008-ミリアリアside
「やっと、ゆっくりできるわ~」
寝室に入った私──ミリアリアは、目の前にあったベッドへと身を投げ出した。
今日は何だかんだで気を遣うことばっかりだったから、無駄に肩が凝っちゃった感じがするわね。
「お疲れ様です、ミリアリア」
私のすぐ隣に腰を下ろしたのは、レイだった。
ショートカットの私とは対照的に、彼女の黒髪は腰まで届くほど長く、よく手入れされたその髪は、差し込む光を受けて静かに揺れていた。
「レイの髪って、相変わらず綺麗よね」
私は彼女の髪にそっと手を伸ばし、指先で軽く揺らしてみた。
これだけ長ければ、少しくらい絡んでもおかしくないはずなのに……驚くほどなめらかに、指が髪の間をすり抜けていく。
「気は遣ってますからね」
レイは何気ない口調でそう返した。
彼女は、私やシン、レオン、フェリスとは違って、本来は寿命に限りのある種族なのよ。
……とはいえ、不老の能力は持ってるみたいだけどね。
結局、何が言いたいかっていうと、彼女は他のメンツに比べて、手入れが甘いとすぐに身体に出やすいはずなのよ。
それでもこの美しさなんだから、大したものよね。
フェリスや私にだって引けを取らないどころか……その儚げな雰囲気が加わる分、むしろ余計に綺麗に見えるのよ。
「私も、できるかしら?」
「ミリアリアは髪が比較的短いので、そこまで気にされる必要はないかと」
「でも……レイの綺麗な髪は、ちょっと羨ましいわね」
「そこまで仰るのでしたら。私が使っているのは、旦那様に用意していただいた洗剤です。……旦那様、ミリアリアにもひとつ、お願いできますか?」
レイはそう言って、さらに隣で横になっていたシンに声をかけた。
彼は少し疲れているのか、それとも単に何も急ぐ必要がなくて、気ままに眠っているだけなのか……そのどちらなのかは、私にも判断できなかった。
「……別に構わないけどな。ただ、レイの洗剤は吸血鬼の髪には合わないかもしれない。それこそ……気休め程度で終わるかもな」
まぶたすら持ち上げずに、シンはゆるく答えた。
私はシンの星空のような瞳が好き。だからこそ、今それが見えないのが、ほんの少しだけ残念だった。
「えいっ」
「……ミリアリア?」
私はベッドの上を這うようにして、ゆっくりとシンの上に覆いかぶさった。
レイが少し怪訝そうな顔をしていたけれど、今の私にとっては、そんな視線なんてどうでもよかった。
「好きにしろ」
シンは、私が何をしようとしているのかを察したような口ぶりだった。
けれど、やっぱりあの星空のような瞳を見せてはくれなかった。……おそらく、吸血でもするつもりだろうと、勝手に思い込んでいるんでしょうね。
私は、自ら身にまとっていたドレスを音もなく消し去り、そのまま彼の上に身体を重ねた。
このドレスは、私自身の血でできているから、着るのも脱ぐのも思いのままなのよ。
「相変わらず、ミリアリアは突飛だな」
ようやく、シンがその瞳を見せてくれた。
そこに浮かんでいたのは、小さな星空。私が何より好きな、彼だけの輝きだった。
きっと彼は、茶化すつもりでそう言ったんだろうけど……私にとっては、これっぽっちも突飛なんかじゃない。
「ミリアリア、はしたないですよ」
レイがそう言いながら、私の裸の上に毛布をふわりとかけてくれた。
その毛布をどこから取り出したのかなんて、私は知らないし、正直どうでもよかった。
「レイも、来る?」
私は彼から視線を外して、レイのほうへと顔を向けた。
「私は……いえ、大丈夫です」
誘ってみたけれど、ほんの少し悩んだような素振りは見せてくれたのに、結局、やんわりと断られてしまった。
「ふふっ、大丈夫ですよ。そんなに急いで気持ちを伝えなくても」
そう言って、彼女はそっとベッドから立ち上がった。
その瞳は、とても優しかった。まるで、私の中の子どもみたいな部分を、静かに見透かされたような気がした。
「旦那様、私はお夕食の支度をしてまいります」
「……ん、楽しみにしてる」
「はいっ」
レイは寝室の扉を開け、この部屋を後にした。
シンのひと言に、あんなにも嬉しそうな声で返事をするなんて……やっぱり、彼のことが大好きなのね。
あの素直さと、まっすぐな想い。私とは違い健気さ100%の感情は、ちょっとだけ眩しく感じられた。
私の感情は、そんなに澄んだものじゃない。
熱量だけは誰にも負けないつもりだけど、清く正しく……なんてものとは、ずいぶんかけ離れてるって、自分でもわかってるわ。
「ミリアリア、随分と憂い顔をしてるな」
シンがぽつりとそう言った。──きっと、顔に出てたのね。
「……気のせいよ」
わざとそっけなく返してみせた。そんなの、かまってほしいって言ってるようなもので……自分でもわかってる。
「いつも助かってるよ」
「……そう」
「信じてないだろ」
「……信じる」
急に気持ちが沈むことって、あるのよね。
今の私はまさにそれで。ようやく、それをちゃんと自覚できたところだった。
シンが、ぎゅっと私を抱きしめてくれた。
そのぬくもりが心地よくて、つい、ふわりと微睡みに引き込まれそうになる。
「俺もレイも、愛情表現が苦手だからな」
彼は少し困ったような声で、そう呟いた。
──でも、私は彼のことをそんなふうには思っていない。
愛って、言葉や態度で示すことがすべてじゃない。
こうして、そっと抱きしめてくれるだけで。
ほんの少しでも、気持ちを伝えてくれるだけで。
本当は、それだけで十分なんだと思う。
ただ、私がそれ以上を欲しがるのは、きっと──周りの人が居なくなるのが怖いから。
「シン、好きよ」
星空みたいなその瞳を覗き込みながら、私はそっと気持ちを伝えた。
「愛しているよ」
その言葉を聞いた瞬間、私は自分が“好き”なんて軽い言葉で済ませてしまったことを、少しだけ後悔した。
「……愛してる」
私は彼の唇に、自分の赤を重ねた。
舌を絡ませて、彼の舌をゆっくりと、自分の口の中へと誘い込む。
犬歯で、ほんのわずかに彼の舌を傷つける。
そこからにじんだ、ほろ苦い味を、私はひとしずくも逃さず味わった。
彼の血を飲むたびに思う。
彼が、私なんかよりずっと強くて、ずっと遠い存在なんだって。
だからこそ、私の身体は火照り、内側から力が溢れてくる。
──でも、それは半分だけ本当。
身体が火照る理由の残り半分は、きっと……私が、どうしようもなく彼を愛してるから。
「ん……」
熱を孕んだ声が、不意に漏れた。
それが自分の声だと気づくまでに、ほんの少しだけ間があった。
熱に浮かされて、意識が霞んでいるのかもしれない。
彼の手が私の身体を優しく撫でる。
その温もりが、どれほど大切で、どれほど愛しいものか──私は、よく知っている。
触れてくれるだけでいい。
極端な愛情表現がなければ満たされないなんて、そんなことはない。
ただ、私が何も伝えなかったばかりに、相手が私を失って後悔するようなことだけは避けたい。
愛する人には、たとえ私がいなくなったとしても、私のことで後悔なんてしてほしくないの。
だから私は、今日も大切な人たちを、目の前のひとりを、全力で愛する。




