1話 アナベルとエリックの婚約事情
私、アナベル・ベルトラン子爵令嬢は転生者だ。小説『聖女はドアマットを許さない』の世界に生まれ変わった。
難病【魔炎病】が完治したと同時に前世の記憶を思い出したり、同じ転生者である聖騎士エリック・ルグラン様と出会ったり、ルグラン様から騙し討ちでプロポーズされてから一カ月が経った。
晩春の昼下がり。爽やかな風と共に窓から入ってくる陽光が心地いい。私が着る生成色のワンピースが、柔らかに光を弾く。
ここは、ベルトラン子爵家内にある図書室だ。規模こそ大きくないけど、蔵書が充実している。読書と勉強にもってこいの場所。
私は、机の上に広げた歴史書と法律書と向き合っていた。納得して頷く。
「へー。こんな事件があったから、未成年者の労働を禁じる法はないけど、領地経営を禁じる法があるんだ。ひどい話だね」
「全くだ。まさか『領地経営の失策や不正を押し付けるため、私生児を領主代行に指名するのが横行した』なんてな。俺も、初めて知った時は驚いたよ」
隣に座っているルグラン様も頷く。
騎士服ではない。帯剣はしているけど、シンプルな青いシャツに黒いベストと茶色いズボンだ。ラフな私服だからかいつもより若く……は、見えない。
相変わらず肉体年齢17歳とは思えない落ち着きだ。まあ、中身は私と同じアラフォーだし、頼もしくて素敵だけど。
つい見つめてしまう。あ。顔が近づいてき……。
「ゴホン!ゴホン!」
パッと、お互いの顔が離れる。咳払いの主は、図書室の隅にいる侍女だ。私の専属侍女の一人で、青髪の下から覗く眼差しは鋭い。
『近づき過ぎです。節度を保って下さい』という意味だろう。
ルグラン様は、苦虫を潰したみたいな顔になった。
「……早く君と婚約したい」
「法律が許さないから無理」
そう。私とルグラン様の婚約は、まだ成立していないのだ。
この国の貴族令嬢令息の婚約は、貴族家当主が決定権を持つ。
当主が相手を選ぶか相手との婚約を認め、相手の家の当主と持参金の額や事業提携などの条件を話し合う。
無事に合意を結べたら、婚約の仮誓約書を作成し、貴族院に提出する。
審査を経て国王陛下からの認可を受ければ、貴族院が作成した婚約誓約書が発行され、当主と婚約者たちがサインすることで、ようやく婚約成立となる。
ルグラン様は問題ない。ルグラン騎士爵家の当主でもあるので、自分で自分の婚約を決めれるし、仮誓約書も作成できる。
問題は私だ。
ベルトラン子爵家当主は、一応お父様だ。捕まっているので手続きなんて出来ない。捕まってなくても出来るか怪しいけど……。
私がプロポーズを受けたあの日。マルグリットお姉様は、すぐに役人様がたに相談してくれた。
◆◆◆◆◆
「アナベルとルグラン様の婚約の件、どうにか出来ないか相談してみるわ」
貴族院から派遣された役人一行のうち、一部が残った。子爵領の監査と領地経営の補佐をする監査官たちだ。
お姉様は彼らに相談すると言って席を外した。すぐに、私とルグラン様も呼び出された。
場所は子爵家領主の執務室だ。中に入ると、しょんぼりした顔で立ち尽くすお姉様と目が合う。
どうしたのか聞く前に、役人様がたが私たちにソファをすすめた。
お姉様、私、ルグラン様の順に応接スペースのソファに座る。テーブルを挟んで向かいに座るのは、三人の監査官だ。
真ん中に座る渋かっこいい壮年男性はドゴール様。他の二人の上司にあたり、監査隊長と呼ばれている。
その両脇に座る若い男女は部下で、優しい印象の男性はジャコブ監査官様、凛とした印象の女性はモロー監査官様という。
全員、鋭い眼光でこちらを見た。ドゴール監査隊長の低い声が響く。
「アナベル嬢、婚約している場合か。まだ裁判すら始まっていないのだぞ」
ひえー!明らかに怒ってる!
取調べの時は3人とも物腰柔らかだったのに!今は威圧感がすごい!怖い!
