたのだけれど」
「妙、ですか。
開けても?」
父が頷いたので、ドロシーは手紙を開いた。送り主は現当主で、便箋には角張った力強い字が並んでいた。内容は、パーシバルとぜひ一度お会いしていただきたい。一度お話してみて、話を進めるかどうかはそこから相談したい、というようなものである。
「オークリッジ辺境伯家といえば……」
「王国の盾と呼ばれて、隣国との国境を堅守し続けている歴史あるお家だね。
もうすぐ代替わりして、パーシバル様がご当主になられる」
壁際で人の悪い笑みを浮かべるパーシバルを思い出すと、この申し出には驚きと疑問の方が大きい。
しかし、これがドロシーにとって最後の良縁かもしれない。年齢から考えて、ドロシーと釣り合いが取れるのはもはや婚約ではなく結婚の年頃の若者だ。その世代で相手が定まっていないのは、余程の不良品か金銭的に不遇か、何かしら問題を抱えていることがほとんどである。今から探しても、普通に考えればそこそこの相手を見繕うのが限界である。
「相談、とあるのは破談の可能性も?」
「そうだね。
パーシバル卿が前向きで、ご当主は乗り気ではないのかもしれない。
あるいは、逆か。
どちらなせよ、こちらとしては好条件だからお会いするくらいどうだろうかと」
オークリッジ家は交易でもかなりの利益を上げているらしく、羽振りがよいことも評判である。マーシャル子爵家としては、金銭面でも家格の面でも、オークリッジ家とは不釣り合い極まりない。
「そうですね、お会いします」
ドロシーがそう言うと、父はやっと明るい顔になった。
「無理はしなくて良いからね。
辺境伯家もあまり期待していなさそうな文面だから」
そう言ってくれたジェフリーだったが、おそらくすぐに返信を出し、話をした数日後には予定の確認がなされた。
「再来週末、パーシバル卿がおいでになるからそのつもりで」
ジェフリーからその話を聞いたフェリシティは、なぜかニコニコ顔で頷いていた。その一方で、弟のヒューは母を冷めた目で見ていた。また変な事をしていると思っていたのかもしれない。
そして問題の日、ドロシーは母が選んでくれたドレスでお出迎えすることになった。髪はメイドらが腕によりをかけて美しく整えられ、装飾品が盛られている。マーシャル家の精一杯である。
フェリシティも同席したいと申し出たが、話がややこしくなるかもしれないという父の判断で叔母の茶会に送り出された。光る君に一番執着があるのは母である。ヒューにはその母をひきずっていくという任務が与えられた。
立派な馬車が時間どおりにマーシャル家の前に停まり、髪も服も真っ黒な男性が降りてきた。険しい表情だったが、出迎えを見つけたからか引き締まった表情程度まで険しさを引っ込めた。
(そんなお顔をなさってまで、なぜいらしたのかしら)
ドロシーはお断りのお返事を頂戴することを、この時点で確信した。
「本日はご面倒をおかけして申し訳ありません。
パーシバル・オークリッジと申します」
別に小柄でもない父の前に立つと、更にパーシバルの長身が目立つ。横柄な態度も許される格差であるが、パーシバルは謙虚な姿勢で対応しているので大きな体が少し小さく見える。
「オークリッジ家のご依頼に否やはございません。
これは、娘のドロシーです」
「この前のパーティーでは、お声掛けいただきありがとうございました」
ドロシーは挨拶して、便宜上辺境伯の鼻頭あたりに視線を置いた。
「いえ、こちらこそ。
お忙しい中お時間を賜りまして、感謝いたします」
恐縮しきり、といった雰囲気のパーシバルに、ジェフリーが笑みを浮かべる。
「パーシバル卿をお招きすることができ、マーシャル家といたしましても僥倖にございます」
ジェフリーの歓迎する様子と台詞に、パーシバルの口元が少しだけ緩んだ。
散策するほど広く、手入れの行き届いた庭もないので、庭に面した応接室にお通しする。メイドのお茶の準備も終わらぬうちに、ジェフリーが口を開いた。
「早速ですが、まずは今回のお話ですが……」
パーシバルはちら、とドロシーを見た。別に気にしてくれなくていいのにと思ったが、そんな事を言える立場ではない。
「ドロシー嬢と、きちんと時間をとってお話ししたいと思い父に願い出ました。
付き合いのある家でもありませんし、急なお話で驚かせてしまい申し訳ありません」
想定外の言葉にドロシーがジェフリーの方を見ると、ジェフリーもドロシーの方を見ていたので目が合った。
