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没王のくせに、気ままに旅をします。  作者: 遥
第1章-空が広がる地上へ
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006

 外壁の上から見下ろす限り、魔物の姿はもう見えなかった。

 俺は、地上で戦っていたレオン、レイ、ミリアリアを順に転移させ、自分の傍に呼び戻した。


「手応えはどうだった?」


「んー……まあ、ダンジョンの化け物のほうが手強かったな」


 レオンがいつも通りの調子で肩をすくめる。

 まあ、そりゃそうだ。俺たちが封じられていたあのダンジョンは、神代の化け物が跳梁する異常領域だった。

 奴らは、たった一体で国を壊滅させるような存在だ。スタンピード程度と比較するのが間違いってもんだろう。


「ねえ、シン? ご褒美ちょーだい?」


 ミリアリアが、唐突に俺へと身を寄せてくる。

 そして、躊躇いなく胸元を押し当てながら、唇を重ねてきた。柔らかな吐息とともに舌を絡め、俺の口内を蹂躙するように味わっていく。


「なっ、なっ、なーっ!?」


 背後でアリステリアが声を裏返した。どうやら、こういう類のスキンシップには免疫がないらしい。


 ミリアリアは、ふふっと愉快そうに笑いながら、俺の舌に小さな牙を立てる。

 浅く、優しく──だが確かに、血を吸う。まるで、互いの存在を改めて確かめるように。


「……程々にしてくださいね」


 その様子を見ていたレイが、少し呆れたように声をかける。


「えー? なにそれ、嫉妬? うらやましーのー?」


 ミリアリアは唇を離し、にやにやと意地悪そうな笑みを浮かべてレイに向き直る。


「ええ、そうですが? 何か?」


 レイは、恥じる様子も気まずそうな気配も一切見せず、さらりと応じた。


「レイ、おいで」


 可愛いことを言う彼女を、俺はそっと手元に引き寄せ、腰に手を回した。


「……旦那様?」


「近くにいてくれてもいいだろ?」


「……それは、はい」


 レイは少し戸惑ったように視線を落とす。俺が人前で、こうして愛情を示すのは珍しいからだろう。


「レオンも、お疲れ様」


「フェリスも、支援ありがとな」


 少し離れた場所では、天使と悪魔のやり取りが見えた。

 フェリスは天使で、レオンは悪魔。相反する種族でありながら、そこに宿る愛情は、傍目にもはっきりとわかる。


「……あ、あの、シン殿。本当に……スタンピードは終わったのか?」


 気が抜けている俺たちに対し、まだ緊張を解けていないアリステリアが、戸惑いを隠せずに声をかけてきた。


 俺はレイに軽くキスをしてから、彼女へと視線を移す。


「見える範囲では、な。

 ただ、スタンピードは魔物の群れに過ぎない。すべてを倒しきれていない可能性はある」


 無責任な安心を与える必要はない。正直に話すほうがいい。


「ほ、本当に助かった……!

 この街に住む民たちに被害を出さずに済んだ。何と感謝していいか……」


 アリステリアは、丁寧に頭を下げた。その姿には、感謝の思いが滲んでいた。


「最近は、スタンピードってそんなに頻発してるのか?」


 俺の問いに、アリステリアは少し表情を曇らせる。


「……他の街や国が壊滅したという話は、よく聞く。

 私たちの街で起きたのは、今回が初めてだが」


 スタンピードが頻発する世界か。あまり健全とは言えないな。


 魔物の突然の大量発生は、世界がバランスを取るための現象だ。

 その基準は多様だが、時には“人間の数を減らすため”に発生することもある。そういう世界も、確かに存在する。


「そうなのか。

 ……それより、これなら冒険者ギルドへの招待状を書いてもらえるか?」


 俺の目的は、スタンピードの鎮圧ではない。

 アリステリアから“冒険者ギルド”への招待状を得ること。

 今の俺たちは、この世界においては身分不明の存在であり、実績によって信頼を得るしかない。


「も、もちろんだ!