私は思わずソファの上で正座しかけた。
ジャコブ監査官様は、朗らかなのに目が笑っていない笑顔を浮かべた。
「隊長の言う通りだよ。君たち姉妹は罪に問われない見込みだけど、判決はまだおりてない」
「ええ。ベルトラン子爵家と子爵領を今後についても、審議中です。この事件は、それだけ悪質ですから」
「事件が公表されれば、君たちは国中から注目されるだろう。
領主が、未成年者に領地経営を押し付けて逮捕されるのは100年以上ぶりだからな」
この法律は、半ば形骸化していたそう。
だから、貴族でない使用人と領民たちは法律の存在を知らなかった。
なお、存在を知っている貴族の使用人たちも『まさか貴族院からの許可を得てないとは思わなかった』らしい。
『流石にそこまで馬鹿とは信じたくなかった』が、本音かもだけど。
後は、もともとベルトラン子爵領の監査を担当していた役人が、賄賂を掴まされて見逃していたのも大きかったとか。
もちろん役人は捕まった。私は改めて、両親はとんでもない罪を犯したのだと知った。
「もちろん君たちに罪はない。とはいえ、罪を犯したのは実の親だ。『このような事件が起きたというのに婚約するなど不謹慎だ』『結婚して籍を抜き、親の罪から逃れる気だ』などと、社交界から反感を買う恐れもある」
言われてみればその通りだ。
自分の考えの至らなさに恥ずかしくなる。しかも、お叱りの対象は私だけじゃなかった。
「マルグリット嬢。どうして、僕たちに報告も相談もなく、ルグラン卿がアナベル嬢に求婚することを許したのかな?」
「そうです。現在、ベルトラン子爵家と子爵領の運営の代行権を持つのは、私たち監査官です。貴女はルグラン卿の申し出を受けた段階で、速やかに報告すべきでした」
「君は、何もかも自分で抱える癖があるな。今までの環境のせいだろうが、いずれ破綻してしまうぞ。
ルグラン卿も、状況を考えて行動してもらいたい。卿は、騎士としては優秀なのだろうが、貴族家当主としてはあまりに配慮がない」
「貴女たちが今すべきなのは、判決まで待機していることと、学ぶ事です。
特にアナベル嬢」
「ひゃい!」
「なんですか。その返事は。貴女の淑女教育は基礎の基礎で終わっています。
婚約の前に学びなさい」
「はい。ごもっともです……」
私がまともに教育されていたのは7歳まで。この世界の知識は小説で読んで知っているけど、知識量はほんの一握りだ。
その証拠に、私はつい最近まで貴族なら誰でも知ってる『未成年は領地経営をしてはならない』という法律を知らなかったのだから。
「お待ちください。お言葉はごもっともです。ですが、私がアナベル嬢に求婚したのは、彼女とお義姉様の後ろ盾になるためでもあるのです。仮誓約書だけでも作成して頂けないでしょうか?」
しょんぼりしていたら、ルグラン様が交渉を始めた。しかし、役人様がたの反応は悪い。
「現段階での婚約は、不利益の方が多過ぎる。却下だ」
その後も食い下がったけど、無理だった。というか全て正論で叩き潰された。
「ごめんなさいアナベル。貴女たちの力になれなくて……」
「お姉様、お気になさらないで。私たちの考えが浅かったせいです」
「いや、全ては先走った俺が悪い。貴族としての社交をサボってたツケだな」
つくづく思い知る。私たちはまだ未熟だ。
特に私は中途半端な知識しかない。
しょんぼりしていると、役人様がたは態度を少し和らげた。
ジャコブ監査官様が優しく目を細める。
「3人共、そんなにしょげないで。永遠に婚約するな。とは言ってないんだから。時期を選べばいいんだよ。そうですよね?監査隊長?」
「ああ。その間は、婚約者候補として交流すればいい。ついでに、アナベル嬢に勉強を教えたらどうだ?
まだ外部から教師を連れてくるのは難しい。私たちも出来るだけ時間を作って教えるが、やはり限りがある。ルグラン卿に協力いただければありがたい」
「それは良い考えですね。ルグラン卿は、教会で孤児の教育に携われていたと聞きます。淑女教育は無理でも、一般教養を教えるのは可能では?」
「いい考えだけど、ルグラン卿は聖女様の専属聖騎士だ。ベルトラン領に長く滞在するのは難しいんじゃないかな?」
ルグラン様の瞳が輝いた。
「聖女ミシエラ様付きの聖騎士は、私だけではございません。長期休暇を取るよう言われていますし、滞在できるよう交渉します」
そう。今回は私の治療のためだけだったので、同行する聖騎士はルグラン様のみ、神官様は3人だった。
普段は、5人から10人の専属聖騎士と10人以上の専属神官が同行しているそうだ。任務に対し人数が足りない場合は、専属ではない聖騎士と神官が教会から派遣される。
ちなみに神官の役割は様々で、聖女様のお世話をしたり、治癒魔法や医術を使って人を癒したり、聖騎士と共に魔法で戦ったりするそうだ。
魔獣退治と治癒の巡業は過酷なので、これくらいの人員を伴うのが普通だという。
小説とは大違いだ。
小説の聖女ミシエラ様は、色々あって人間不信だった。そのため、専属聖騎士はルグラン様だけだった。専属神官に至っては、小説シリーズの半ばでようやく出来る。
さて、現実の聖女ミシエラ様はというと。
私たちが相談に行くと、飛び上がらんばかりに喜んだ。
「エリックがベルトラン子爵家に長期滞在するのですか!なんて都合の良い展開……いえ、お二人が仲睦まじくて嬉しいです。もちろん構いませんよ」
なんだか下心を感じるけど、快く応じて頂けたからヨシ!
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