「では、婚約のお申し出という訳では」
「できればそうなりたいと思っております。
ですが、ドロシー嬢のお気持ちを優先したいと考えております。
ずっと、一方的に親近感を感じておりましたもので」
どのあたりにか、詳しく教えて欲しい。才能も地位も持ち合わせている男と、ドロシーのどこが近いのか。
「オークリッジ家と当家では、釣り合いを取るのは難しいのではありませんか?」
「信頼のおける方であれば、かなり広い範囲で自由にと言われております。
少し、ドロシー嬢とお話しても?」
にっこりと、笑顔ではあるものの有無を言わさぬ圧力を出しながらパーシバルが言うので、ジェフリーは「もちろんどうぞ」と、口をつぐんだ。
「ドロシー嬢。
言いにくければそう仰って頂いて構いませんが、社交の場で壁の花を貫く理由をお伺いしてもよろしいですか?」
辺境伯夫人としての資質として、社交できない嫁というのは中々厳しかろう。この質問は、口で何と言おうとも、きっとそれを確認するためのものだ。
ドロシーはだんだんと惨めな気持ちになってきた。パーシバルは何を思って見合いの話を当主に話したのか知らないが、格の違いをまざまざと見せつけられている気分である。恥ずかしく、情けなく、そして少なからず腹立たしい。
(辺境伯家として断る口実ならいくらでもありますもの)
そんな投げやりな気持ちで、「実は」と口を開いた。
「昔、人前で転んでしまったのです。
親切な方に助けて頂いて、今から思うと、年齢的にも大したことのない事故であったと思います」
パーシバルの視線がまっすぐに突き刺さるので居心地が悪い。いつもは横並びで話すので、正面に座ると視線が痛い。
「それは大変な思いをされましたね」
気遣うような雰囲気になってしまったので、努めて明るく対応しなければ変な空気になってしまう。
「本当に大したことはなく、そのことで何か言う人はおりません。
私はその方に一言お礼申し上げたい一心でお探ししてまいりました。
気が動転して、お名前を伺うことすら失念しておりましたから。
父にもお願いし探しておておりましたが、ご縁もなく。
明るい性質でもございませんので、なるべくして壁の華をしておりました」
「そういえば、子爵が人を探しておられる話は耳にしたことがありますが……」
驚いた様子のパーシバルの顔を見て、ドロシーは内心ほくそ笑む。婚約者もいない、社交性もない、壁の華のドロシー・マーシャル。それが世間の評価であるし、事実である。
「今回は本当に身に余るお話でした。
でも、私自身の価値を考えると、やはり身の程を弁えたお相手を探すべきだと再認識いたしましたわ」
父をちらと見ると、頷いて言葉を継いでくれた。
「こうしてお話できる時間を頂戴できただけでも、当家にとっては過分な待遇で感謝しております。
ですが、やはりドロシーには荷が重そうです。
ご当主にはこちらからお詫びを――…」
誰もが分かるお断りの言葉を、パーシバルは「お待ちください」と真剣な顔で遮った。
「もし差支え無ければ、再来週もう一度お時間を頂戴したい」
突然の申し出とその勢いに、ドロシーは父の反応をうかがった。ジェフリーも驚いた様子だが、困惑を隠さない。
「ドロシーはどこに出しても恥ずかしくない、大切な可愛い娘です。
私は、歴史も浅い当家の繁栄よりも、娘の幸せを願っています」
はっきりとそう言い切ってくれたジェフリーに、感謝で涙が出そうだった。
「家のことは調整いたします。
私の想定が諸々甘かったと申し上げる他ない。
今一度、挽回のチャンスをいただきたい」
パーシバルが至極真面目な顔で言うので、断れる訳もなく、2週間後に次を約束してしまった。そこから話が盛り上がることもなく、大した話もしないまま、パーシバルは屋敷を出た。走り去る豪華な馬車を見送りながら、ドロシーとジェフリーはどちらからともなくため息をついた。
「お父様、パーシバル卿は何をお考えなのでしょうか」
馬車が去った方角を見ながら、ドロシーは父に質問した。2週間で何が変わるのか。
「さて、ねえ。
悪い方では無さそうだけど、辺境伯家はドリィには辛そうだね。
他の方も探しておくから心配いらないよ」
そう言ってくれたので、信じて待つことにする。
とはいえ、話をくれたオークリッジ家以外に、探すとなると一苦労である。父はどうも、ドロシーの幸せを願ってくれているので、難航するに違いない。
それが分かっているからこそ、二人して精神的な疲労からぐったりとしているところへ母が帰ってきた。
