005
「……」
俺は、街を囲う外壁の上に立っていた。ふと空を見上げると、少なくとも街中で歩いていた時よりは、空が近かった。
ここに居る目的はひとつ。スタンピードを鎮圧するためだ。
外壁の下から遥か彼方まで続く大地には、黒々とした魔物の群れが波のように押し寄せていた。
その数、万を軽く超えるだろう。蠢くたびに地面が鳴り、砂塵が舞い上がる。
「本当に、貴殿らだけで対処できるのか?」
背後から聞こえたアリステリアの声は、冷静を装ってはいたが、わずかに震えていた。
「問題ない。うまくいけば、俺ひとりで済む」
ただ──あれだけの数を、確実に仕留められるかは別の話だ。
「で、シン王。どうすんだ?」
隣に立つレオンが、大鎌を肩に担ぎながら笑う。
左手の盾には、俺の映す影が微かに揺れていた。
「こうする」
俺は静かに右手を掲げた。
風が止み、空気が凍る。
次の瞬間、空が、光を孕んだ氷の花園へと変貌した。
青白い光が、夜空に散る星屑のように現れ、やがてひとつひとつが鋭い氷槍へと形を変える。
幾千ものそれらは、重力を無視して宙に静止し、まるで審判を待つ刃のように整列していた。
「……ほんと、幻想的ね」
ミリアリアが、息を呑みながらつぶやいた。
彼女の瞳には、無数の氷槍が映り込み、星のように揺れていた。
「これは……最高位の魔術師でも不可能な領域だ」
アリステリアの言葉は、驚愕と畏敬をないまぜにしていた。
俺は、指を鳴らすように手を下ろした。
その瞬間、空が砕けた。
氷の槍が一斉に落ちる。
ひとつ、またひとつ、空を裂いて大地へと突き刺さっていく。
着弾のたびに凍気が弾け、爆発のような衝撃波とともに、広がる氷の華が地面を包んでいく。
魔物たちは悲鳴すら上げられずに凍りつき、次の瞬間には砕け散る。
氷柱が伸び、連鎖し、大地そのものをひとつの彫刻へと変貌させた。
「……まるで流れ星の雨ですね」
フェリスの声は、思わずこぼれた感嘆だった。
「あー……地面を見なきゃ、な」
レオンが目を逸らしながら答える。口元は笑っていたが、その視線の奥に緊張が宿っていた。
大昔の俺が今の俺を見たら、レオンと同じように恐怖と脅威を感じるだろう。
少なくとも大昔の俺は、こんな片手間にスタンピードを蹂躙することはできなかった。
「……まだ、わずかに動いている個体がいます」
レイが一歩前に出て、氷原の端を指差した。
俺は目を細める。完全に終わったわけじゃないらしい。
「……たった、一瞬で…こんなに……?」
アリステリアが小さく呟いた。信じがたいものを見るような目だった。
「まだ終わってない。
レオン、ミリアリア、レイ。残ったやつらの殲滅、任せてもいいか?」
見た目にはほぼ壊滅状態だったが、目を凝らして見れば、氷原の端で身をよじる影がいくつも確認できた。
全ての動きを止めたわけではない。殺し切ったわけでもない。
このまま放置すれば、外壁を越えることはなくとも、外を旅する者に被害が出る。
魔物を殺す力を持たない人間のほうが、一般的で"普通"だろうから。
周囲に目を向けると、三人は無言でうなずいてくれた。
「……じゃあ、頼む」
俺はミリアリア、レオン、レイの順番に、壁の外へと転移させた
「な、な、なっ……今のは何だ……!? 転移か……?」
後ろでアリステリアが絶句していた。目を見開いたまま、声が震えている。
「秘密だ」
俺はそっけなく答えた。
アリステリアは俺たちの仲間ではない。説明する義理もない。
俺が三人を送ったのを見て、フェリスが背後に六枚の翼を広げた。
彼女は支援を得意とする天使であり、戦場に出向いた彼ら彼女らに"加護"を授けたのだろう。
その様子を傍目で見ながら、戦場に立つミリアリアに視線を送った。
彼女は紅いドレスをはためかせながら、残った魔物をひとつずつ、軽やかに、そして確実に殴り倒していた。
ミリアリアは、神代の吸血鬼だ。
吸血鬼──怪異の王とも呼ばれる存在で、その桁外れの身体能力から、人の姿をしていても“化け物”として扱われることが多い。
一見すると、吸血鬼は人間より遥かに優れた存在のようにも思える。
だが実際は、そう単純な話でもない。
