007
「良い宿が見つかった。
今から案内しようと思うが、何か問題があったりするか?」
扉を開けて現れたのは、アリステリアだった。
その申し出を断る理由はない。俺たちは素直に従うことにした。
今回のスタンピード対応に対する報酬は、“冒険者ギルドへの紹介”だったはずだが、アリステリアはその件に触れてこなかった。
おそらく、手続きや準備に多少の時間がかかるのだろう。
こちらから急かして、焦っていると取られるのも面倒だ。だから俺は、あえて何も言わずにおくことにした。
屋敷を出た俺たちは、アリステリアの先導で街の奥へと向かった。
道中、通りを行き交う武装兵や使用人の姿がちらほらと見える。スタンピードの余波が、まだ街に緊張を残している証だ。
だが、俺たちが歩く道は静かで、空気に刺々しさはなかった。
「この先にある家だ。もともとは客将や外交使節のために用意されていたが、今は空いている」
案内されたのは、街外れの閑静な一角だった。
周囲の喧騒から距離を取り、高い木々が目隠しのように立ち並ぶ敷地の奥に、一軒の屋敷が静かに佇んでいた。
“屋敷”というにはやや控えめな規模だが、建材の質や整えられた外壁、玄関まで続く石畳のアプローチなど、随所に上品さが漂っていた。
これは明らかに、客人をもてなすための造りだ。
「これは……宿というより、別荘みたいなものか?」
そう尋ねると、アリステリアはわずかに頷く。
「お前たちのような規格外の存在を、宿屋に泊めれば余計な騒ぎを生む。
加えて……礼を尽くしたかった」
その一言に、ミリアリアが「随分と殊勝ね」と小声で呟き、レイは控えめに微笑んだ。
「中はすぐに使えるよう整えてある。鍵はこの通り、自由に使ってくれて構わない」
アリステリアは懐から金属製の鍵を取り出し、俺へと差し出す。
それを受け取ると、彼女は一歩退いて言った。
「これは、ヴォルンハイム家からの、ささやかな感謝のしるしだ」
その声音には、表情こそ変わらないが、仄かに熱が宿っていた。
そう告げたあと、アリステリアはほんのわずかに視線を伏せると、静かに身を翻した。
「……では、私はこれで失礼する。用があれば、屋敷の門番に伝えてくれ」
その言葉に、俺は軽く頷いた。
「ありがたく、使わせてもらうよ」
"うむ"と短く返した彼女は、振り返ることなく一歩踏み出し──
「ああ、冒険者ギルドへの紹介状は、もう少しだけ待ってくれ」
忘れていたと言わんばかりに、肩越しに一言だけ残した。
「わかった。待ってるよ」
俺の返事を背に受けながら、アリステリアの足音は遠ざかっていった。
その背を誰も言葉にせず、ただ見送る。
だが、姿が見えなくなったあと、不思議と周囲の空気がふっとやわらいだように思えた。
鍵穴に視線を落とし、受け取った鍵をそっと差し込む。
わずかな手応えののち、扉は静かに開かれた。
中から流れ出たのは、ほんのりと冷えた、埃ひとつ感じさせない澄んだ気配だった。わずかなひんやりとした感触が、肌をかすめていく。
俺たちは、順に玄関をまたいで屋内へと足を踏み入れた。
「……おぉ。なんか、立派だな」
最初に声を上げたのはレオンだった。肩を回しながら、玄関ホールを見渡している。
内装は、質素ながらも調和のとれた意匠だった。高めの天井、深い色合いの木壁、手入れの行き届いた床板。空間全体に、落ち着いた静けさが漂っている。
「とても丁寧に整えられてます。質感がいい……」
フェリスが壁沿いの小さな飾り棚に目を留め、そっと指先をすべらせる。微かな笑みを浮かべながら、使い込まれた家具の輪郭をなぞっていた。
「お風呂、あるかな……って、あっちが浴室っぽい?」
ミリアリアは早くも並べられていたスリッパに履き替え、軽やかに廊下を進んでいく。俺の手を取ろうとしたが、レイに小突かれて止められていた。
「旦那様、こちらはキッチンのようです。……基本的な食器と調味料は、ひと通りそろっているようですね」
レイは扉をそっと開け、中をひと通り見渡すと、静かな手付きで棚の中を確認していく。
その合間に、気遣うようにこちらへと振り返り、控えめに微笑んだ。
「ここ、ずっと住めるわね。……普通の宿より、ずっと落ち着くかも」
ミリアリアは、誰よりも早くソファに腰を下ろし、背もたれに軽く寄りかかった。
脚を組んで、肘掛けに手を添える仕草は妙に様になっている。くつろぎ過ぎではあるが、まあ、彼女らしいと言えばそうだ。
「……悪くないな。いや、かなりいい」
俺はリビングの中央に立ち、室内を見渡した。
窓際には布張りのソファとローテーブル。少し離れた場所には、四人掛けの木製テーブルと椅子が置かれており、会話や軽い食事にも使えそうだ。
奥には暖炉が据えられ、廊下の先には複数の扉が等間隔に並んでいる。
家具の配置はゆったりとしていて、空間には落ち着いた余裕がある。
どこを見ても、“もてなし”を意識して整えられているのがわかった。
ひと通り室内を見て回り、この建物のおおよその構造も把握できた。 思った以上に居心地のいい場所だ。
「さて、部屋割りでもしてみるか」
俺の一言に、全員の動きが止まり、自然と視線がこちらに集まる。
「私はシンと同じ部屋がいいわ。レイもそうでしょう?」
ミリアリアが真っ先に、遠慮のない調子で希望を口にした。
「え、っと……」
レイはわかりやすくたじろぎ、視線を小さく揺らす。
「私は、レイとも一緒の部屋がいいわ」
だから、ミリアリアは言い直した。
それは、レイの戸惑いに気づいた上での、さり気ない優しさでもあった。
──こういうところを、自然にできる彼女を、好きにならないほうがおかしい。
「俺も、それがいい。レイはどうだ?」
ミリアリアに重ねるように、俺も気持ちを添えて問いかける。
「……わかりました。ぜひ、お願いします」
レイは小さく頷き、わずかに頬を染めた。
「……なあ、俺たちも同じ部屋にしないか?」
そんな様子を見ていたレオンが、隣のフェリスに控えめな調子で提案する。
「そうですね。私も、少しあてられちゃいました」
フェリスはあらあらとでも言いたげに、頬に手を当てて柔らかく微笑んだ。
「じゃあ、私たちは、三人居るから大きめの部屋……」
言いかけたミリアリアの言葉が、ふと途中で止まる。その視線はレオンへと向けられていた。
レオンは、俺が小柄なのもあるが、体格だけ見れば三倍はありそうだ。肩幅も背丈も十分にあり、その佇まいはまさに“騎士”のそれだ。
フェリスもまた、ミリアリアやレイより頭ひとつ分ほど背が高い。ふわふわした雰囲気を纏ってはいるが、実際には俺たちの中でレオンの次に背が高いのが彼女だった。
「部屋の大きさを見てから、一番いい割り振りをしよう」
俺がそう提案すると、皆が頷いた。
その後、目星をつけた扉をひとつずつ開けては、部屋の広さや形を確かめていった。
勢い任せではなく、それぞれの体格や人数、過ごし方を考慮して、最も納得のいく形を探していった。
最終的に、細長い構造の部屋をレオンとフェリスが使い、適度な広さの部屋を、俺とミリアリア、レイの三人で使うことに決まった。