「きっと、光る君が見つかるわ」
母はニコニコと笑って言うが、どこをどう探すなどという現実的な話は無い。
「また適当な事を言って」
ヒューはそんな母に冷たい。会話が得意であれば、このヒューの発言も上手くいなせたのかもしれないと、少しだけ思う。
そうして2週間が経ち、ドロシーは再び母の見立てで飾り立てられ、その母はお茶会に送り出され、父と2人でパーシバルの出迎えに立った。
豪華な馬車が屋敷の前に停まり、中からは前と同じく真っ黒なパーシバルが降りてきた。前と違うのは、彼の後から侍従と思しき若者が出てきたことである。
「再度お時間を作っていただき、ありがとうございます」
やはり険しい顔のパーシバルとは対照的に、侍従はニコニコ顔である。
「未来のオークリッジ辺境伯のご依頼とあらば」
ジェフリーはそう返事していたが、正直なところ無駄な時間のような気がしてならない。
前回と同じように応接室で席につく。侍従はパーシバルの近くで待機しているが、窓の外に気を取られているのかそちらを見ている。気もそぞろな侍従というものを、ドロシーは初めて見た。
「早速ですが、ご覧いただきたいものがございます。
スタンリー、頼む」
話を切り出したパーシバルに、侍従はニコニコしたまま頷いた。そして、ソファに座って目を瞑るパーシバルの肩に手を置いて、何事か念じ始めた。
変化はすぐに現れた。夜の闇のようなパーシバルの黒髪が、末端か徐々に色を失っていく。変化が半分くらい完了したところで、色を失ったのではなく鮮やかな金色に変わっていたのだと気づいた。
「お父様」
「“妖精の贈物”か、凄いな」
時折、普通の人間にはない能力を持つ人が現れるが、それを“妖精の贈物”か、単に“贈物”と呼ぶ。滅多にいないし、その贈物が有益な能力とも限らないし、命を狙われる要因になりかねない。そのため、贈物を持つことを大っぴらにしている人は、貴族や平民の別なく殆どいない。
全ての色が変わり、スタンリーが「終わりました」とパーシバルに告げる。その言葉に目を開いたパーシバルを見て、ドロシーは驚いた。
(あの時の)
きらきらと陽光を弾く鮮やかな金髪と、それき負けず劣らずきらきらと輝くサファイアのような青い瞳。
パーシバルは立ち上がり、スタンリーを座らせた。パーシバルにばかり気を取られていたが、顔色が非常に悪く、苦しげな顔をしている。
「改めまして、パーシバル・オークリッジと申します。
子爵と、ドロシー嬢が探しておられたのは、こういう男ではありませんか?」
「あの日の茶会の出席者にパーシバル卿もおられたと記録で見ておりましたが、まさか、こんな」
ジェフリーも言葉を探しているが、パーシバルは苦笑した。
「知らぬ間に手間をおかけしたこと、お詫び申し上げます。
あのすぐ後から、兄の代わりに色々な席に出席し始めたのですが、その頃は身体も小さく、それ故の苦労も多くございました。
威圧的な雰囲気を作るために、この辺りでは珍しい黒髪に変えて過ごして参りました。
スタンリーに変えてもらうと、染色と違い伸びても黒いままなのです」
もう不要では、と少し思う。パーティー会場でも目立つほど背も高く、険しい表情は肩書も加わって十分以上に威圧的である。
「それは……ご苦労なさったのですね」
ドロシーの言葉に、パーシバルは笑った。
「根性の無い輩を遠ざけるには最適です。
加えて、見た目や肩書で近づいたり逃げ出したりしない、ドロシー嬢も見つかりました。
お釣りが来る程ですよ」
パーシバルの照れたような顔は初めて見る気がする。
「社交は一族の協力が得られることとなりました。
持参金については、母の輸入業の一部お手伝いいただくことを条件にこちらで負担いたします。
事業継承も視野に入れてのお話ですから、決して悪い話ではないかと」
パーシバルの言葉に、父が生唾を飲み込む。交易で栄えるオークリッジの新規事業に関わりたい人間はいくらでもいる。
「――…過分な条件に思われますが」
「産んだ子が男ばかりだった母の道楽です。
マーシャル夫人とは親しい付き合いをさせていただいていた時期があるようで、その娘であるドロシー嬢ならばと前のめりで」
婚姻における、おそらく最大のハードルと目される嫁姑問題もクリアできるらしい。あとは恐れることなくパーシバルの胸に飛び込むだけ、と言えるが、さすがに好条件すぎて躊躇われる。
(本当に私で良いのかしら?)
