002
馬から降りた貴族の女は、堂々とした足取りで俺たちの前へ歩を進めてきた。
「──この騒ぎの原因は、貴殿らか?」
その声は静かで冷ややかだが、芯の強さを感じさせるものだった。
「先に槍を向けてきたのはそっちだ。俺は怒鳴りつけただけだぜ?」
レオンが涼しい顔で言い放つ。
だが、周囲を見渡せば、気を失って地面に転がっている兵士たちの姿がちらほらと目に入る。
……“だけ”で済む話かは、正直悩ましいところだ。
女はすっとしゃがみこみ、近くに倒れていた兵士の首筋に指を当てた。
脈を確かめると、納得したように小さく呟く。
「……確かに、気絶しているだけのようだな」
それから立ち上がり、俺たちに向き直って言った。
「私の名はアリステリア。──貴殿らは見ない顔だが、どこから来た?」
声は酷く冷静だった。
周囲に兵士たちが気絶して転がっているというのに、取り乱すどころか、淡々と事務的に言葉を続ける。
目の前の事実を冷静に受け止め、次の行動へと繋げる思考の速さ。
とても胆力のある人物だと、俺は思った。
ダンジョンから出てきたと正直に伝えれば、面倒事に巻き込まれる気がした。
だから、どう答えるべきか悩んでいた、そのとき──
「俺たちは、ダンジョンの地下から抜け出してきたんだ」
レオンが平然と口を開いた。
……はあ。なんでこのバカは、こうも軽々しく喋るんだ。
もう少し「言っていいことかどうか」を熟考してから口を開け。
「ダンジョンから……だと?」
すると、それまで冷静だったアリステリアの様子が変わった。
わずかに目を見開き、まるで信じがたいものを見るかのように、こちらをじっと見つめてくる。
……ああ。やっぱり、余計なトラブルを呼んだな。
「レオン、あなたは馬鹿なのですか?」
フェリスが堪えきれずに声を上げた。
片手で額を押さえながら、頭が痛いと言わんばかりの仕草をしている。
美しい銀髪が、思わず輝きを無くすほどに、露骨に困ったような表情をしていた。
神官のような法衣を身にまとっているからこそ、本当に困らせてはいけない人を困らせたような、そんな雰囲気がこの場を支配した。
「えっと……俺、なんかやったか?」
レオンはまったく事態を理解していないようだった。俺もフェリスと同様に片手で額を抑えた。
……はぁ、
「次から、知らない人が来たら、俺がいいって言うまで口を開くな」
馬鹿の口は、早めに封じるに限る。
アリステリアが再び冷静になる前に、少しでも会話の主導権を握るために、俺は自ら会話を切り出した。
「……このダンジョンは、この街では“危険なもの”なのか?」
根拠はなかった。ただの直感だった。
けれど、今はその直感に従って、俺は言葉を選んだ。
その問いに、アリステリアはわずかに目を細めた。
「……その言葉、軽々しく使うな」
低く、重たい声音だった。これまでの淡々とした口調とは違う。そこには、鋭く尖った警告の色が滲んでいる。
「“ダンジョン”という名は、忌むべき災厄と同義だ。辺境の民であっても、その存在を語ることさえ忌避されている」
言葉を重ねるたびに、空気がひとつずつ冷えていく気がした。まるでその名を口にするだけで、呪いでも呼び寄せるかのような、重苦しい緊張感。
「記録には残っていない。だが、語り継がれてきた。“それ”に関わった都市や軍勢は、いずれも──理不尽な滅びを迎えたと」
アリステリアは、真っすぐに俺たちを見据えた。表情は変わらない。だが、その灰緑の瞳には、確かな警戒と探るような光が宿っている。
「貴殿らは──そこから来たと、そう言ったな?」
声は静かだった。だが、その声音は鋼のように冷たく、重かった。尋問のようであり、そして揺るがぬ意志の表れでもあった。
「……おい、その目が気に入らねぇ」
レオンが低く唸った。
「俺に向ける分には構わねぇ。だが──」
ぐっと一歩、俺とアリステリアの間に立ちはだかる。
「俺たちの王に、そんな目を向けるのは……俺が許さねぇ」
その声には怒気も叫びもなかった。ただ、淡々と、静かに。