 ここまで助けてもらって、約束を反故にするなんてことはありえない」


 アリステリアは、まるで「当然だろう」と言いたげに頷いた。


「……だが、貴殿には、後日あらためて我らのもとを訪ねてもらうかもしれない」


 続けて、少し思案するように眉を寄せる。


「その……あまりにも強大すぎる力を、何の対処もせず野放しにはできないからな」


「それは構わないが……タダで呼び出されるのは割に合わないな」


 俺が軽く肩をすくめると、アリステリアは少しだけ目を見開いたあと、考えるように視線を逸らした。


「貴殿たちは、宿の手配は済んでいるのか?」


「いや。そもそも、この国の硬貨すら持っていない」


「であれば、我が家で滞在先を提供しよう」


 提案というより、申し出に近い響きだった。

 客分として迎えることで、俺たちの動向を見定めたいのだろう。


 実を言えば、俺は眠ることはできるし、睡眠も取る。だがしかし、毎日必要なわけではない。

 俺たちの中で、定期的な休息が不可欠なのは、人間──ヒューマン族のレイだけだ。


「……ふむ。それなら悪くないな」


 とはいえ、レイやミリアリアと静かに過ごす時間は、俺にとって悪くないものだ。

 その時間を守るために、多少の便宜を受けるのは、十分に“釣り合う”といえる。


「では、そのような手筈でよいだろうか?」


「ああ、問題ない」


「ならば一度、屋敷へ戻ろう。宿の候補を探すための時間が欲しい」


「ああ、任せるよ」


 俺たちは、アリステリアに従ってヴォルンハイム家の屋敷へと向かった。


 街の外壁から地上へ降り、街中を進んでいくと、武装した人々の姿が目についた。

 整えられた装備に、張り詰めた表情──おそらく、スタンピード発生時に動員された防衛戦力だろう。


 すでに俺たちが殲滅した後だ。彼らの出番はなくなってしまったが、

 万が一に備えた布陣が、きちんと整っていたことは、この光景からも明らかだった。


 それはつまり、アリステリアという人物が決して慢心せず、現実的な対応で街と民を守ろうとする、誠実な指導者であることの証でもあった。


 やがて、俺たちは屋敷に辿り着いた。


 正門を抜けて館内に入ると、まだ緊張の残滓が漂っていた。

 廊下では、書簡を手にした使用人たちが慌ただしく行き交っている。スタンピードに関する報せや応対に追われているのだろう。


 無言のまま、俺たちはアリステリアの背を追って廊下を進んだ。


 両脇には、重厚な木製の扉が等間隔に並ぶ。やがて、そのひとつの前でアリステリアが立ち止まった。


「こちらだ。中で待っていてくれ」


 そう言って、彼女は扉に手をかける。

 蝶番が静かに軋み、応接室の中が露わになった。


 以前と同じ、質素ながらも重みのある空間だった。

 高い天井に灰色の石壁、中央には黒檀の長方形テーブル。

 長窓は分厚いカーテンで閉ざされ、仄暗くも静謐な空気が漂っている。


「宿の候補を手配してくる。すぐに戻る」


 そう一言だけ残して、アリステリアは扉を閉じて去っていった。


 俺たちは、それぞれ馴染んだ手付きで椅子を引いて腰を下ろす。

 レイは左に、ミリアリアは右に。フェリスとレオンは前と同じく、壁際に控えた。


 しばしの静寂が、部屋を包み込んだ。時おり、外から鳥の声が聞こえるが、それはより一層に静けさを強調していた。


 俺は背もたれに寄りかかり、少し力を抜いてリラックスした姿勢を取った。

 その様子を見ていたミリアリアが、椅子を音もなく引き寄せ、ぴたりと俺の隣まで移動してくる。

 彼女は俺の椅子に自分の椅子をくっつけると、そのまま身体をもたれかからせてきた。

 続いて、今度はレイが椅子を静かに動かし、ミリアリアの反対側から同じように寄り添ってくる。

 俺は何も言わずに、彼女たちの愛情表現を受け入れた。


 そんな戯れで、少しだけ時間が過ぎた。


 そんな静寂を破るように、俺は、少しだけ息を吸い込む。


「レオン、今回は……こんな感じで問題なかったか?」


 壁際のレオンへ声をかけた。


「うえ、なんだよ急に。俺はシン王に従うしかねえだろ?」


 レオンは肩をすくめながらも、破顔する。


「自分に従う者には、できる限り心地よくあってほしい。

 それが“王”の務めだ」


 ──もう、俺は“没王”だが。

 それでも、付き従う者を雑に扱う気はない。


「ん、いいんじゃねえの?

 俺は特に不満なんてなかったぜ」


「そうか。……フェリスは?」


 レオンの次に、フェリスへ視線を向ける。


「ありません。……あれば、ちゃんと申し上げますので」


 フェリスは小さく微笑みながら、静かに首を横に振った。


「シンは、ちょっと気にしすぎよ」


 ミリアリアが俺の様子を見て、身を乗り出すように顔を覗き込んできた。


「そうか?」


「ええ、そうよ」


 彼女はにっこりと笑って、あっさり肯定する。


「……レイはどう思う?」


 俺は反対側に座るレイへ視線を向けて問う。


「私の考えは、基本的に旦那様寄りです。

 ……会話で本心を正確に伝え合うのは難しいかもしれませんが、突き詰めることで“近づく”ことはできると思っています」


「……まあ、俺もそう思ってる」


 わざわざ言葉にするまでもないが、会話とは、そうやって互いに歩み寄るための手段だ。


「けどよ、シン王。俺たちは、基本アンタの決定に従う立場なんだ。

 だから俺がどんな顔してても、命令さえしてくれりゃ動くぜ?」


 レオンが気軽な口調で言いながら、肩をすくめる。


「……いざとなったら、そうするよ」


 没王となり、"王"の制約から解放された。でも、命令という手段が使えないわけじゃない。

 けれど、命令ではなく、願いとして言葉をかけたときに、皆が応えてくれる今のこの環境が──俺には心地よかったんだ。


「……これは、俺のエゴだ。

 けど、付き合ってくれると嬉しい」


 そう家族(なかまたち)に告げた、その瞬間だった。


 応接室の扉が、タイミングを計ったかのように音を立てて開いた。


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