妖精そのもののような母とはまるで違う、貧相なドロシーなのに?お断りの返事を止めてまで、再度お越しいただいた労力に見合うかどうか怪しいのに?
「ドロシー嬢。
前回も今回も、私はただ、貴女のお気持ちが知りたいのです。
どのような返答でもかまいません。
私と結婚していただけませんか?」
そう言って差し出されたパーシバルの手に、ドロシーはちらとジェフリーを見た。父はドロシーを見て、微笑んで頷いた。
「――…私、ドロシー・マーシャルは、パーシバル様の求婚をお受けいたします」
ドロシーの返事に、パーシバルは目を見開いて、嬉しそうに頬が緩むのをなんとか我慢しているようだった。
「ひとつ、申し上げますけれど」
パーシバルの目を覗き込む。青くて、あのときと同じように輝くサファイアのような瞳。鮮やかな金髪は、今は撫でつけられている。昔は人形のようなかわいらしさだったが、今は意志の強そうな、ドロシーが知るパーシバルその人である。
「私を助けて下さった少年ではなくて、パーティー会場の隅っこから動かない私に話しかけて下さった騎士様だからこそ、このお話をお受けしたいと――…」
我慢の限界がきたのか、パーシバルは「ありがとう」と満面の笑みを浮かべていた。
その日は、椅子でぐったりしているスタンリーのためにお開きになった。父はオークリッジ辺境伯宛に、前向きに話を進めたいという手紙をその場でしたためた。パーシバルはそれを大事そうに懐に入れて、ぐったりしているスタンリーを介助しながら馬車に乗った。
帰ってきた母に報告すると、嬉しそうに開口一番「やっぱり」と言った。もちろんそれ以上にお祝いの言葉をもらったが、最初の言葉が気になる。
「お母様も贈物をお持ちなのですか?」
ドロシーはその質問を父と二人のときに投げかけてみた。
「私の愛しい妻で、ドロシーとヒューの母。
それで良いだろう?」
父からはそんな返事が返って来た。
ヒューからは普通に祝福の言葉をもらった。あまりパーシバルについて話したことが無かったので知らなかったが、憧れの人であり、パーティー会場で親しげに談笑するドロシーを羨ましく思うと同時に、畏れ多くて近寄るのも憚られていたらしい。
「騎士としても素晴らしい方なんだ。
辺境伯ともなると更に遠い方になると思っていたのに、まさか、義理の兄になるなんて」
興奮気味のヒューを見たのは随分久しぶりで、少し嬉しくなってしまった。
もちろん友人のヘレナにも報告した。わが事のように喜んでくれたのが嬉しい。結婚後も変わらず友人で居てほしいと、遠慮されてしまいそうな雰囲気を遮ってお願いした。
「私のたった一人の友人だから……!」
ドロシーがそう言うと、ヘレナは苦笑した。
「ありがとう、ドロシー。
私にとっても、貴女は大切な友達よ。
だから、そんな顔しないで。
私だってドロシーが辺境伯夫人って言われると、緊張しちゃうのに」
そう言って笑ってくれたので、本当に良かった。結婚で大切な友人を失う訳にはいかない。
それから、辺境伯のお招きで、両家顔合わせの場が設けられた。パーシバルが言っていたとおり、母親らは旧知の間柄であるらしく、親しげに話していた。父の方も仕事の関係か面識があったようで、和やかな雰囲気で会話している。
「愚息は堅物に育ってしまったので、心配しておりました。
ですが、こんなに可愛らしい方を当家に迎える事ができて、安心いたしましたよ」
パーシバルによく似た辺境伯は、終始ニコニコと微笑んでいる。
「至らぬ娘ではありますが」
「ご謙遜を。
ドロシー嬢の名前が出たときには、嬉しく思ったものです。
それに、マーシャル子爵ほど職責に忠実な方は滅多におりませんから、ご縁ができて嬉しい限りです」
辺境伯の言葉に、夫人が同意するように頷いた。
「息子もドロシー嬢に関してだけ、どうも後手後手に回ってしまって。
いや、お恥ずかしい。
やきもきしていましたが、まとまって本当に良かった」
「父上」
パーシバルは険しい顔で割って入ったが、当然ながら辺境伯はどこ吹く風である。
「パーシバル様は昔から素晴らしい方です」
ドロシーがそう言うと、両親も辺境伯夫妻も嬉しそうに微笑んでいたが、パーシバルだけは顔を赤くして険しい顔をしていた。