だからこそ、その一言は鋭く、場の空気をさらに張り詰めさせた。
「……王、だと?」
アリステリアの声が、わずかに揺れた。
その一言には、驚きとも、嘲笑とも、あるいは警戒とも取れる感情が、うっすらと滲んでいた。
彼女はわずかに顎を引き、じっと俺を見つめる。揺らぎのない視線。さっきまでの「出所不明の危険存在」に対する警戒が、今度は「正体不明の重要人物」への評価へと変わりつつあるように見えた。
「この辺境で“王”を名乗るとは、またずいぶんと大きく出たな、貴殿……」
皮肉めいた口調だったが、そこには明確な怒りや侮蔑はなかった。ただ、事実を確認するかのような、冷たい観察者の声。
「名前を聞こう。貴殿は何者だ?」
言葉の矛先は、俺に向いていた。
レオンの存在を警戒しながらも、アリステリアはやはり「主である俺」に話を通すことを忘れていない。礼儀に欠ける人物ではない。だが、同時に──その礼儀は、疑いの仮面をつけていた。
……さて、どう答えるべきか。
「旦那様、私がお答えしてもよろしいですか」
レイが一歩、静かに前へ出た。その声音に感情の起伏はない。だが、俺は彼女の判断に委ねることにした。小さく頷く。
「彼の者の名は、シン・エルヴァディア。
この世界に人が根付く以前より、ダンジョンの最深にて静かに眠っておられました」
語り口は平坦で、無機質にも聞こえる。それでいて、言葉の選び方には奇妙な正確さがあった。
「この褐色の方は“王”と呼んでおりますが、過去の肩書きにすぎません。
かつて宇宙を束ねていたのは事実ですが、今は、ただの旅人です。少しばかり強く、少しばかり厄介な」
レイは相手の目を見たまま、淡々と続ける。敵意も誇張もなく、事実だけを選び取るような語り。表情はほとんど動かない。
「ですので、王号に過剰な反応をされませんよう。誤解のない関係を望みます」
そこで言葉を区切ると、レイは軽く一礼した。
……いや待て。
なんでそんなにあっさりと語るんだよ。
こっちは“正体不明の集団”って扱いで済ませたかったんだぞ。
今の説明、いろんな意味で開示しすぎじゃねえか。
しかも、真顔で「旅人」とか言ってるし。ちょっとだけ誤魔化す気とかないのか?
レイは時折こういうことをする。誠実で、筋が通っていて、論理も明確。けれど、俺の心臓にはやさしくない。
アリステリアはしばらくレイを見つめていた。
灰緑の瞳は油断なく鋭いが、敵意よりも観察の色が濃い。
「……ずいぶんと変わった話だが」
低く落ち着いた声。だが、即座に否定する様子もない。
「真偽のほどは、この場では断じかねる。
だが……貴殿らの応対を見る限り、無闇に混乱を招こうとする者とは思えない」
淡々とした語りの中にも、相手の力量と意図を見極めようとする真剣さが滲む。
「一つだけ確かめておきたい。
貴殿らは、この街に対し敵意を持っていないと考えていいのか?」
問いかけはあくまで冷静だった。
けれどその奥には、状況を自らの手で収めようとする、軍を預かる者の気迫が感じられる。
「この場で拘束することもできる。
けれど、無闇に手を出して騒ぎを広げるのは得策じゃない。そうだろう?」
最後の言葉は、はっきりと俺に向けられていた。
言外に、“判断するのはお前か”と探っているような声音だった。
きっと彼女は自らの腕に自信があるのだろう。
この場で拘束できると、そう思っていることが誤りであることを、今ここで教えてやることはできる。
だが、それをやったところで、力を見せびらかすだけの話になる。
俺たちは──少なくとも今の俺は、そういう場違いな威圧を楽しむ立場にはいない。
「敵意はないさ。必要があるなら、どこか静かな場所で話をしてもいい」
そう告げると、アリステリアはわずかに眉を動かした。
その目に浮かんだのは、意外さよりも、納得に近い何かだった。
「……分かった。
ならば、この場の騒ぎを納めるためにも、場所を移そう。貴殿らの話、私がしかと聞こう」
ようやく、剣呑な空気がわずかに緩んだ気がした。