本来の吸血鬼は、陽の下に出るだけで肉体を焼かれ、最悪、塵となってしまう。
その一点だけで、どれほど人間離れした力を持っていようと、活動の幅は致命的に狭くなる。
ミリアリアがそれを気にしていないのは、彼女が“上位種”だからだ。
日光を受けても燃え尽きることなく、悠々と昼間の戦場に立てるだけの力を持っている。
彼女の強さは「吸血鬼だから」ではなく「上位種だから」なのだ。もちろん、彼女が身に付けている特殊な格闘術──「血闘術」の技巧は、彼女の鍛錬ゆえだろうが。
ミリアリアの次に、レイへと視線を向けた。
彼女は、俺が不老化させただけの、いわばただの人間だ。
ゆえに、ミリアリアのような怪物じみた身体能力は持ち合わせていない。
だが、今の彼女は、両手に握った刃を自在に操り、さらには黒い長髪すらも鋭い刃に変えて、次々と魔物を斬り伏せていた。
信頼していたし、問題なくやってくれるとは思っていたが……その戦い方は初めて見る。
たぶん、右手につけているあの指輪が鍵だろう。
あれは、ダンジョンの中で俺が創ったものだ。内部には〈イモータルスライム〉という化け物を封じ込めてある。
スライム種は、全身を自在に変形させられる。
おそらく、レイの髪に宿ったそれが、刃の形を取っているのだろう。
ミリアリアもレイも、特に問題はなさそうだな。
俺は続けて、視線をレオンへと移した。
そこでは、他の二人が相手にしている雑多な魔物とは明らかに異なる、大型の個体がレオンと対峙していた。
大きさは、おおよそ彼の十倍ほどか。だが、レオンは微塵も怯える様子を見せず、大盾で攻撃を受け流しながら、大鎌を構えて応じていた。
──あれは、竜種か?
「アリステリア。あれは、現世の基準ではどれくらいの危険度になる?」
俺たちにとっては、スタンピードだろうが、神代の化け物だろうが、大した脅威ではない。
だが、ただの人間の視点では、レオンが相手取っているあの魔物がどの程度のものに見えるのか、少し気になった。
「あれは「ランドドラゴン」といって、Aランクに分類される魔物だ。……Aランクは、“一体で街を滅ぼす”とされている」
「……なるほど。分かりやすい解説、ありがとう」
思わず、手元に世界解説用の助手が欲しくなるような的確な説明だった。
その間にも、レオンはそのランドドラゴンとやらを、あっさりと討ち果たしていた。
巨体を崩れ落とさせると、息をつく間もなく次の魔物の元へと向かっていく。
その様子を目の当たりにしたアリステリアは、まるで顎が外れそうな勢いで驚愕の表情を浮かべていた。
「順調そうだな」
「そうですね。私の加護に乱れはありませんし、被弾もしていないと思います」
フェリスは、彼女自身が施した加護の状態を、極めて正確に把握できる。
だからこそ、こうして近くにいてくれると、味方の状況を把握するのにも助かる。
「シン様にも、一応……ですが」
忘れていたとでも言いたげな口調で、彼女は俺にもそっと加護を付与してきた。
薄膜のような魔力の気配が、全身を柔らかく包むのを感じる。
「俺は戦場に出る気はないぞ?」
「それでも、万が一というものがあります。
……というか、シン様が本気で戦場に出たら、大地がクレーターだらけになりますから」
フェリスは、どこか遠い目をしていた。
ダンジョンを抜けるまでのあいだ、今まさにスタンピードを処理しているレオンたちですら苦戦した魔物を、俺はただ拳で殴るだけで粉砕したことがある。
その一撃で、周囲の音は爆ぜ、大地は抉れ、正直、戦場というより災害だった。
フェリスの視線の先にあるのは、その時の光景なのだろう。
「俺だって、加減くらいできるぞ」
「ええ、もちろん。お盛んですものね──お相手の身体に傷なんて、つけられませんよね?」
「なっ……!?」
まさか急に揶揄されるとは思っていなかった。俺は勢いよくフェリスの方を見てしまった。
……というか、なんで知っている?
「女子会、ナメるな?」
「フェリス、キャラが崩れてる」
「……失礼しました」
ミリアリアとレイは、いったい彼女に何を話したんだ?
……少し、居た堪れない気持ちになるな。
俺は視線を戦場に戻した。スタンピードは段々と静寂へと向かっていった。