顔合わせも終始和やかに終わり、挙式の準備が進められていく。オークリッジ辺境伯領で一番格式の高い教会で関係者を多数集める式の準備は、いくらでもやることが湧いてくる。その点、姑である辺境伯夫人が強力に支援して下さるのがありがたい。
耳目を集めやすいウエディングドレスは流行りのデザイナーのものではなく、辺境伯家が昔から懇意にしている老舗に依頼することとなった。辺境伯家の威信を知らしめるような、そして歴史ある老舗の底力を見せつけるような、豪奢なものが完成した。ドレスの格に負けそうだとドロシーは恐ろしくなったが、辺境伯夫人曰く、「ドレスは鎧」らしい。ほっそりとしたドロシーのシルエットを美しく見せるための技術が随所が見て取れ、トレーンには目眩がするほど精緻な刺繍が施されている。
合わせる宝石は、パーシバルの祖母も結婚式で身につけたという歴史のあるダイヤモンドのセットである。ドレスとともに試着してみると、このアクセサリーの方にドレスを合わせたのではないかと思われるほどしっくり馴染んでいた。
ドレスが最終調整に入る頃には、社交界にドロシーとパーシバルの婚約の噂はしっかりと広まった。広まりはしたものの、話題をさらう程でもなく、厳ついオークリッジ辺境伯の次期当主と、壁の花を貫いていた変わり者の令嬢が婚約したらしい、という程度である。
その程度の盛り上がりであっても、パーティー会場で親しげに声をかけてくる人が増えた。パーシバルのエスコートのときはパーシバルが対応してくれるが、女性ばかりの茶会ではそうもいかない。
そういうときはオークリッジ家に縁のある方々や、ヘレナが助けてくれた。特にヘレナはその行動のおかげで、オークリッジ辺境伯夫妻に親しい友人として名前を出したときも好意的な反応が得られた。たった一人の友人は失わずに済みそうだ。
「私で本当に大丈夫なのかしら」
辺境伯夫人、母、ドロシーの三人で結婚式の打ち合わせをしているときに、不安な胸の内を明かすと二人には笑われた。
「パーシバルに言っておしまいなさい。
きっと貴女が逆に落ち着いてしまうくらい取り乱すと思うから」
辺境伯夫人はそう言ってニヤリと笑っていた。さすがにパーシバルに言うことはできなかったが。
その後もバタバタと忙しなく準備が進み、結婚式当日となった。ドロシーはウエディングドレスに身を包み、ドレスに合わせた髪に整えて貰った。辺境伯家の腕利きのメイドらの総力を結集した出来栄えに不満は全く無いが、鏡に映るドロシー自身は、それらに対して余りにも貧相で恥ずかしくなる。
「綺麗よ、ドロシー。
私の可愛い自慢の娘」
ドロシーにヴェールをかけながら、母は少し目を潤ませながらそう言ってくれた。
「本当に?」
「ええ、本当に。
連れて帰りたいくらい」
そんな冗談を言ってくれて、笑ってしまった。それで、少しだけ緊張がほぐれた。
辺境伯領の教会のホールに入ると、かなり大きなホールの席にぎっしりと人が詰まっていた。
「ああ……このまま家に帰りたいな」
ぼやくように、小さい声で囁いた父の声に頬が緩む。
「お母様も同じようなことを」
「当然だよ。
可愛いドリィが嫁ぐのは、もう少し先だと思っていたから」
そんな事を言って大きなため息をついた父のエスコートでホールを進む。その先に居るのは、いつもどおりの黒髪を撫でつけたパーシバルである。
一歩一歩バージンロードを進むあいだ、煩いくらいに心臓がバクバクと脈打っていた。ウエディングドレス姿はまだ、パーシバルには見せていない。がっかりさせるのではないか、という心配が一歩一歩大きくなる。
パーシバルが待つ場所まで着いて、父が「よろしく頼むよ」と言った。ヴェールの向こうで、表情まではよく見えないが、パーシバルの動きはぎこちない。
「パーシバル様?」
「――…いや、すまない、あまりに美しいから」
珍しく動揺している様子がおかしい。父が「そうだろう」と、胸を張っている。
「手を」
父の冗談で緊張がほぐれたのか、パーシバルは少し声が落ち着いた。
「はい」
パーシバルの腕に手を添える。まだ少し緊張するが、隣にいるのがパーシバルであれば何があっても大丈夫、という幸せな気持ちでドロシーは一歩を踏み出したのだった。




